SSブログ

加地2008 『穴と境界』 [全方位書評]

加地 大介 2008 『穴と境界 -存在論的探求-』 春秋社、現代哲学への招待

前著『なぜ私たちは過去へ行けないのか』(2003 哲学書房)以来、第2考古学的関心領域に微妙に抵触する数少ない哲学者の最新作である。

「私たちの足元に、多くの<穴>たちが広がっている。
 それぞれの<穴>は、どのような経緯で、そこに穿たれ、そして埋まっているのか。
 それらの<穴>には、どのような性格の違いがあるのか。」
 五十嵐 2006d 「遺構論、そして考古時間論」:64.【2006-12-12】

あからさまに「穴ぼこ論」と銘打つ勇気がなく、「遺構論」などという無難で素っ気無い論題を付したが、こうした文章を冒頭に掲げたからには、是非ともチェックを入れざるを得ない著作である。

「私は目下の課題として、「もの」を中心とした存在論、いわゆる実体主義的存在論を現代的な形で再構築するということを試みている。そしてその課題のもとで穴と境界を眺めたとき、それらは「ものもどき」ともいうべき微妙な性質を持っている。穴と境界は、持続的に存在する全体的対象と考え得るという点で実体的性格を有するが、しかしある種の存在論的依存性から免れ得ないという点で、完全な実体とは言えないからである。その結果として、穴と境界の存在論的性格について考察する作業は、いわば「ものの限界」に「その外側から」迫っていくという意義を持つことになる。」(iii-iv)

「そもそも」という「ものごと」の根源に遡って考えることを目的としている第2考古学としては、だからというかそれゆえにというか、たとえどんなに手強くともチャレンジすべき対象なのである。

「世界は穴で充ち満ちている。しかし他方、穴ほど「存在感」のないものも珍しい。穴など存在しない、少なくとも「実在」しない、と言いたくなる要因は山ほどある。穴を穴たらしめる一つの本質的要件は、そこに何もないということである。穴は無によって存在する、という逆説的構造がそこにある。また、穴が存在するとすれば、それは時空間の中に存在する以上、「具体的な対象」であるはずである。しかし、それは「物理的な対象」すなわち「物体」であると言えるだろうか? むしろ物体の欠如によってこそ穴たり得るのだとすれば、やはり物体とは言えないのではないか。もしも言えないとすれば、穴の存在を承認することは、「非物理的な具体的対象」の存在を承認するということになる。現代に生きる多くの物理主義者にとって、そのような穴という存在者は容認しがたいものであるはずだ。」(34-5.)

考古学の世界も穴で充ち満ちている。いや、ほとんど穴だらけといってもいい位だ。
竪穴に、横穴。土坑という名の様々なそして、雑多な穴たち。
しかし、そうした穴を哲学的に、すなわち根源的にそして存在論的に考察した文章は、今まで(少なくとも日本語では)無かったのではないか。そうした意味でも、頗る重要な著作である。読み通し、理解するのも、頗る困難であるが。

一般的に「穴」と呼ばれている対象を3つに区分する。
1つ目は考古学的に一般的な「穴」、すなわち地面を掘り窪めた「穴」を「(表面の)窪み」(superficial hollow)、2つ目は「(貫通する)トンネル」(perforating tunnel)、3つ目がピンポン球のような「(内部の)空洞」(internal cavity)という3種類の「穴」である(99.)。
上下四方の6方向で考えれば、5方向が閉ざされ1方向に開口しているのが「窪み」であり、4方向が閉ざされ2方向に開口しているのが「トンネル」となる。6方向全て閉ざされているのが「空洞」である。
「空洞」となるために一平面が必要とされるのが「窪み」であり、二平面が必要とされるのが「トンネル」であり、「基本的には、空洞が穴の最も典型であり、(通常の)窪みやトンネルは、平面の付加によって空洞となり得るという点で、空洞の同類としての穴だと言える」(80.)ということになる。

そして「穴は回るか」「穴とは何ものか」という問いに、執拗にそして深く関わっていく。
「「そんなの考え方次第だ」「どちらでもよい」という声がただちに聞こえてきそうだが、本書では、そのような回答への誘惑には、常に最後の最後まで抵抗するという方針を採用する。
その理由は、まず第一に、一見どれほど些細に見える問題であっても、そこにいささかでも何らかの哲学的意義が潜んでいる可能性がある限り、徹底的に問い詰めていくことが、哲学的態度というもののひとつの重要な側面だと考えるからである。若き日のラッセル(B. Russell)がブラッドリー(F. H. Bradley)の言葉を引用しながら述べているように、哲学(形而上学)とは、「明晰に考えようとする、異常なまでにしつこい試み」という特徴を持つ独特な人間的営みなのである。どの程度「明晰に」考えられるかはわからないが、少なくとも「しつこく」は考えてみようと思う。」(46.)

本ブログにおいてもしばらく、出来る範囲で「しつこく」「穴問題」をトレースしてみたい。


タグ:存在論
nice!(1)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 1

コメント 1

アヨアン・イゴカー

私が読みかじったトポロジーのような議論が展開されるのでしょうか。どのような方向に思考が発展してゆくのか、興味津々です。第二考古学がどのようなものを目指しているのか、一つでも具体例を知りたいと思います。
by アヨアン・イゴカー (2008-05-17 01:06) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0