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石製龍頭 [雑]

ソウル駅から地下鉄4号線で4つ目二村駅で降りてすぐ巨大な国立中央博物館が見えてくる。1階南側の考古館を通り抜け、歴史館二つ目の「渤海室」に入る。部屋の中央に据えられたガラスケースには、周囲からスポットライトを浴びる巨大な「石製龍頭」が。そのキャプションには「石製龍頭 渤海 8-9C 上京城 複製(レプリカ) 日本東京大所蔵」と。

7・8人の小学生のグループを教師らしき人物が説明を加えながら引率していた。彼/彼女たちは国立中央博物館ですら立派なレプリカしか見ることのできない無念さをどのように説明するのだろうか。そしてそれを聞く子供たちは、「日本東京大所蔵」という文字をどのような思いで見るのだろうか。

その東京大学の「デジタルミュージアム(電脳博物館)」には、当の「石製龍頭」がダンボールの上に無造作に置かれた画像が。記されたキャプションによると、「1933・1934年に東亜考古学会によって調査された。」

1000kmを隔てる<もの>と<もの>との相互関係。そこには<もの>に関与する<ひと>たちの相互関係が浮かび上がる。その<ひと>たちには、<もの>を見る<ひと>から様々な媒体に書く<ひと>、それを読む<ひと>、実際に携わる<ひと>など様々な立場の<ひと>たちがいる。

「数年前になるが、広く市民に向けて考古学の研究動向を伝える特集が組まれたある雑誌において、イスラエル、ナチス・ドイツ、中国、北朝鮮などの国々における考古学が、いかに領土問題をはじめとする国家イデオロギーに動員されているかが強調されていた(田中琢1997「ナショナリズム」、穴沢咊光1997「世界考古学の系譜」『AERA Mook 考古学がわかる』)。しかしながら、戦前の日本の考古学がそのような対象になることは決してない。支配の道具としての考古学に対する深い省察がないために、現在の自己に対する盲点が生じ全体像の把握に困難をきたしているとしか考えられない。それゆえ、植民地時代の歴史学の検証こそは、現在の日本歴史学のありかたそのものを問うことにもなると思うのである。」(李 成市2004「コロニアリズムと近代歴史学 -植民地統治下の朝鮮史編修と古蹟調査を中心に-」『植民地主義と歴史学 -そのまなざしが残したもの-』明治大学人文科学研究所叢書、刀水書房:86.)

「私事に亘つて恐縮ではあるが、筆者は谷井氏辞任後の朝鮮総督府博物館に赴任したものであつて、前任者の労苦と多忙さとをつくづく味うことができ、その功績の偉大さを忍ぶと共に、その遺業を達成できなかつた不甲斐なさを痛感したのである。」(藤田亮策1959「谷井済一評議員の逝去を悼む」『考古学雑誌』第44巻 第3号:74.)

「遺業」(死後に残した事業)であり、決して「偉業」(偉大な事業)ではないはずなのだが。

「人生の晩年になって自分の一生をかけて信じてきたものを、そんなふうに簡単に否定するなんて。若いうちだって自分の間違いを認める事は難しい事なのに、ましてや年を取ると人間はますます頑固になる。今まで築いてきた自分の立場や面子もある。それでもやっぱり自分が間違っていたと認める事ができるなんて、そういう人間は偉い。」(よしなが ふみ2003『愛すべき娘たち』:118.)

東の「石製龍頭」に対して、西の「慶陵武人像」。
同じような問題が的確に記されている以下の文献(黒尾和久2006「京大保存『慶陵武人像』に何を語らせるべきか」『古代史の広場』木村茂光先生還暦特別編、東京学芸大学歴史学研究室日本古代史ゼミ)が重要。但し入手困難なのが残念。

柄谷行人氏曰く
「環境問題は未来の人たちとの対話、戦争責任は過去の人たちとの対話」。

<もの>を通して<ひと>を語る考古学は、これまでどのような対話をしてきたのだろうか。
そしてこれからしていくのだろうか。


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コメント 10

は?

渤海上京城の資料が京城にあるべきだと?
現地主義でも現地国主義ですらも、大韓ナショナリズムの手先じゃん
by は? (2010-04-08 20:33) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

重要なのは、過去の植民地支配の歴史を克服し和解へ至るという課題を共有できるかどうかだと思います。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2010-04-09 19:59) 

硝子

すごくデリケートな問題ですので、私のような半端者がコメントするのは憚られますが、「よしながふみ」の漫画からの引用があったので思わず書き込んでしまいました。伊皿木様。『愛すべき娘たち』を読まれたのでしょうか(ひぇー)。この作家が漫画家にしては(というと語弊がありますが)高学歴だと知ったのはつい最近のことです。登場人物に法曹関係者が多いのも道理だったわけですね。
記事を拝読して真っ先に想起したのがルネ・シェレール『歓待のユートピア 歓待神礼讃』(安川慶治訳 現代企画室 1996)です。以下、帯から引用。

