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ワックスマン2011『奪われた古代の宝をめぐる争い』 [全方位書評]

シャロン・ワックスマン(櫻井 英理子 訳) 2011 『奪われた古代の宝をめぐる争い』PHP研究所
(Sharon Waxman 2008 Loot: The Battle over the Stolen Treasures of the Ancient World.)

「私は美術館と出土国の主張や、その裏にある真実を突き止めるため、8ヶ国12都市をめぐり、数多くのインタビューをおこない、膨大な時間を調査に捧げた。美術史家としてではなく、考古学者としてでもなく、あらゆる国のさまざまな文化に興味を持ち、この問題に最初に気づかせてくれた美術館を愛する、1人のジャーナリストとして・・・。
 双方の言い分は、世界の文化交流に付随するほかの問題をも浮き彫りにする。これまでどのような歴史があり、これからどのような道を進むべきか。その答えは単純なものではないだろうが、人類の文化財の未来にとって重要なものとなるだろう。」(22.)

返還派でもなく、拒否派でもなく、双方の意見をそれぞれ両論併記しつつ、それでも冷静に理性的に判断すれば、どちらのどのような意見が真っ当なのかおのずから明らかにならざるを得ない。そのような本である。
レンフルー&バーン2007『考古学 -理論・方法・実践-』では、僅か1.5ページの囲み記事(570-1.)に縮約されていた内容が、一般読者向けに分かり易く523ページを費やして述べられている。

「フランスは海外に進出し、外国を植民地化し、現地人にフランス語の読み書きを教えた。そして植民地で財宝を見つけると、ほかのヨーロッパ人を驚かせ啓蒙しようと、本国のルーヴルに送った。同館で脈々と受け継がれている遺伝子のような信念とは(全員が信じているとは限らないが)、ルーヴルが偉大な芸術を展示していることを、世界が感謝するだろうという思いである。なぜ外国の芸術がルーヴルにあるのか、という疑問を、館長や学芸員たちは熱心に追究しようとしない。それもそのはず、「あの」ルーヴルだからだ。」(101.)

恩着せがましいパターナリズムが形を変えたインペリアリズムであることに、当人たちだけが気づかないという悲劇。

もちろん、あの「コリン・レンフリュー卿」も登場する(350-6.)。そして「彼の苦しい立場(アメリカの施設を公然と非難しながら、大英博物館には甘いところ)」が指摘され、彼の定年退職に伴いケンブリッジ大学の「違法発掘リサーチ・センター(IARC)」が閉鎖されたという最近の情勢も紹介されている。

「一方、大英博物館のニール・マクレガー館長は、美術品の返還ではなく、啓蒙思想に重点的に取り組んでいた。博物館がこれほど使命や方針を明らかにしたことはない、と彼は話す。大英博物館のレゾンデートル(存在理由)とは?と聞くと、世界をひとつ屋根の下に集めることだ、と彼は答えた。「自然史にしても植物にしても、活字文化にしても、物質文化にしても、そういう話をするときに世界を全体としてとらえられる場所を作るのは便利なことではないか、というのが出発点の1つだ。それを大英博物館がやろうとしている」。彼は弁舌巧みに話した。」(366.)

あるべき場所がある、というのが、文化財の特徴である。
それが、昆虫や鉱物標本、恐竜化石との違いである。

さらに館長は述べる。
「つまり、文化とは・・・万人で共有すべきものなのか。モーツァルトやシェイクスピアは、万人のものと考えられている。イギリスだけがシェイクスピアの何かを決められるなんて、誰も考えない。彼も、彼の作品も、世界のものだ。シェイクスピアをイギリスだけのもの、イギリスだけがシェイクスピアを守る後見人だとは、考えられないだろう?」(367.)

