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小薬2009「縄文生活」 [論文時評]

小薬 一夫 2009 「縄文生活 -あるいは縄文スローライフ-」『東京都埋蔵文化財センター研究論集』第25号:1-22.

「コンビニで何でも手に入る時代、物が有り余る現代社会。そんなぬるま湯の中で、スローライフだ、エコだなどといっても縄文人には笑われてしまうのかもしれないし、自然を守ろうとか自然保護という立場は、単なる強者の言葉の様にしか聞こえない。私たちは自然の中で貪欲なまでに生き抜いてきた縄文人の生きる力を、縄文人からのメッセージとして受けとめ、次の時代に何を残すことができるのか、何を語り継がなければならないのかを問い続けていきたい。あえて、スローライフという言葉に期待を込めて。」(19.)

そして、「春は山菜」として若菜摘み、潮干狩り、土器作り、火口と油、「夏は漁」として川漁、植物繊維、漆、「秋は実り」として木の実、貯蔵、根茎澱粉、栽培植物、サケ、「冬は狩り」として狩猟、薪と茅、編物という「縄文の村」の四季が印象深いカラー写真と共に語られる。

山菜や川魚を採り、周囲に存在する自然素材を十二分に生かした生活、こうした「生活の復原」を読めば読むほど、このことこそが考古学という学問の本来の目的ではなかったのかという思いがする。

「われわれの望むところは、さきに述べたようにみずからの方法をもってそれらの資料を活用して、当時の人間一般を復原しようということである。文字の存在する時代にせよ、しない時代にせよ、既定の史実を傍証するのではなく、このようにして過去の人間に対する認識を深めていこうとする考古学、これを理解の考古学と呼ぼうと思う。
(中略)
もっと言葉を進めていえば、それらの事件の実体は、実は人間の生活自体の中にあったはずではないであろうか。人間の生活と無関係な事件は、幾たび起きても泡沫のように消えていく。しかし、一般の人々の生活は絶えることなく厳粛に継続されている。ところが、このような人間生活の探求へは、そしてこのような歴史学へは、考古学の道は大きく開かれている。そして、なさねばならぬ仕事が多く横たわっている。個々の遺物の探査から生活全体の復原へ。さらに各時代を通じての理解は、やがて人間を深く洞察する教養をわれわれに与えるであろう。考証の考古学から理解の考古学へ。それは追従の考古学から創造の考古学への道でもある。」(杉原荘介1956「生活の復原」『日本考古学講座』第1巻 考古学研究法、河出書房:222.)

そしてここに描き出されたような生活は、決して縄文時代に限られるようなものではないだろう。
8世紀から10世紀にかけての南武蔵においても、あるいは17世紀の江戸において埋立工事が行なわれていた時にも、そして21世紀の現在においてすら、「文字の存在する時代にせよ、しない時代にせよ」、こうした生活はきっと何処かでなされてきたし、なされているに違いない。

「今は亡きドネラ・メドウズとともに「スロー・ダウン」と言おう。生態系を危機から救う人とは、まずその生態系を楽しむ人だろう。問題を解決できる人とは、答えを生きている人であるはずだ。森を楽しむのには時間がかかる。生きることは時間がかかる。食べて、排泄して、寝て、菜園の世話をして、散歩して、子どもたちと遊んで、セックスをして、眠って、友人と話をして、本を読んで、音楽を楽しんで、掃除をして、仕事をして、後かたづけをして、入浴をして。スロー・フード、スロー・ラブ、スロー・ライフ。近道をしなくてよかった、と思えるような人生を送りたい。」(辻 信一2001『スロー・イズ・ビューティフル -遅さとしての文化-』平凡社:32-33.)

毎日発掘と報告書作りに追われている「日本考古学」。
スロー・アーキオロジー。
いったい、何のために掘っているのか?

「新幹線が走る。海の底に、山の中にトンネルができる。川をせき止めてダムができる。農地を壊して空港ができる。しかしそれらはほんの始まりにすぎなかった。その後三〇年間に世界中のインダストリーは働きづめに働いて、とうとうオゾン層に穴を開け、地球を温暖化するまでになった。多田の言い方を借りれば、これもみな、「早く走ろうとか、この山がじゃまだとかいう、産業社会のなかにある貧弱な構想力の延長」だろう。それに対するのに小手先の対応、つまり排ガスの少ない車とか、海上につくる飛行場とか、リサイクルの徹底とか、ではかなわない。「産業社会の基礎にある構想力……そのものを疑う」のでなければならないのだ(「怠惰の思想」)。」(同:132.)

