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文化庁編2011『発掘された日本列島2011』 [全方位書評]

文化庁編 2011 『発掘された日本列島2011 新発見考古速報』 朝日新聞出版

「文化庁主催の全国巡回考古速報展の公式ガイドブック。
旧石器時代から近代までの展示内容を写真、地図、イラスト入りでわかりやすく解説。」

「古代、東北地域には、中央から「蝦夷」とよばれる人びとが住んでいました。みずからの勢力範囲の拡大を狙う中央の政権とそれに従わぬ蝦夷は、しばしば対立し、『日本書紀』の7世紀後半の記事には、そのことが数多くみられます。
奈良時代になると、中央と蝦夷との抗争はますます激しくなります。中央政権は制圧した蝦夷の土地に、まるでくさびを打ち込むかのように、軍事的機能を併せ持った役所「城柵」を、新たな支配地の中心部や軍事上の最前線に設置していきます。
宝亀5年(774)、ついに両者の抗争は、長期戦へと突入します。光仁天皇の命を受けた征夷大将軍大伴駿河麻呂が、桃生城に侵攻した蝦夷を伐ったことにより始まる抗争は、38年戦争ともよばれ、弘仁2年(811)に征夷大将軍文屋綿麻呂が、天皇に中止を願い出るまで続くのです。」(46.)

何気なく読んでしまえば、何気なく読み飛ばしてしまうような文章である。
しかし、引っかかるものがある。

この場合の「中央」とは、何に対する「中央」なのだろうか?
日本というクニ? それとも日本列島?
「くさびを打ち込む」側からの記述のみで、「くさびを打ち込まれる」側の視点は皆無である。
自らの生活領域を守ろうとする人々を「従わぬ」とする見方を、「まつろわぬ史観」という。
こうした考え方は、とうに克服されたものとばかり思っていたが。
侵略者側の生産遺跡の紹介という文脈なので、無意識にこうした記述になったものと思われるが、そうした「無意識」こそが問題なのである。

少し古くなるが、多民族社会にふさわしい本を選ぶガイドラインというのが、1978年「世界教会協議会」という組織から示されているので、そこから幾つかを引用しておこう。

「* ヨーロッパ以外の大陸や民族が、ヨーロッパ人に“発見”されてから、はじめて登場するというかたちになっていないか?
 * 解放のためのたたかいが革命としてではなく、暴動あるいは反乱とみなされていないか?
 * ヨーロッパ人に関しては“王”とし、他民族に関しては“酋長”とする、あるいはヨーロッパからの移住者に関しては、“虐殺された”とし、先住民は“殺された”とするというように、ことばの選び方、使い分けに二重の価値観が用いられていないか?」
(鈴木 亮1994『日本からの世界史』大月書店:38-39.)

展示フロアの中心、一番目立つ場所に置かれているのが、「四条古墳群(奈良県橿原市)」出土の鳥形木製品や笠形木製品の一群である。
なるほど・・・ 懐かしいなぁ~ ん? これらの出土を報じる新聞を目にしたのは、はて、いつのことだっけ??

「昭和62年(1987)・63年に四条古墳(1号墳、5世紀末、一辺27~28メートルの方墳)が調査されて以来、現在12基の古墳が確認されています。」(30.)

 四条古墳群

何万点もの出土石器を洗浄し、注記し、台帳を作成し、接合し、接合実測図や接合分布図を作り・・・といった作業が1年やそこらで出来るとは私自身の経験から言ってもありえない。
しかし10年以上も前の出土資料が、「新発見」とか「速報」という言葉を掲げた展示にふさわしいとも思えない。

そう言えば冒頭に記されている「2011発掘調査最新情報」という記事で言及されている諸<遺跡>と実際に展示されている展示資料の出土<遺跡>とは、殆どというか全く一致しない。こんなことは当たり前と言えば、当たり前なのだろうが、見学に訪れる多くの人たちは、展示されているものが「最新」とか「新発見」と思うに違いないだろう。
結局は、考古資料という<もの>の性格上、全国を巡回するような企画に「最新」とか「新発見」というフレーズを掲げること自体に、無理があるように思えて仕方ない。


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