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金子(昭)2007 [論文時評]

金子 昭彦 2007 「遺跡誌学の提唱」『貝塚』物質文化研究会、第62号:29-38.

「“遺跡誌学”をここに提唱する。遺跡の発掘調査-整理-報告書作成の一連の過程とその結果を対象とする学問のことである。」(29.)

すごい名前の学問分野が、提唱された。
あちこち引っかかる箇所が、沢山ある。

「考古学にはない、発掘調査だけの特殊事情もある。」(30.)

「発掘調査」というのは、「考古学」という学問の一部、それも重要で主要な部分を構成しているのではなかったのか? 

「考古学を学んだことがなく、そして興味もない、派遣されてきた教員が、調査員として、この仕事に従事しているという現実がある。実際にできているのだから、この仕事は考古学とは別物ということになる。」(30.)

「考古学を学んだことがなく、そして興味もない」人が、発掘調査をすることが可能であれば、どうしてそのことが発掘調査と考古学とが「別物ということになる」根拠になるのか、理解困難である。学んだことがあろうとなかろうと、興味があろうとなかろうと、そしてそのような人が発掘調査ができようとできまいと、発掘調査は、考古学の主要な方法なのではないか。直前には、そのようなことが記されているにも関わらず。

「「考古学は、遺跡の発掘調査によって確認された事実関係を基礎とする科学」(矢島2001:p.115)という一歩踏み込んだ意見も出された。」(29.)

どの点が「一歩踏み込んだ」点なのか、よく判らないのだが、こうした意見は、現在最低限の共通理解なのではないのか?

何よりも、「遺跡誌学」なる名称を新たに「提唱」するのなら、最低限隣接学問で積み重ねられてきた「民族誌学」を巡る分厚い議論(【20070315】など)を参照すべきではないのか? しかし本文あるいは「引用・参考文献」を通覧する限り、そうした痕跡を認めがたい。もし、少しでもこうした成果を考慮したのなら、少なくとも「理念の6」として「客観的であろうとしていること」(32.)といったナイーブな言説は、披瀝されないだろう。

そもそも<遺跡>という用語自体が、問題含みであることは、繰り返し述べてきたところでもあり、ある意味脱力感におそわれる。

「<遺跡>が疑う余地のない確固とした実体であるという信念が、現在の考古学秩序を支えている。<遺跡>なるものは、客観的に存在しているわけではない。考古学的実践(調査対象地を発掘し、考古誌を作成し、論文を発表し・・・)を通じて構築される様々な考古学的諸関係の一要素なのである。<遺跡>とは、現代社会における様々な葛藤の中から必要に応じて生産され用いられている「記号」である、という認識が必要である。」(五十嵐2005a「遺跡地図論」『史紋』第3号:104.)

「ここは、文化(社会)人類学における民族誌になぞらえるのが最も適切と思われる。“遺跡誌”という言葉を使った所以である。」(31.)

そもそも「遺跡誌」なる日本語をイギリス語に訳すとなると、どのような言葉になるのだろうか? だから民族誌(エスノグラフィー)になぞらえるのに、適切な言葉は考古誌(アーキオグラフィー)なのである。

「すなわち考古学的な実践の場である発掘調査およびその成果を掲載する報告書の作成作業は、考古学の民族誌学である「考古誌学」とも言えるのである。考古誌的表象(発掘報告書の記載)は、どのようなものであるべきか? 今後は、考古学という学問の基盤を形成している考古誌(発掘報告書)というテクスト内部の検討が要請されている。考古誌(発掘報告書)の分析(史料批判)、そして調査現場(フィールドワーク)とのフィードバックを通じて、考古誌(報告書)を「書くこと」、考古誌的記述の意味が問われている。すなわち結果だけではなく結果に至る過程をも明らかにし、さらには報告者が「客観性」を通じて表明している「主観性」をも解明していく史料批判が必要になるのである。」(五十嵐1999e「旧石器資料報告の現状(Ⅰ)」『東京考古』第17号:30.)

「他人の報告書を批判して、わざわざ投稿するような酔狂な人間がいるだろうか。」(33.)

どうやら、私は「酔狂な人間」の一人にされているようだ。
その時から数えても、既に8年が経過した。
日本考古学は、今や、その根幹を問い直す時期に至っている。


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KOSHIKAWA

こんばんは、面白い記事がたくさんありますね。大変関心を持ちました。
ところで、第2考古学という名称は、2つめの考古学という感じであまり意味がつかめないのではないでしょうか。
私自身が意味をよく理解していなかったらすみません。しかし、説明を読む限りでは、第2考古学ではなく"「考古学」研究"としたほうが、名称と意味の理解がしやすいと思いますがいかがでしょうか?
では、またお邪魔します。
by KOSHIKAWA (2007-04-02 00:45) 

五十嵐彰

ようこそ、KOSHIKAWAさん。
「第2考古学」という名称の評価については、賛否両論、というより私にとっては、やや「否」という意見を目にすることが多いのです。そして私としては、私が目指している営みについてのネーミングについて、おっしゃられる「考古学」研究でも、あるいは「メタアーキオロジー」でも、「考古学の考古学」でも、何でもいいのですが、そもそもの事の始まりが、日本考古学における「編年研究」の唯我独尊状態という特異な状況の打開あるいは最低限その認識の共有化という点にありましたので、まずは「第1考古学」の「第1」たる由縁を解き明かすための「第2」の提示という意図がありました。
どうぞ、今後ともご贔屓に。
by 五十嵐彰 (2007-04-02 07:35) 

KOSHIKAWA

私のたわ言に丁寧に返答してくれましてありがとうございます。名称はどうであれ、考古学についての考えについては賛成できる点がおおいにあります。私は考古学を勉強している立場なので、度々覗かせていただき勉強したいと思います。
では、今後もよろしく。
by KOSHIKAWA (2007-04-08 00:29) 

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