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新たなプラグマティズム(7) [論文時評]

プラグマティズムの系譜学 A Genealogy of Pragmatism : 28-34.
本書の構成 Organization of the Reader:34-36.

新たなプラグマティズムには、2つの潮流が交差しているという。一つは前回記事で紹介した「3つのR」のような社会的な諸問題に対する姿勢であり、いま一つは認識論の強調である。
ということで、プラグマティズムに関する簡単な歴史的脈絡が述べられる。
チャールズ・パース、ウィリアム・ジェームス、ジョン・デューイ、リチャード・ローティ。

考古学におけるプラグマティズム的考察は、1985年に開催された理論考古学グループ(TAG)の分科会が先駆けとなった(クリストファー・ガフニー&ヴィンセント・ガフニー1987『プラグマティズム考古学:危機における理論?』)。
こうしたセッションは、1980年代におけるプロセス考古学vsポスト・プロセス考古学という対立構図が契機となっていたが、実は真の対立はプロセスおよびポスト・プロセスという理論対実際に考古学を実践している現場の間に存在していたという。

セッションでの結論は、「プラグマティズム考古学宣言」として発表された(ロン・ヨーストン&クリストファー&ヴィンセント・ガフニー1987同上)。ここでは考古学におけるプラグマティズムとして4つの原則が提出されている。
1.人文主義 2.知の文脈独立性 3.自由な仮説使用 4.主導的原則としての理論

2001年にロバート・プルーセル&アレクサンダー・バウアーは、考古学的解釈が本来記号的な過程であると論じた。(「考古学的プラグマティクス」『ノルウェー考古学レヴュー』34)。解釈は記号の生産に過ぎないのである。記号が記号的媒介の終わりなき連鎖による記号の生産ならば、考古学者によるあらゆる解釈は記号である。

ディーン・サイタは、現実主義を乗り越えるために3つのプラグマティックな原則を提示した(2003「考古学と人間の問題」『考古学的方法と理論の本質的緊張』、2007『選択的活動の考古学』)。
第1に、真実は社会的な必要性によって正当化されるということ。
第2に、実験的な事実は経験に対する評価でなければならないということ。
第3に、異なる文化的な伝統による思考のコンテクストを検証しなければならないということ。

2006年にプルーセルは、プラグマティック人類学に対応するプラグマティック考古学を主張した(2006『考古学的記号論』)。プラグマティック考古学は、パース的記号論の適用をその特徴とする。パース記号論は、言語、社会的実践、物質文化という文化現象全般における一般モデルとして、ソシュール記号論より優れているという。

哲学者であるパトリック・バートの論考にも高い評価を与えている(2005『社会科学の哲学:プラグマティズムに向けて』)。人類学においては、「表象の危機」に対応した「批判的転換」(ジョージ・マーカス&マイケル・フィッシャー1986(永淵 康之訳1989)『文化批判としての人類学』、ジェイムズ・クリフォード&ジョージ・マーカス編1986(春日 直樹ほか訳1996)『文化を書く』)として知られるが、バートも考古学が私たちの現在の社会が前提としている事柄に対する批判により開かれた存在となるように、クリストファー・ティリー(1989「現代における社会政治的活動としての考古学」『現代考古学の批判的伝統』)を引用しつつ述べている。ちなみにティリー1989については、本ブログ【2005-11-29】および【2005-11-30】で紹介した。

筆者たちがバートと共通する立場を見出したのは、プラグマティズムが意味ある社会的活動を導くべきであるとする考え方である。
Where we find common ground with Baert is his idea that pragmatism should lead to meaningful social action.
考古学に関する様々な区分、時間(例えば先史考古学、歴史考古学など)、空間(例えば集落考古学、都市考古学、景観考古学など)、プロセス(例えば資本主義考古学、産業考古学など)、人々(人種、階級、ジェンダー、民族、性、先住民族など)といった区分に対して、常に挑戦する姿勢を「プラグマティックな考古学」とする。
近い過去あるいは遠い過去に関する複数の物差しを認識する考古学は、私たちの日常の問題、その多くは植民地主義、産業化、グローバリゼーションといった歴史的諸力の直接的な進展に関する問題に対して、より効果的な意思表明が可能となる。
An archaeology that acknowledges the multiple imbrications of recent and distant pasts can more effectively address the problems of our day, many of which are the direct outgrowth of historical forces, such as colonialism, industrialism, and globalization.

こうして見てくると、最初は「プラグマティズム」という日本的な考古学の世界では奇異とも思える考え方が、実は「第2考古学」の志向性とも極めて類似しているということが、おぼろげながら感知されてくる。

考古学と社会は、離れがたく結びついている。考古学の中心的な役割は、現在の私たちの社会的な諸関係が自然なものでなければ不可避なものでもないということ、それはむしろ長期間にわたってある特殊な方法で発展してきた独特な文化的伝統の創造であることに気付き、自らの諦観から解放されることにある。
Archaeology and the social are inextricably intertwined. The central task of archaeology is thus to free us from our complacency by reminding us that current social relations are neither natural nor inevitable , but rather the creation of particular cultural traditions that have developed in specific ways over a long period of time.
考古学的なデータは、理論的に負荷であるばかりでなく、政治的にも負荷なのである。
data are not only theory laden, but also politically laden

こうしたことに関連して、本書の前身でもあるプルーセル&ホダー1996『現代考古学の理論 -読本-』"Contemporary Archaeology in Theory: a Reader"の第9章「問答」Dialogue:667-678.が訳出されているので、その一部を紹介しよう。
「F」なる保守的分離主義者と「E」なるラディカルな批判的理論家のやり取りである。

「F:(中略)考古学は政治的立場にはまったく関係がないだけでなく、保護・保存の重要性と知識のための知識を向上させることに焦点を当てるべきだ、と感じている人もいます。私たちには、次の世代のために考古学の遺跡を保護し保存する責任があります。また、現在と未来のために過去からできるだけ多くのことを学ぶ責任もあります。
E:ところが、まさにあなたがはっきりと述べたことは、結局はひとつの政治的立場を表明しているのだということがおわかりですか。過去が保護され、保存され、凍結されるのであれば、私たちがすでに知って信じていることを補強し支持する以外に、現在においては何の役割も果たせません。ですから、考古学の応用が政治的かどうかを実際に論争しているのではなくて、むしろどれが考古学の最善の政治的応用なのかを論じ合っているのです。」(プルーセル&ホダー(安斎正人訳2000)「理論考古学問答」『先史考古学論集』第9集:111.)

こうしたやり取りが提起する意味を「日本考古学」がしっかりと受け止めていたのなら、日本を代表する学会が会員からの問題提起に対して「政治問題が絡むこと」を理由に対応を忌避するようなことはなかったと思われる(本ブログ「応答に対する応答」【2010-07-22】、「応答(補足)」【2010-07-23】参照)。

私たちにとって、考古学とは過去から学んだことを未来へと伝え、現在の多様な言論において積極的な役割を果たすように追い求める大きな企ての一部なのである。
For us, archaeology is a part of a large project that seeks to learn from the past to inform the future and to play an active role in the variety of current discourses.


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