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2010『アイヌ研究の現在と未来』 [全方位書評]

北海道大学アイヌ・先住民研究センター編 2010 『アイヌ研究の現在と未来』 北大アイヌ・先住民研究センター叢書1

歴史学、考古学、形質人類学、法律学・政治学、文化人類学、言語学の6つの分野について、基調報告とそれに対するコメントあるいは解説の文章、関連論文などが掲載されている。
2008年6月および12月に北海道大学で開催されたシンポジウムの記録集である。

考古学については、報告:「アイヌ考古学」の歩みとこれから(佐藤 孝雄:72-93.)、コメント:岩屋(シラッチセ)の保護と伝承(谷上 嶐:94-99.)、解説:アイヌ研究において考古学の果たすべき役割とは何か(加藤 博文:100-113.)が掲載されている。

「幸い、趣旨をご説明申し上げたところ、同会員諸氏は調査を行うことを了承してくださったが、その際、二つの事柄を要望された。一つは、ヒグマの骨を始め送り場にのこされた物質資料を調査・研究のため研究室に持ち帰るのであれば、分析・報告を終えた後、それらを現地に戻してほしいとの要望。もう一つは、歴史的に女性の立ち入りが禁じられてきた場所であろうから、調査にあたる人員も男性に限定して欲しいとの要望であった。これらの要望を突きつけられたとき、筆者は、現地を訪れた経験を持ち合わせずとも、同会員諸氏が祖先ゆかりの聖地を守り、その尊厳を傷つけまいとする熱意を抱いておられることをはっきりと認識した。」(佐藤:85.)

北海道ウタリ協会千歳支部会員諸氏から出された「二つの要望」のうち、前者は先住民考古学で課題となっている「再埋葬問題」であり、あるいは「文化財返還問題」に連なるものである。
問題は、後者の要望である。

大学の助成金を得ての調査であるから、当然のことながら参加を希望する女子学生も有り得たであろう。そうした人たちに、いったいどのような説明をして断ったのだろうか。そもそも調査担当者当人が女性であったら、いったいどうなるのだろうか。

文化的伝統と現代の価値観との相克である。
アフリカなどにおける女性器切除の問題、あるいはヨーロッパなどでのブルカ着用の問題などが想起される。
私だったら、どうしただろうか。
難しい問題であるが、現地の人々の理解を得ることが出来ずに、性差別を容認した上でなされる調査は、たとえ先住民の伝統的価値観に配慮したとしても受け入れることは困難だと思う。

「今なお言われ無き差別と偏見の中にも置かれている彼ら。彼らはなぜ私たちではないのか。彼らの歴史はなぜ私たちの歴史と違うのか。このことをともに考える機会を、私たち歴史家は努めて設けるべきではなかろうか。」(佐藤:91.)

引用文中の「彼ら」を全て「彼女ら」に置き換えることが可能である。
一方の尊厳が尊重されることで、他方の尊厳が貶められる。
両者の尊厳は決して両立不可能ではない、と信じるのだが。

同書所収の第1章 歴史学 報告:これからのアイヌ史研究にむけて(榎森 進:20-58.)、および第5章 文化人類学 報告:文化人類学はなぜアイヌを忌避したか -学問もまたアイヌを差別するか-(佐々木 利和:224-235.)については、以下の批判的見解が示されている。
*大塚 和義 2011 「国立民族学博物館におけるアイヌ研究と博物館活動の過去・現在・未来」『国立民族学博物館研究報告』第36巻 第1号:113-141.

「言い換えれば、これからの民族学、人類学では、研究の目的・目標をどこに置くのか、人類学研究の成果をどこに求めるのかということが大きく問われる時代といえる。
間違いなくいえることは、将来的には、アイヌの人自らが、アイヌ文化研究の主導的な役割を担っていくことが求められているという点である。だからこそ、先にも述べたように、研究機関としての北海道大学アイヌ・先住民研究センターの役割の重要性が再確認されるのである。」(大塚:140.)

アイヌ考古学は、「日本考古学」にとって極めて重要な試金石である(【060925】、【070514】、【100715】などを参照)。

「北海道島における近代化とは日本史の一コマであると同時に、まさに「開拓」といった名前がはからずも示しているように、アフリカに出現した人類の祖先が、北半球を寒冷地適応しながら高緯度地帯へと向かっていった人類史における構造性を内包しているのであり、その意味でも人類史の研究を標榜する現代の考古学にとって重要な研究対象なのです。」(小杉 康 2011 「列島北東部の考古学」『はじめて学ぶ考古学』有斐閣:282.)

「考古学専攻を志望する学生諸君だけでなく、新聞やニュースで考古学の成果の一端にふれる機会のある多くの市民の皆さん」を対象にした入門書におけるある章のまとめの文章であるが、これではどのようなことを言いたいのか、すぐさま理解できる「考古学をはじめて学ぶ」人は少ないのではないかと危惧される。

「1966年(昭和41年)に刊行された「新冠町史」を読むと、アネサルから上ヌキベツへの強制移住に触れた記述は四ヵ所ある。しかし、どれも「牧場経営の都合によって、全土人は平取町上貫気別に転住するのやむなきにいたった」(82ページ)といったふうに、わずか一、二行の説明で終わっている。
「陛下に失礼にあたる。御料牧場を批判するようなことは許されない。」新冠町史編纂委員の一人だった新冠町朝日の高瀬賢治さん(78)は、「その発言の前には黙るしかなかった」と委員会を振り返る。」(『銀のしずく -アイヌ民族は、いま-』北海道新聞社1991:84.)


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