「人はなぜ、自分と異なる者を排除せずにはおかないのか?」

「歓待=攪乱的なるもの、反時代的なるもの、国家理性に抵抗するもの-外国人に対する不寛容は、まさしく今日的な現象である。そう、歓待は廃れてしまったのだ。現在の世界において、歓待とはほとんど狂気の沙汰、痴愚を意味しているのではないだろうか。ほとんど世界中のいたるところで、人々の頭を占めているのは、庇護権から国籍法まで、あらゆるかたちで歓待を制限することである…」

という観点から古代ギリシャ、ローマの哲学者からカント、フーリエ(が著者の専門)、J・ジュネ&G・フローベール等が論じられています。10年以上前に出版された本ですが、購入したのは先日で、実はまだ未読です。読むのがすごく楽しみです。伊皿木様は御存知でしょうか。長文失礼致しました。
by 硝子 (2010-04-11 18:42) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

コメントそしてルネ・シェレール1996の御教示ありがとうございます。
それにしても、過去の人たちと対話ができない考古学研究者というのは何なのでしょうか? 戦争責任、侵略責任という過去に。
本人たちは対話をしているつもりなのでしょうが、傍から見れば、その過去とは自分にとって都合がいいだけの過去といった独善的なもののような気がします。例えば、「先史中心」といった、あるいは「政治と切り離された学問」といった・・・
文化財返還に代表される侵略責任に対して、どのような対応を示すかによって、そのひとの対話している「過去」の質が明らかになるように思われます。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2010-04-11 21:38) 

硝子

閑古鳥の鳴く拙ブログにコメントを頂き有難うございました。
ルネ・シェレールの名を初めて見たのはやはり10年以上前、柄谷行人・浅田彰が編集顧問だった今は無き「批評空間」という雑誌でしたが、最近改めてYながFみと共にネット検索してみた結果、両者共に意外な事実が判明して興味深かったです。ルネ・シェレールが映画監督のエリック・ロメールの実弟だったとは(E・ロメールの本名はモーリス・シェレール)…思わず「ええっ!!」などと大声をあげてしまいました。

by 硝子 (2010-04-12 22:31) 

時代というもの

あなたのおっしゃることは理解できます。しかし、仕方のないことでは?19世紀から20世紀前半は帝国主義の時代でしょう。どの国も領土を広げ、その力のない国は植民地化されました。それを善悪で判断できるものではないと思います。私の叔父は、陸軍の司政官(占領地の民生を司る役職)でしたが、敗戦後進駐してきたイギリス軍にデング熱で高熱を発しているのに、強制労働させられ、戦病死しました。これは、遺族にとっては、どう解決したらいいのか。どう心の整理をつけたらいいのか。勝った国だから、負けた日本は何も言えない。理不尽なことをされても何も言えない。私の実家には名刀が何本もありましたが、戦後米軍が残らず持って行きました。恐らくアメリカで売買されたりして向こうにあるはずです。家重代の名刀が、あっさり接収され、アメリカに・・・。
こうしたことは、時代のなせる業であって、その流れには一個人はもちろん国家も抗しきれないものです。あなたがどう感じるかは、自由です。ですが、日本だけが悪かったという史観は、正しいものではありません。
by 時代というもの (2010-08-20 06:46) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

あなたのおっしゃることも理解できます。私も日本だけが悪かったとは思いません。しかし19世紀から20世紀前半における日本が悪かったことは確かです。日本だけが悪くないことが、すなわち日本が正しかったことにはなりません。
お言葉ですが、「時代のせいで仕方がなかった」と諦念する時局迎合、奴隷的な精神はこの際キッパリとお断り申し上げます。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2010-08-20 19:15) 

時代というのも

それでは伺いますが、なぜ日本が悪かったのでしょうか。その根拠と論理を教えてください。日本だけが悪くないと書きましたが、それならアメリカは、イギリスは、オランダは、フランスは?あなたは、そうした国々に堂々モノ申しているんでしょうか。はっきり批判なさったら如何です。あなたたちのやったことは間違いだったと・・。それも言えないで、自国の罪ばかりあげつらう。あなたのような人を自虐史観者といいます。そういう人は、日本では通用しても、海外では全く通用しません。あなたはかぶれた自称知識人ですよ。
by 時代というのも (2010-08-20 20:17) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

お褒めに預かり、光栄です。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2010-08-21 07:40) 

時代というもの

言葉では何とでも言えますね。ごまかさないでください。さあ、早く、日本が悪かったという証明をしてみなさい。私は、あなたのような自虐主義史観の人間に身震いが来ます。嫌ならさっさと日本を出て、あなたのよしとする国に行けばよい。高尚ぶったことを言う資格は、あなたにはない。
by 時代というもの (2010-09-22 12:43) 

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