現代社会を規定している構想力を根底から覆すような考古学的な構想力を。
あせらずにじっくりと、追従ではない創造的な第2考古学を、楽しもう。


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二階から目薬

この度は「縄文生活」を取り上げていただきありがとうございます。
 遺跡を掘った、落とし穴も掘った。土器を調べた、集落も調べた。今回の「縄文生活」は、そんないくつかの糸をたぐってきたら何となく自然にここにたどり着いたもの。求めたものではなく、30年たったらそこに「縄文生活」があった。それを第1と呼ぶのか第2考古学と呼ぶのかは知らないが。
 
 人間生活の基本は、いつの時代も「食べること」にある。日本ではさらにそこに四季が加わる。そしてその特徴がもっとも顕著に現れるのが縄文時代。食生活+四季=縄文生活、この図式が今回の論の全て。
 ただし、その根底には、「食べ物は全て生き物である」という前提の認識がなければ成立しない。今はあまりにも加工されすぎてしまい、本来の姿が見えなくなってしまったが、食べ物一つ一つが人間と同等の生き物であるという立場、つまり全ては自然の中にあることに気がつけば、おのずと縄文時代も見えてくるような気がする。
 もちろん、それほど単純な図式ではなく、センチメンタルなアニミズムでもないことも理解している。残念ながら「さあ、今日はみんなでドングリ拾いよ」とバスケットを持って、スキップを踏みながら出かけていくような光景ではないかもしれない。乳幼児の死亡率が高く、平均寿命は20歳にも満たない、そんな縄文人が自然の中で必死に生き抜いてきたであろう社会、それを縄文時代と呼ぶならば、それをを理解するには、まだまだ時間がかかりそうである
by 二階から目薬 (2009-10-10 11:06) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

「二階から目薬」さん、コメントありがとうございます。
「30年たってたどり着いたもの」を読ませていただいた印象は、ここには「私は縄文」とか「あなたは古墳」といった仕切り(第1的な区分け)が意味を持たない世界があるというものでした。そして私の中で、半世紀前のある考古学者の文章と現在のある人類学者の文章が素直に結びついたのでした。
そしてそこから更に考古学という学問が目指すべき方向性といったものが垣間見えてくる気がしたのでした。そうした文章を、もう一つ紹介。
「ぼくが藁の家にこだわるのにはもうひとつの理由がある。それはあの「三匹の子豚」という寓話だ。三匹のそれぞれが建てる藁の家、木の家、石の家。結局頑丈で、安全な石の家をつくった豚が利口だったという他愛のない話だが、ここにぼくはほとんど悪意にも似た西洋中心思想の思惑を感じてしまう。世界中の植民地で、西洋人はこのような寓話を使っては、西洋文明の優位を吹聴し、原住民文化を愚弄してきたわけだ。石をコンクリートに置き換えれば、そのまま近代主義に、そして20世紀後半の開発イデオロギーにうってつけの寓話だ。人口ひとりあたりのコンクリート消費が世界最大の土建屋国家日本では、今でも幼稚園で幼い子どもたちに「三匹の子豚」の劇をやらせている。そうして、コンクリートを崇拝することと、藁と木と紙と土の家に住んだ祖先を愚弄することを教えている。」(辻2001:77-78.)
私たちが、「考古学」という学問を通じて伝えるべきことは何なのか、考えを深めていきたいと思います。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2009-10-10 17:00) 

きのこ採り

今回取上げられている論文を読んでみようかと思い検索してみましたが、どうもWEB上に公開されてはいないようなので、発行元の東京都埋蔵文化財センター(以下、埋文)に問い合わせてみました。図書館なら都立図書館にそろっているとのこと。埋文で閲覧・複写もできるけれども、事前に予約の上、その筋の紹介状が必要とのことでした。

まったく読む手段がないわけではないものの、これではほとんどの人は読めません。WEB公開は検討中とのことでしたので、道筋をつけて早く実現されるといいなあと思います。
by きのこ採り (2009-10-14 13:02) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

中に居る人たちは、ある程度充たされているので、外に居る人たちが中の世界に対して、どのような思いを抱いているのか、殆ど想像力を働かせることもなければ、働かせようと思うことも少ないように思われます。折角苦労して書いても、それがほとんどの人が読めない媒体ならば、自己満足と言われても仕方がないように思います。都民や市民のうち、「その筋の紹介状」をストレスなく入手できる人々がどれほど居るのでしょうか?考古学の世界においても「国民が主役」というキャッチフレーズが現実のものとなるよう願わずにはいられません。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2009-10-14 21:46) 

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