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「隔離の記憶を掘り起こす」 [研究集会]

国立ハンセン病資料館 2009年度企画展「隔離の百年 -公立癩療養所の誕生-」
第1回シンポジウム「隔離の記憶を掘り起こす -全生病院「患者地区」を囲んだ「堀・土塁」-」

日時:2009年9月27日(日) 13:30~16:30
場所:国立ハンセン病資料館 映像ホール(東京都東村山市青葉町)

「ハンセン病資料館は、この「堀・土塁」を対象にした考古学的調査を実施し、埋もれていた歴史的物証を現代に蘇らせる事業を計画している。そして資料館活動を支えてくれる多くの方々とともに、全生病院開設の際に「患者地区」と「職員地区」、療養所の「内」と「外」を分け隔てる境界に、なぜ大規模な要害の敷設が必要だったのか、改めて考えてみたい。そんな機会を、近い将来に得るための努力と交渉をしばし継続したい。」(黒尾和久2009「「隔離の百年 -公立癩療養所の誕生-」の開催にあたって」『隔離の百年 -公立癩療養所の誕生-』:5.)

土地を掘り込むマイナス痕跡である堀や溝、あるいは土地を盛り上げるプラス痕跡である土塁や土手、様々な壁、生垣など、こちらとあちら、内と外を隔てる障壁。
すぐに思い浮かぶのは弥生時代の環濠集落や古墳の周濠。しかしそれだけではない。
江戸城の内堀や外堀、刑務所に聳えるコンクリート壁、外国では万里の長城からベルリンの壁まで、身近な所では発掘現場周囲の鋼板塀やB型バリケードからオートロックのマンションまで、土地を区画して内と外を隔てる装置は人類の始めから現在に至るまで、連綿として続いている。

「堀・土塁」の考古学。

その規模や大きさ、厳重さなどは、製作者(設置者)が隔てたいと考える物事に比例していると考えていいだろう。更に言えば、外から内への侵入、内から外への脱出をどれだけ防ぎたいと思っているのか、その「恐れ」のような心象が形となって表現されている。

人が人を分け隔てる、分け隔てたいという目で見ることのできない私たちの心が、目に見える土地痕跡として私たちの足もとに刻まれている。
私たちは、それらを今、どのように取り扱おうとしているのか。
再び目に見えるようにして心に刻むのか、それともなかったことにして素知らぬ顔をし続けるのか。

人が人を分け隔てるのに、外見が最も大きな役割を果たす。
身体的損傷、皮膚の色、美醜など。
何を美として、何を醜とするのか。
同じように土地痕跡についても、何を発掘すべき対象として、何を対象としないのか。
何を光として、何を影としているのか。
問われているのは、現在の私たちの心である。
地下に埋もれている「隔て」の痕跡を再び可視化する計画が難航している、という。
現在の私たちの心の「隔て」が、実際の行為(行政的不作為)として表明されている。


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