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歴史教育と考古学 [研究集会]

第1回シンポジウム 歴史教育と考古学
日時:2008年2月4日(月) 13:00~18:00
場所:東京学芸大学
共催:東京学芸大学・日本考古学協会

2006年4月に設置された日本考古学協会社会科教科書問題検討小委員会による第1回目のシンポジウムである。日時が日時だけに参加者の人数は、江戸研大会の半分ぐらいだろうか。

小委員会設置の目的として以下の3点が掲げられている。
1) 教科書策定の基準とされている、文部科学省制定『学習指導要領』の問題点を明らかにし、その改訂を求めていく。
2) 現況の歴史学習の実態を検証し、より適切な内容となるよう提言していく。
3) 原始・古代はもとより中・近世以降においても、歴史学習の素材として考古学の研究成果が有効であることを提示していく。

4本の基調報告、7人のパネラーの方々によるパネルディスカッションを聞いて、ある種の安堵と不安を同時に抱え込むような気がした。それは歴史学サイドからのパネラーの方々がいずれも現代社会と密接に結びついた視点から教科書問題、特に考古学における記述の在り方を問題にされていたことである。こうした視点が確立していない限り、単に考古学の記述が削除されたとか記述が復活したとか、あるいは旧石器・縄紋の記述が7行だったのが10行になったといった「失地回復運動」(レコンキスタ)に留まってしまうだろう。そして考古学サイドからは、こうした意識(歴史認識)があまり感じられなかったことである。

ある社会学者が、ものごとを考えるときに大切な3つの要素を挙げていた。
視点、すなわち「どこを見るか」
視野、すなわち「どれだけ見るか」
視座、すなわち「どこから見るか」

考古学は今まで「文字などの記録では知ることのできない人々の生活や、決して一律ではない地域の豊かな歴史と文化をいきいきと物語り、その成り立ちを理解する」ことを最大の目標としてきた。そのため、過去それも「先史」に「視点」の中心が置かれ、「視野」は「編年研究」を基盤とするものに限られてきた。

「だから、「開発」による遺跡の破壊・荒廃が年を追って激しくなっても、旧紀元節が「建国記念の日」という名で復活しても、神話が石器時代をおしのけて教育の場に踏み込んできても、単なる古物への愛好、遺跡への親しみは、なかなか有効に反撃する力にはなりにくい。」
(近藤義郎・木村祀子1969「訳者はしがき」『考古学とは何か』:ii.)

「日本考古学」における「社会科教科書問題」は、私たちが「どこから、何を、どれだけ見ていたのか、見ているのか、見ようとするのか」、「誰に向って何を語っていたのか、これから語ろうとするのか」を問う重要な契機となるだろう。
今までは過去の事象、例えば縄紋時代や古墳時代ばかりを扱ってきた「日本考古学」が、現代社会が提起する諸問題、例えば土壌汚染問題やデジタル・データのアンケート調査やさらには調査組織の民営化問題あるいは<遺跡>問題へと、自らの視座を踏まえて、視点と視野を転換する重要な局面に立っていることを感じざるを得ない。

ということを述べたのだが、どこまで意が通じたか甚だ心許ない。


タグ:歴史教育
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高木明成

こんにちは。
多分、通じてはいないと思います。多くの考古学研究者は、社会の変革などには興味がない。興味があるフリをしている人はいるが。建て前論ばかりで、現実などおかまいなし。本で知った考え方や事を頭の中の引き出しに一杯詰め込んで、その都度、都合の良いことを引き出しから取り出して、言葉を変えて、自論とする。時には、反論したりして。
考古学の成果とは何か。所謂一般の人にとっては、縄文土器の施紋が原体RLがLRだろうが関係がない。何式土器なども関係がない。
埋文の広報?担当者が「マッチやライターでなくても火が起せるということ」
都埋文の展示ブースを見学に行ってみれば。
専門家の思い上がりや理論家の妄想では何も変わらない。
by 高木明成 (2008-02-11 10:09) 

五十嵐彰

「吾が考古学界では、総ての学者が良き「役者」たらんむことを志し、誰一人として「見物人」たる事に満足しない。従つて舞台では、見物人なしの芝居が、満員の俳優で行はれてゐる。編集者は最近の二年間を ―前の一年は遠く離れて、後の一年は病に籠つて― 偶然の機会から、一個の見物人として過してきた。この見物人は最早や謂ふ所の学界の現役に居ないかも知れない。けれども現役を退いて間もない見物人として、舞台に接近して椅子を占め、全役者の所作を親しく観てきたのである。ある学者は奔馬の勢で書きなぐつて、奔馬の速力を計算に入れやうと努力してゐるし、又他のある学者は、其の一言一句を、鉄砲を肩にあてるための心配で埋めてはゐるが、肝心の的は一向に忘れてゐる。其間にあつて、稀に、正しく昨日をとり上げて今日を擁し、そして明日を見通す達識の学者もある。編集者は是等の賑々しい有様を見て感想を綴り、考古学の時評として、本誌第四巻から発表して見たいと思ふのである。
編集者は嘗つて一言した如く、善意に従つて誉め悪意に従つて蔑し、或は善意をもつて悪口し悪意をもつて褒めるが如きは、共にその時評に際して採らざる態度である。又ランプを評するためにランプを理解せず、単に椅子の観念から出発するの滑稽さを避けたい。只願ふ所の一事は科学批評の良き役割を果したいばかりである。
最後に、編集者は、人の好んでなさざる批評的態度を辿ることによつて、幇間の如くには迎へられないことを自覚し自ら警めるのである。この世俗の煩しさに侘しさを感ずれば感ずる程、筆硯の清浄さを保ちたいものである。」
森本六爾1932「考古学の時評に就て」『考古学』3-6:198.
by 五十嵐彰 (2008-02-11 18:30) 

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