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江戸遺跡研究会第21回大会 [研究集会]

江戸遺跡研究会第21回大会 近世江戸のはじまり
日時:2008年2月2・3日
場所:東京・池袋(東京芸術劇場)
主催:江戸遺跡研究会

21回目ということは、21年目ということなのだろうか。ということは、私の考古学人生とほぼ同い年ということである。1980年代の半ばは、六本木の外れで、初めて出会う近世と近現代の出土資料と格闘しながら青春を費やしていた。

「近世江戸のはじまり」という主題に対して、「近世江戸」以前の側から、すなわち「中世江戸」という視点から、やや控えめな表現として「若干の抵抗感」が示されていた(渋江芳浩2008「考古学から見た「江戸」成立前夜 -中世後期の山の手台地を中心に-」『近世江戸のはじまり[発表要旨]』:13-36.)。
「中世江戸」は、「近世江戸」に比べて、圧倒的に影が薄い。単なる一地方の村落群に対する天下の幕府所在地、発掘調査事例・出土資料の圧倒的な格差、それに応じた専門研究者の数の違いなどなど、その要因は多岐にわたるだろう。

「以前」に見られるのと同じようなことが、「以後」にも認められる。
「近世江戸」を考えるには、以前である「中世江戸」を、そして以後である「近現代東京」を考えなければならない。
しかし「以前」に見られることと異なることが、「以後」には認められる。
それは、「近現代東京」は「近世江戸」を引き継ぎ、継続して帝国の首府として世界史的により重要な位置を占めたこと、「近世江戸」の上に築かれた「近現代東京」は、考古学的な堆積原理からすれば「近世江戸」の発掘調査事例と同等ないしはそれ以上の調査事例がなければならないはずである。しかし、報告事例が圧倒的に少ないのは何故なのか。

「どのような過去を排除するのか、どのような過去を対象とするのか。存在しなかったことにされているのは、どのような痕跡で、それはなぜなのか。私たちが繰り返し執着しているのは、どのような痕跡で、それはなぜ好まれているのか。」(五十嵐2008「「日本考古学」の意味機構」:30.)

基調報告の冒頭では、今回の大会テーマを設定するにあたり、従来の枠組みを見直し、新たな方向性を模索したものの時期尚早ということで見送られたという、具体的な討議内容が判然としないかたちで簡単な経緯が紹介されていた。
「江戸」という特定の時代の「江戸」という特定の<遺跡>を対象とした研究会が、積み重ねてきた成果を今後どのように生かしていくのか。そしてそうした成果を踏まえて今後どのような方向性を目指していくのか。それには、学問としての考古学に止まらない、「日本考古学」すなわち埋蔵文化財行政システムとの関係性、さらには21世紀の後期資本主義社会における文化資源戦略までをも見据えた議論が必要となろう。

「大規模発掘の時代は終わったと言ってよいだろう。確かにトラストの最初の20年間は、ヨークの考古学にとって黄金時代であった。なぜなら、大規模発掘がこの都市についての膨大な考古学的知見をもたらしたからである。しかしながら1990年代は、考古学的資源を破壊することなく利用することのみが許されるという、より責任の重い時代となっている。発掘に関する新しくより選択的な手法が、新たな理論的アプローチの必要性を促すことになる。たとえばレーダーなどリモート・センシングによる非破壊的な方法、遺跡・モニュメント記録の作成による今あるデータの再活用、コンピュータによる予想モデル化、GISの利用などに重きがおかれることになるだろう。」(レンフルー&バーン2007:538-9.)
1972年に結成された、イギリスの地方都市ヨークに関係する考古学組織の連合体「ヨーク考古学トラスト」初代会長ピーター・アディマン氏の言葉である。

今からでも遅くない。
「江戸-東京<遺跡>」の調査・保存・研究に関して、都内に所在する各種の調査組織・行政機関・学校教育・博物館・大学考古学研究室・考古学研究団体などが、それぞれのノウハウを相互に生かし情報を共有し協力しあえる協議会的な組織を早急に立ち上げる必要がある。
現場レベルの昨今は、組織横断どころか関連する領域の叡智を集約して対処しなければどうにもならない、一刻の猶予も許されない危機的な状況にあると思われるのだが。


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