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黒尾2008「試論・画家と戦争記憶」 [論文時評]

黒尾 和久 2008 「試論・画家と戦争記憶 -今井繁三郎氏の従軍体験を手がかりに-」『豊島区立郷土資料館研究紀要 生活と文化』第17号:43-53.

「ある時、出土した近現代遺物の整理作業のかたわら、何気なく『豊島区立郷土資料館 常設展図録』を手にしたところ、山手通り地区の北隅「D区」に該当する場所に、「アトリエ村」の所在を示すシンボル「●」がおちていることに気づき、驚いた。」(43.)

ある場所を発掘する。思いがけない痕跡が見出される。あるいは当たり前の痕跡が見出される。あるいは見たこともない、訳がわからない痕跡が見出される。こうしたことは、発掘調査に携わる私たちにとって日常茶飯事である。しかし人によって異なるのが、そうした痕跡群からどれだけ多くの語り(ナラティブ)を引き出すことができるか、あるいはできないかである。こうした部分に、その人の考古誌家(アーキオグラファー)としての力量が如実に示される。

引用した冒頭の一文には、いくつか注目すべき点が記されている。
第1に、「出土した近現代遺物の整理作業」をしていたという点。
第2に、「何気なく『・・・常設展図録』を手にした」という点。
第3に、「・・・気づき、驚いた」という点である。

ここから、誰もが(本人も)思いもしなかった世界が繰り広げられる。
しかしここでは、指摘した3点に関連して、若干のことを述べてみよう。

第1に、普通「近現代遺物」は現場において回収すら行われず、廃土と共に産業廃棄物として処理されてしまう。しかしここでは丹念な出土位置の記録化と共に、丁寧な「近現代遺物の整理作業」が行われていた。現在入手しうる限りの地図類(耕地整理関係図、東京府区郡町村区分全図、迅速測図原図、陸測図、事情明細図、戦前住宅地図、火災保険特殊地図、戦後復興図、そして公図など)を収集し、検出された遺構と照合する。こうした地道な作業を通じて、検出された近現代遺構の意味が次第に明らかになってくる(豊島区遺跡調査会2006『長崎並木Ⅰ -東京都豊島区・長崎神社周辺遺跡(山手通り地区-(関)SJ53工区-)の発掘調査-』)。

第2に、近現代に関する土地痕跡の履歴を明らかにするには、考古学のみならず、関連しそうだと思われるあらゆる領域にアンテナを張って、資料を捜し求めなければならない。探し続けて、もう駄目かもと諦めかけた時に、「何気なく、手にした」何でもない資料から、思わぬ手掛かりが得られることがある。それは単に人から教わって身につくといったものではない。ある部分その人の感性とでも言うべき持って生まれたものが大きく作用しているようだ。

「近現代を対象にした考古学調査の特徴として、原始・古代という遠い過去を対象とするのと違って、「場所・物」に特定の「記憶」が結びついていることが少なくない。それは、これまで考古学者が体験したことのない事態との遭遇と言えるかもしれない。
だからこそ、一見、「無毒化」された「奇麗なもの」に映る、今回提示した遺物群に対しても、それらが「空襲被害」の物証であるかぎりは、私たちは、そこから血なまぐさいものを感じとらなければならない。不燃物として遺存した遺物群の背後に人の肉が焦げる臭いすら想起されるべきで、焦土と化すという事象の本質はそのように凄絶であるだろう。」(渋江芳浩・黒尾和久2007「補助第172号線(西池袋地区)遺跡試掘調査(その3)概報」『豊島区文化財年報 2005(平成17)年度』第5号:59.)

第3に、そうしたことに「気づく」という注意力・柔軟性、そして気づいた時の「驚き」。それは経験しないと理解して貰えない類のものかも知れない。<遺跡>から出土した「おぞましく、不気味なアンプルのようなガラス製品」について、そうした「驚き」をまとめた論文を時評したことがあった(「前山2005」【2006-03-08】)。

「池袋モンパルナス」あるいは「長崎アトリエ村」として知られていた一画が調査対象地に含まれていたことを契機に、洋画家・今井繁三郎氏の足跡と作品を追い、画家が生涯を通して伝えたかった想いとは何か、従軍画家として戦地での見聞を確かめ、画家としての、そして自らを含む「日本考古学」を学び研究する者としての「戦争責任論」の構築へと至る。

「「あなたと戦争の関わりの内実は?」。この問いに対して多くの「戦中派」の日本人は応答せず、沈黙を保ってきたし、「戦後派」は、その追及を怠ってきた。(中略)
戦争責任論が構築されなければならないのは、今井が描いた「慟哭」する少女を現実のものにしないよう過去を省み、現在を生きる知恵を得るための方策だからである。」(黒尾2008:51.)

私たちは、発掘という様々な土地痕跡を明らかにする行為を通じて、過去に生きた人々から「呼びかけ」られるという経験をする。
どのような痕跡に対して、どのような応答をしているのか?
どのような痕跡が、忌避されているのか?

考古学者としての、というより現代に生きる研究者としての力量とは、ある特定領域に対する「深さ」と共に、「広さ」、そして何よりも何を追い求めているのかという「質」であることが痛感される。


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アヨアン・イゴカー

>「近現代を対象にした考古学調査の特徴として、原始・古代という遠い過去を対象とするのと違って、「場所・物」に特定の「記憶」が結びついていることが少なくない。それは、これまで考古学者が体験したことのない事態との遭遇と言えるかもしれない。<

今後の新しい考古学とはどうあるべきか、どの方向に向かってゆくのか、その未来にはなにがありうるのか、いろいろと考えさせられます。
by アヨアン・イゴカー (2008-05-11 01:23) 

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