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「黒曜石が開く人類社会の交流」 [研究集会]

日時:2009年11月7日(土)・8日(日)
場所:首都大学東京 南大沢キャンパス 講堂小ホール
主催:文部科学省科学研究費基盤A「黒曜石の流通と消費からみた環日本海北部地域における更新世人類社会の形成と変容」研究グループ

「本シンポジウムでは、日本列島の代表的な黒曜石産地に注目し、後期旧石器時代を中心とした先史時代における黒曜石の採取から利用・消費・流通・廃棄に到るこれまでの研究を概観し、そこから今後の黒曜石研究の課題と問題点を浮彫させることを目的としている。そこで、各地の第一線で活躍されている研究者にお願いして、研究の現状と課題を展望してもらうこととした。」(佐藤宏之・出穂雅実「シンポジウムの開催にあたって」)

諸事情により、2日目の最後の方しか参加できなかったのだが・・・

トランスカルパチア、北海道東部、北海道西部、東北地方、関東地方北部、中央高地、九州島、南九州という地理的区分による報告。
5年にわたる研究期間の初年度ということが盛んに述べられていたが、来年度は欠落地域の補充がなされて総合化がされるということなのだろうか。

しかし外部から見ていると、「黒曜石研究」というのは既に他の研究分野に比べて過度に資金も人的エネルギーも投入されている領域という感がする。
ここ最近に限っても、2001年度からは文部科学省学術フロンティア推進事業「石器時代における黒耀石採掘鉱山の研究」がなされ、明治大学黒耀石研究センターが設立され、『黒耀石文化研究』が刊行され、学術フロンティア推進事業では、考古、地形・地質、中部高地、環中部高地、黒耀石研究の理論と方法、情報総合化の6つのサブグループが活動し、2004年9月にはOSIW(Obsidian Summit International Workshop, Meiji University Session)が開催され、2006年からは明治大学古文化財研究所で新たな学術フロンティア推進事業「環境変遷史と人類活動に関する学際的研究」がスタートし、『蛍光X線分析装置による黒曜石製遺物の原産地推定』という大部の基礎データ集が刊行され、「原産地推定が明らかにする社会構造とその変化」を副題とするこれまた大部の個人的な著書『黒曜石考古学』も刊行され、長野では毎年「黒曜石フォーラム」というシンポジウムが開催され、・・・(以下略)。

一つの石器石材を主題とする研究にこれだけのエネルギーが集中的に投下されているという現状こそ、一つの研究課題となりそうである。
iPS細胞やナノテクノロジーやゲノム解析といった研究に匹敵するような何かが黒曜石にある?

「黒曜石が開く人類社会の交流」(Obsidian, Interaction, and Society)などと聞くと、どうしても思い出してしまうのは、1991年に神奈川県平塚市から出土した「ある石器群」についてである(五十嵐2003c「相模野旧石器編年における王子ノ台石器群の不可視性」『考古論叢 神奈河』第11集)。この「特異」な事例を抜きにしてObsidianのInteractionもSocietyも語れないのではないか、と思ってしまうのだが。

「私たちが哲学書を読む際に気をつけておくべきこと。どんな事例を用いるのか、どんな具体例を出してくるのか。例えば、途方もなく複雑怪奇な理論を積み上げていながら、結局のところ机の上のコップについてしか議論していない哲学者がいたりするものだ。ときには対立し、互いをくそみそに罵りながら、お互いにコップについてしか議論していないという悲惨なケースもある。どっちのコップの分析が正しいかなんて知ったことではない。我々は理論的な立場や政治的な信条の如何にかかわらず、彼らの思想を哲学的コップ学派と読んで片づけてしまおう。なぜなら我々の誰もがコップについてあれこれ知るために、分厚い書物を手に取り、晦渋な議論に耳を傾ける必要になど迫られていないからである。数時間にわたってコップについてあれこれ語り合うシンポジウムなど迷惑以外の何ものでもないだろう。実際、ダメな奴ほどコップについて語りたがるものであり、コップが例として出てきた時点で本を閉じても何ら支障はないし、「ここにコップがあります」という発言が出た途端に席を立って一目散に会場を後にしても全く失礼には当たらない。保証はしないが断言はする。」(澤野雅樹2009『ドゥルーズを「活用」する!』彩流社:197.)


タグ:黒曜石 研究
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科学研究費は殺人鬼の道具だ。

日本に科学研究費はいらない。科学研究の名のもとに、日本の大学職員は暴力や横領などやりたい放題をやってきた。日本の学者どもは科学研究費を強奪して裏金にしてきたし、その裏金で暴君のように学生の人生を破壊してきた。学生の就職を破壊したり学生の結婚を破壊したり、日本の学者はありとあらゆる暴虐を科学研究費で犯してきたのだ。スパコンの開発なんてとんでもない。公務員と学者がてめえに都合のいい犯罪を犯しながら、学生と卒業生を支配し虐待するだけだ。科学研究費をなくさなければならない。
by 科学研究費は殺人鬼の道具だ。 (2009-11-20 19:44) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

「[68年]5月の末にある学会でアルバイトをした。スライド投影やカーテン開閉の手伝い、その時、学問ってずいぶんつまらない、と考えたことだけは覚えている。十分か十五分刻みでつぎつぎに研究発表が行なわれて行く。「まだ余り進んでいませんので、前の学会に出したものとほとんど同じで恐縮ですが」と前置きする人もいる。ここに出されている研究の全てが半年も一年もかけるだけの値打ちがあるとは、私には思えなかった。・・・どこそこから掘り出した何々という岩石の磁性は・・・。・・・ホホウ、それではあっちも調べてみましたか? いいえ、そこまでは・・・じゃ、かなり誤差は大きいですな。はあ、××パーセントですね。今度は・・・を使ってみるとおもしろいでしょうな。これはまだだれも手をつけていませんから成功すれば・・・。
文学は飢えた子どもらの前で何ができるか、とサルトルは言ったそうだが、それでは科学は飢えた子どもらの前で何ができるのか? ・・・この半年間ベトナムでは人が殺され続けていたのだぞ。その前だってずうっと。日本でだって労働者や学生は闘い続けて来たのだそ。血を流してきたのだぞ。そのあいだじゅう、研究室で自分の研究を思い続けていられるなんて! 私は、彼らがテレビの報道にジダンダを踏み、新聞の記事に涙を浮かべる姿を想像しようとしてみた。が、どうしてもできなかった。」(大原紀美子1969『時計台は高かった』、小熊英二2009『1968<上>』717.より重引)
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2009-11-20 21:12) 

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