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日本情報考古学会第23回大会 [研究集会]

日本情報考古学会JSAI) 第23回大会

日時:2007年3月24日(土)・25日(日)
場所:奈良先端科学技術大学院大学 先端科学技術研究調査センター
資料:『日本情報考古学会 講演論文集(第23回大会)』Vol.3(通巻23号)2007.

第1部:考古学・文化財科学データの解析
1:三辻利一・福永信雄「生駒西麓遺跡群出土土器の蛍光X線分析」(1-6)
2:青木智史・出川哲朗ほか「唐三彩研究におけるTL法を用いた多角的アプローチ」(7-14)
3:中園聡・松本直子ほか「土器製作者同定への試論 -蛍光X線分析を用いて-」(15-18)
4:池平壮峻・中園聡ほか「土器製作者同定のための弥生土器ハケメのマッチングに関する基礎的研究」(19-22)
5:川宿田好見・中園聡「土器製作における身体技法とその痕跡 -製作者の同定を目指して-」(23-26)
6:矢島祐介・櫻井準也ほか「後期旧石器時代の石核データの計量分析 -行動考古学の可能性-」(27-32)
第2部:情報管理およびシステム
7:耒代誠仁・戸根康隆ほか「木簡解読支援システムの改善に向けた取り組み」(33-38)
8:南部俊輔・佐藤宏介「RFIDを用いた作業映像の記録・管理システム」(39-44)
9:鷹田陽介・金谷一朗ほか「考古調査情報共有のための写真ブラウジングシステム」(45-52)
第3部:遺跡・文化財の時空間情報
10:石川正敏・原正一郎ほか「位置情報作成システムの設計」(53-58)
11:杉山三郎・福原弘識ほか「テオティワカン遺跡におけるAutoCAD三次元測量地図の作成」(追加配布資料)
12:近藤康久・大杉千春ほか「地域スケールで遺物分布を解析するためのデータベース設計とその問題点」(59-66)
13:魚津知克・福井亘ほか「GIS・GPSの分布調査への活用と考古学研究へのフィードバック」(67-72)
14:山口欧志「3次元遺跡情報の実践的活用」(73-78)
15:角田哲也・大石岳史ほか「バーチャル飛鳥京 -複合現実感技術による遺跡の復元-」(79-86)
*:奈良先端科学技術大学院大学千原研究室「バーチャル平城宮」(デモ発表)
第4部:情報考古学の社会性を考える
16:杉本豪・五十嵐彰「デジタル情報に関する個人アンケート調査2006報告」(87-92)
第5部:先史・古代への計量的アプローチ
17:植木武・吉野諒三ほか「宮城県の縄文貝塚 -各期集計-」(93-98)
18:竹内啓二「陪塚としての位置情報による主墳(前方後円墳)」(99-108)
19:西村淳「古墳築造における古韓尺の使用について」(109-114)
20:中島睦夫「我国の古代王権と倭の大乱(1)」(115-124)
21:石井好・永井康寛「ホケノ山古墳の疑問」(125-130)

「先端科学技術大学」で、最先端の研究を見てきた。

踵に付けた指標を取り込んで、歩行動作をマルチスクリーンにリアルに再現する「バーチャル平城宮」。朱雀大路をぐんぐん歩き、向こうから奈良人たちが歩いて来る。朱雀門も大極殿もばんばん突き抜ける。平城宮外縁における断崖絶壁のような「宇宙の果て」が、印象的であった。
ウエアラブルなコンピュータを用いてアウトドアで複合現実感(MR:Mixed Reality)を実現した「バーチャル飛鳥京」。ゴーグルをかけると、CG画像が作り出した川原寺など様々な建物群が、現代の風景の中に浮かび上がってくる。当日の太陽光線を取り込んで、「各方向の光源強度を表す輝度パラメータ」を求めて、再現する建物に陰影を付ける。これは、すごい。

「先端」技術は、凄まじい勢いで進展している。それは、それで大変なことだ。私などは、「最先端」どころか、「最後尾」近くにいるものだから、話されている内容の半分も理解できない。しかし「後尾」付近にいるからこそ、「後尾」にいるであろう数多くの仲間の思いもよく判る。「先端」を走っている人びとは、こうした「先端」にいない人たちがどのような状況にいるのか、どのような思いでいるのかについて、詳しく知らなければならないのではないか。それが、杉本・五十嵐2007「デジタル情報に関する個人アンケート調査2006報告」(87-92)で伝えたかったことである。

また一方で、「最先端」-「最後尾」といった評価軸とは異なる有り様、「玉-石」軸とでも言おうか、「精-粗」軸とでも言おうか、そうした問題が歴然として存在していることを確認した。

「こうした北欧の寒冷対応人が、6000年前以降には連続的に本邦に流入するようになったのである。こうした北欧の寒冷対応人の中から縄文列島に流入し、5500年前に山内円山遺跡(ママ)に移住するグループが出て来たのである。彼らは、三内丸山の地にあって1500年もの間、彼らの生活史を記録し続け、農業に、漁業に、彼らの首都防衛に、そして交易を通じて国内の各地を束ねて国家経営の基礎を築いた。こうした行政的な手腕が、1500年も青森の地に持続出来たのは、古代の海人族の持っていた厳しい軍律を伴った軍隊組織の存在なくしては、成立し得なかっただろう。海人族の海兵隊は、厳しい選抜基準で選ばれた屈強な兵士の集団であって、航海に出ない間は、基地で厳しい武闘訓練を受けていた筈である。それでいながら、一方で柔軟な交渉力を兼ね備えた商人の顔も持っていた。それは大王の交易行政官としての業務であった。また海兵隊の徴兵検査に落ちた若者は、夏涼しい新潟、長野や岐阜の山間部にあった匠の村などで芸術品のような木工品や火炎土器の製作にあたっていたことも考えられる。また匠の村でも、たまたま大型の若者が誕生すると、名誉の出征ということで海兵隊に入隊させてしまうような社会であったかも知れない。」(中島2007:118.)

書き写していて頭が白くなってくる。この後さらにエスカレートした内容が延々と続く。
24日に開催された「日本情報考古学会総会」の席上では、『講演論文集』に関する査読制度導入が論じられていたが、「時、既に遅し」の思いを抱かざるをえない。学会としての致命傷と思われる。


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コメント 2

あかねだ

情報考古学会があったのですね。
全く失念しておりました。

近所で開催されて、結構面白そうな発表があったのに、残念です・・・。

>「先端」を走っている人びとは、こうした「先端」にいない人たちがどのような状況にいるのか、どのような思いでいるのかについて、詳しく知らなければならないのではないか

同感です。そして何ができるのか・・・。
by あかねだ (2007-03-26 23:15) 

五十嵐彰

ようこそ、あかねださん。
是非、【ACT考古学】に参加して下さい。一人でも多くの方の参加を望んでいます。多くの困難が予想されますが、御一緒に「日本情報考古学白書」の作成に向けて、力を合わせていきましょう。まず、第一歩から。
by 五十嵐彰 (2007-03-27 21:00) 

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