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鈴木ほか編2009『遺跡が語る東京の歴史』 [全方位書評]

鈴木直人・谷口 榮・深澤靖幸 編 2009 『遺跡が語る東京の歴史』 東京堂出版

「現在、東京都内には五七〇〇箇所を越える遺跡が確認されています。毎年開発に伴う調査によって新しい歴史のひとコマが発見され、東京を舞台とした歴史の面白さ、重層性、意外性を私たちに物語ってくれます。しかし、そのような新しい発見が一般の人に広く知れわたっているかというと、必ずしも肯定できるような状況ではないようです。」(編者「刊行にあたって」)

冒頭から、<遺跡>問題的には??である。

「素粒子がアトム的存在の実体ではなく「場の状態」であるのと同様に、<遺跡>は自己同一性を有した実質的本体ではなく、あくまでも大地に記された存在の様態なのである。私たちは、そのような特殊な「場の状態」を指して<遺跡>と称しているに過ぎない。それゆえに、<遺跡>なるものは不可算的(アンカウンタブル)な存在なのである。実体的な<遺跡>概念から諸関係の総体であるリゾーム的な<遺跡>概念へ、視点の変更が必要である。」(五十嵐2007「<遺跡>問題」『近世・近現代考古学入門』:249.)

しかしアンカウンタブルな<遺跡>を前提としたならば、こうした企画自体が成立しなくなってしまうだろう。それにしても、<遺跡>がカウンタブルであることに何の疑問も感じていないことに、あるいは<遺跡>がアンカウンタブルであるとの指摘に対していささかの配視も感じられないことに、<遺跡>問題が「一般の人」どころか、考古学の専門家にすら「広く知れわたっているかというと、必ずしも肯定できるような状況ではないようです」との指摘を重く受け止めざるを得ない。

「東京における考古学上の数々の発見は、日本の考古学の発展に寄与してきた。」(8.)

勿論そうだろう。しかしそれは「東京」だけではないはずである。埼玉でも千葉でもあるいは高知でも鹿児島でも「日本の考古学の発展に寄与してきた」だろう。果ては朝鮮半島や中国大陸における「数々の発見」すらも。

考えなければならないのは、「東京」という行政単位で区切る意味、それを「日本の考古学」という単位に投影する意味である。
繰り返し「語ら」なければならないのは、「語る」のは<遺跡>ではなく、私たちである、ということである。

「遺跡の種類は、包蔵地や集落が多いが、縄文時代の貝塚などは武蔵野台地の縁辺部の(に?)集中し、市部では確認されていない。」(9.)

ここで使用されている「包蔵地」という言葉は、<遺跡>の行政用語である「埋蔵文化財包蔵地」の省略形である「包蔵地」の意味ではなく、「遺物散布地」と同義の意味で用いられる「東京」独特の使用法である(「包蔵地」という用語【2009-05-28】参照)。
なんと、まぎらわしい!!

「江戸城を中心として旧江戸市内を江戸遺跡として把握しつつあり、発掘調査も進められている。東京都の埋蔵文化財行政の特徴のもうひとつは、この江戸遺跡の存在であろう。」(10.)

総論で述べられている「江戸遺跡」と各論で述べられる各遺跡、例えば「国立近代美術館遺跡」(55.)や「明治大学記念館前遺跡」(56.)、「神田上水」(128.)との相互関係はどうなっているかという点が気になるところである。そして「神田上水」という項目では、なぜ「遺跡」という用語が付されていないのか、という点も気になるところである。
しかしこんなことが気になるのは、私ぐらいなのだろうか?

全般的には原始(旧石器・縄文・弥生)、古代(古墳)、中世、近世、近・現代が、都心部、多摩地域、東京低地部、島嶼部に満遍なく配置され、所謂「非断絶史観」に基づき、手堅い編集である。
残念なのは、「近・現代」と「近現代」という表記が秩序なく使われているといったことのほか、あちこちで誤字が散見され信用を損なっていることである。


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