勿論、そうである。
だから、シェイクスピアの自筆原稿が例えばカルカッタにある(としたら、そしてどのようにしてそこにもたらされたのかという)、そのことが問題なのだ。

「「法律が、ごまかしを許しているようなものだ。略奪品があっても略奪を証明できないからだ」とズィルガノスは話す。「本当なら、それが自分たちのものであり、略奪品であると証明しなければならない。しかし美術品が1人、2人、3人、4人の手に渡ると、盗掘人を割り出すのは不可能になる。黒いものが、グレーになり、白くなる。法律の抜けもある。コンドームやミルクの出所を明らかにしなければならない法がある一方、古代美術品の出所を明らかにせよという法律はない。バカげている」。」(476.)

汚染されている文化財がある。目には見えないが。
汚染された牛肉は、個体識別番号とやらでどこで解体されてどの店で販売されたのか、流通ルートから最終消費地までトレースすることが可能なのに。
汚染された文化財は、それを所有する者は当然のことながら、知らずに見る者をも蝕んでいく。

「過ちを認め、協力し合う時代へ
関係者の思惑が対立し、藪の中のような状況であるが、道を切り開いていくことは可能だ。何千年も残ってきた美術品を守ると同時に、発掘の過程でおこなわれた不正や破壊の問題に向き合うこともできる。そのためには、問題に取り組む姿勢と、パラダイムの変容が求められる。
私が訪れた4つの美術館は、過去に間違いを犯した。透明性を求められ、責任を追及されたにもかかわらずそれを無視した。メトロポリタンは美術品の違法取得を何十年も隠し続け、ゲッティは偏狭な精神からさまざまな問題を招き自ら恥をさらした。古代美術をめぐる現代の闘争のなかで、西洋の美術館は一様に致命的な弱点をさらすことになった。変わりゆくグローバル社会への適用を拒む態度である。しかしこれから求められるのは、「我ら対彼ら」という考え方ではなく、文化交流の重要性の再確認だ。
そのためにはまず、西洋の美術館がコレクションの中身を把握し、それらをどのように展示するか根本から再検証すべきである。美術館はこれまで、所蔵品の説明を省くことで嘘を重ねてきた。過ちを素直に認めるべき新しい時代において、同じことを続けてはならない。美術館は、一般市民にも古代美術の真の出所を理解できるように、略奪と横領の歴史を認め、公開すべきである。自らの都合に合わせて所蔵品の歴史を無視していては、どの美術館も歴史の正当な保護者を名乗ることはできない。」(513-4.)

最近、毎週のように新聞の折り込み広告として某新聞社の出版ガイドというチラシが届けられてくる。
「行った気になる。行きたくなる。朝日ビジュアルシリーズ 週刊「一度はいきたい」世界の博物館 人類の至宝を集めた憧れのあの博物館を、優雅に鑑賞する。待望の新シリーズ創刊! 全50冊 大英博物館、ルーヴル美術館、カイロ・エジプト博物館・・・ 一度は行きたい有名博物館のコレクションから人類の遺産約2000点を選りすぐり、毎号40点を紹介! 注目の展示品を360度鑑賞できる「全アングル鑑賞」も必見!」

実物を見ていないので何とも言えないが、ここには「過ちを認め、協力し合う時代へ」といった姿勢は「カケラ」も認められないに違いない。少なくとも宣伝チラシからは・・・
しかし物事の理非を正確に見通す人は、誤りなく物事のポイントを指摘している。

「(大英)博物館の資料室には、子どもから送られたたくさんの手紙が保管されているが、ほとんどがギリシアへの返還を支持している。アリス・ヴィヴィアンという女の子は、1995年に、可愛らしく子どもっぽい文章で次のように書き送っている。
「はいけい。かびんは、ぜんぶかえさなければいけないとおもいます。かびんは、ぜんぶギリシアのものだからです。・・・わたしがきめられたらいいのにとおもいます。わたしならかえします。でもわたしではできません」。」(372-3.)

レンタル期間は、終わったのだ。
これからは、超過料金込みで返していくことになるだろう。
更に借りたければ、再レンタルの申し込みをするのが社会のルールである。


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