SSブログ

東海土器研究会2009『灰釉陶器のブラインドテスト』 [全方位書評]

東海土器研究会(贄 元洋 編集) 2009 『灰釉陶器のブラインドテスト No.1・2・3』

「ブラインドテストとは、生産地である窯跡から出土した灰釉陶器を使用して、土器に書かれた注記をドラフティングテープで隠し、どこから出土したものであるかをわからなくした上で、その産地を回答するものである。テストに使用した資料は生産地のものであるので、正解が明らか、つまりどの産地のものであるかが確実に判明している。消費地から出土した資料では、産地同定した結果が正しいかどうかの検証ができない。須恵器や陶磁器のように生産地が明らかになっている資料をテストに使うことによって、より確率の高い結論を得ることができる。」(1.)

上掲「ブラインドテスト」に関する定義文章は、正確には「灰釉陶器の産地に関するブラインドテスト」とすべきかと思われる。

お正月のTV番組で、かっこつけた芸能人(格付け芸能人?)たちが100万円と1000円のワインの違いが分からないとか1億円と1万円のバイオリンの音の違いが分からないと言っているのも、ある種の「ブラインド・テスト」である。

ブラインド・テストについては、石器の使用痕跡に関して実験行動によって生じる実験痕跡から実際になされた実験行動を推定する「プロセスB」として論じたことがあった(五十嵐2003「座散乱木8層上面石器群が問いかけるもの」『旧石器文化と石器使用痕研究』)。

「第2は、光沢面タイプと推定被加工物を結び付ける信頼性に対する評価の問題である。推定被加工物に関して、プロセスDの基準となるプロセスBの精度(ブラインド・テストの正答率)は約7割とされ、光沢面タイプと推定被加工物の相互関係については厳密な対応関係にないことが明らかにされている。実験研究について「意味付与のプロセス」と位置付ける研究枠組み(資‐試料の対比)を認識しつつ、なされた推論の精度に応じた表示方法を考えなければならない。」(同:29.)

答えが判らない考古資料にある答えを出す場合(この石器は何に対して用いられたか、使用痕跡である光沢面タイプから石器が用いられた対象物である推定被加工物を求める、あるいはこの灰釉陶器はどの窯跡群の生産物か、土器の形・色・技法・胎土等の肉眼観察により産地を推定する)、答えが明らかな資料(実験資料あるいは窯跡出土資料)を用いて、その確からしさ(信頼度)を確かめるわけである。

「しかし、経験的な方法であるため、判断の基準となる属性やその属性の範囲については、研究者間で客観的に共有することが難しい面も持っている。この肉眼観察による産地同定法は、ある程度の確率で産地同定結果が正しいだろうと予測しているが、どの程度正しいのかという判断は極めて難しかった。
そこで、肉眼観察法によって産地同定を行う場合、現在の方法がどの程度産地同定に有効であるのかを確認し、肉眼観察による産地同定を今後どのような方法で進めることがその精度を高めることになるのか、そして、判断基準となる有効な属性やその幅を明らかにしていくことを目的にブラインドテストを行った。」(1.)

ブラインド・テストは、計3回行われている。第1・2回は、猿投窯・幸田窯・二川窯・宮口窯計30点の灰釉陶器がテスト対象である。2回目のテストは、1回目のテストの後にレクチャー付きの資料見学を行った後になされている。1回目の平均正答率は63%、資料毎の最高正答率は80%である。2回目の平均正答率は67%、資料毎の最高正答率は75%である。すなわち3点につき1点は産地を誤認する可能性が高いこと、典型的と思われる資料ですら4・5人に1人の研究者は誤認する場合があるということが示された。
3回目のテストは、1・2回目のテストによってある程度の違いが認められた猿投窯と二川窯の資料40点を用いて二択のテストが行われた。最も正答率が高かった回答者でも正答率は85%に止まる。正答率が100%の資料がある一方で、半数以上の回答者が誤認している資料も存在する。

産地を識別する際に、「胎土」の質感が、最大の手掛かりであるという、中世灰釉陶器という特殊な事情も作用しているだろう。

「これまでの3回のテストで明らかになったのは、分類属性については、「胎土」と「色調」を使い、緻密か荒いか、白いか暗いかという基準で判断している場合が多いということである。問題は、各観察者がこの属性の幅をどのように認識しているかという点であるが、これを言葉で表すことは難しく、今後、各観察者がどのような幅を設定しているかを検証できる方法を考えることが必要である。」(14.)

こうした検証作業が求められているのは、何も土器の産地推定方法に止まらない。かねてより指摘されているのは、石器資料の母岩識別(個体別分類)である。

「個体別分類の操作自体についての疑問の一つは、その方法が職人芸的な伝承によって流布していることに止まり、旧石器時代の調査を担当する者が広く共有できる方法として客観的に提示されていないことである。個体別資料は今や旧石器時代研究の基礎的方法論となった観があるにもかかわらず、分類の客観化やこれをめぐる議論が現状でほとんど行われていないところに疑問を感じざるを得ない。」(池谷 信之1996「愛鷹・箱根シンポジウムの研究史的意義」『愛鷹・箱根山麓の旧石器時代編年収録集』:115.)

今から15年も前にこうした具体的な疑念が提示されているにも関わらず、事態を改善しようとする動きは一向に見られない、ある意味でタブー視されているとしか思えない、消極的な対応は一体どうしたことだろう。

一方で、「個体別資料分析法を基礎とした石器群の形成過程研究が、”人”(個人)の抽出、認定のための理論的な研究であると考える」(及川 譲2011「坂下報告へのコメント」『石器文化研究』第16号:92.)という意見も表明されているが、そのまま受け取るには「基礎とした」という手法に関する評価、すなわちブラインド・テストによる信頼性の提示が欠かせないだろう。


nice!(2)  コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 2

コメント 8

ハシモト

母岩識別とは、ふたつの破片が同じ母岩から分かれたものかどうか、ということでしょうか。
by ハシモト (2011-02-12 14:34) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

「南関東地方の諸遺跡では、通常、互いの視覚的弁別に有利な複数の石器石材が同時に遺跡内に遺存する傾向があり、しかも、剥片剥離過程の部分的過程をそのままその場に残すことが多い。この特徴を利用して、遺跡内出土の大部分の石器を石器原材(母岩)ごとに分け、さらにそれを剥片剥離過程単位(=個体別資料)に区別し、その遺跡内での遺物集中単位ごとの分布を調べ、それと、良好な接合資料の剥片剥離過程の順序と方向を組み合わせることにより、具体的な遺跡内での人間行動の復元と解釈に接近した。その方法は、きわめて革新的であり、かつ合理的であったため、砂川遺跡の研究以降爆発的に増加した旧石器時代の発掘調査例にも支えられて、急速に全国的に流布し、現在においても一般的かつ斉一的な分析方法となっている。」(佐藤宏之1992『日本旧石器文化の構造と進化』:21.)
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2011-02-12 16:30) 

ハシモト

南関東の遺跡でかなり優れた方法も、ほかではそうもいかないことがままあるということかと思いますが、表わし方次第ではないでしょうか。

「かねてより指摘されているのは、石器資料の母岩識別(個体別分類)である。」

およそどのような指摘がされてきたのでしょうか。
by ハシモト (2011-02-13 00:14) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

拙ブログ「母岩識別批判(1)」【2005-10-5】~「母岩識別批判(8)」【2005-10-13】あるいは「母岩識別研究の現状」【2006-6-2】・「母岩識別研究の現状(続)」【2006-6-5】などをお読みいただければ、おおよそのところはご理解いただけるのではないかと思います。右上欄「マイカテゴリー」・「石器研究」の項目をクリックしてご覧下さい。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2011-02-13 13:31) 

ハシモト

教えていただいたところを読んでみました。母岩識別(個体別分類)を行う上で必要な留意点を、文章にするとかして共通理解を広げないといけませんね。(方法論の確立と議論)その一方で、材質や痕跡に対する観察眼をいかに養うか、そうした方法のなかにブラインドテストはあるのかと思います。
by ハシモト (2011-02-13 23:11) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

まず接合と母岩識別(すなわち似ているけど接合しない)という2つの事象の性格の違いを明確に認識すること。次に今まで母岩識別という手法を「合理的」としてなされてきたあらゆる理解・解釈を一から見直すこと。さらに付け加えて言えば、こうした根本的な問題を問題としようとしない日本の石器研究の現状を見据えること。こうした検証のプロセスの一環としてブラインド・テストも位置づけられることでしょう。

by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2011-02-14 22:00) 

田中正治郎

初めてこのブログ?にアクセスしました。かつて20年以上埋文に係っていた者です。
 
 貴殿の存在を知り、強く心を打たれました。日本考古学は・・・


by 田中正治郎 (2016-02-10 20:23) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

拙ブログを御覧頂きコメントを寄せて頂き有難うございます。朝の街を歩きながら「一人で蜂起は出来るだろうか?」と自問していました。答えは「出来る」でした。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2016-02-11 10:10) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0