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2008 『長嶋遺跡』 [考古誌批評]

東京大学埋蔵文化財調査室 2008 『長嶋遺跡』 東京大学埋蔵文化財調査室報告書8
東京大学三鷹構内の遺跡、東京大学三鷹国際交流会館建設に伴う発掘調査報告書

1992年から1994年にかけて三鷹市新川6丁目で行なわれた調査のうち、旧石器時代に関する発掘調査資料を抽出して作成されたものである。
1996年から1997年にかけて三鷹市新川4・5丁目で行なわれた調査で、旧石器資料に関わる報告(東京都埋蔵文化財センター1998『島屋敷遺跡』東京都埋蔵文化財センター調査報告第55集)を担当したものとして、大変身近に感じる報告である。

まず目を引くのは、「宙に浮く垂直分布図」である(12-15.18-42.)。
「土層断面図の記録がなく、石器群の検出層準ははっきりしない。」(10.)

以下はまとめの文章(阿部 敬「長嶋遺跡の旧石器時代石器群」)の冒頭の一文である。
「旧石器時代の遺構と遺物は、1次調査A区、2次調査C区/D区、3次調査E区/F区の計6地点で検出された。」(195.)
ところが、第Ⅰ章 第5節「調査区と層序」の文章では、
「旧石器時代の遺物が出土したのがA区、B区、D区、F区である。」(4.)

ん? 4頁のB区はC区の誤記であろう。
しかし、E区というのは?

195頁の記載では、E区は「石器集中数1、礫群数1」となっている。しかし何と「石器数 不明」である!
6頁の「第2図 グリッド配置図」を見ると、E区とされた箇所では調査区外に広がる石器集中が1基表現されている。
しかし、事実記載では、全く抜け落ちている!
第Ⅳ章は「D区の石器群」で、第Ⅴ章は「F区の石器群」である。落丁ではない。
いったい「E区の石器群」は、何処にいってしまったのだろうか?
そして報告書抄録の「石器集中部 13」というのは、どのような計算式による結果なのか、皆目見当がつかない。

「現在の研究状況は既に特定器種の組み合わせに偏重した段階論から大きく離陸し、国武の議論に代表されるように、産地の異なる複数の石材の消費傾向を広域的に検出し、その消費過程の関係態から移動・居住システムの実態を明らかにする方向へと向かっている。この分析領野において重要視されている方法論のひとつとして、砂川遺跡の遺跡構造研究を嚆矢とする石器群の分析がある。いうまでもなく、そこでは徹底した個体別資料化と搬入・消費形態の同定が必須の分析項目となっており、これを果たすことなしに研究が進展しないかのようにみえる。このことに関して、しばしば遺跡報告書に盛り込まれた情報の不完全さに落胆する声が聞こえるが、しかし現況において本当に必要なことは、どこまでも徹底した情報精査というよりも、精粗まちまちな情報群を同一の条件で平準化するための作業仮説と方法論の選択である。」(阿部 敬2008:203.)

「現況において本当に必要なことは」、細部に拘泥した詳細な報告ではなく、全体の正確なデータの提示ではないだろうか。そしてこれは個人的な希望なのだが、ここで繰り広げられている議論の前提となっている既報告資料、例えば東京天文台構内遺跡の母岩識別の結果をできるだけ早く公表してもらいたい。それでなければ、いくら議論を積み重ねても、常に振り出しに戻るような気がする。

「母岩識別不可資料群が存在しない(全点が何らかの母岩に識別される)という「砂川型」母岩識別方法が旧石器資料報告者において何ら疑問も呈されずに用いられている現状に対して、できる限り慎重であるべきと考える。」(五十嵐2002b「旧石器資料関係論」『研究論集』第19号:58.)


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コメント 2

阿部

こんにちは。
長嶋遺跡についてのコメントを拝読しました。可能な範囲で回答させていただきます。

「A区の土層断面図」ですが、これは調査中に記録したはずだったけれども、整理作業にあたってかなり時間をかけて探索したもののなぜか見つかりませんでした。

「4頁のB区はC区の誤記であろう」については、その通りと思います。

「何故、E区の石器群」に関する記載が欠落しているのか?」ですが、この調査区では台帳と座標の記録はあったのですが、回収したはずなのに見つからない遺物が多く、遺物があっても台帳に層位の記載がなかったり、土層断面図もないという状態でした。また、調査時の所見で後世の撹乱があったという情報もあり、結果的に信頼性を大きく欠く資料と判断されたため、報告に至りませんでした。

全体としてみると、資料と記録情報の管理ミスが大きく影響したと思います。しかし、それにしても、これらの状況を読者にきちんと分かるように報告する義務が私にあったことは確かです。この点、五十嵐さんの仰るように「全体の正確なデータの提示」を心がける姿勢を欠いていました。
ご指摘とご批判を真摯に受け止めて、今後の取り組みに生かしたいと思います。


by 阿部 (2009-03-09 19:44) 

五十嵐彰(伊皿木蟻化)

応答ありがとうございます。
私も前任者が調査した資料を整理し報告するという経験が何回かありましたので、自分が調査していない資料を報告する際に生じる特有の困難さについては、よく理解できます。ですから省みて思うのですが、その際に大切なのは、どこがどのように分からないのか不明なのかを、できるだけ提示するという姿勢なのではないでしょうか。しばしば困難ではありますが。
「回収したはずなのに見つからない遺物」というのは何点で全体のどれくらいなのか、「遺物があっても台帳に層位の記載がない」資料は何点なのかといったことです。そして今回「報告しない」という最終的な判断に至った根拠、「結果的に信頼性を大きく欠く」とは、いったいどのような状況だったのでしょうか。
捏造問題に関連して以前の記事【2008-09-25】の末尾にも記しましたが、「なかったことにする」というのが、最悪の対処方法だと思います。
今一つの論点である母岩識別問題については、五十嵐2002b「旧石器資料関係論」あるいは本ブログにおける関連する記事、例えば【2005-10-05】~【2005-10-13】や【2006-06-02】などを御覧いただいて改めてご意見お聞かせ頂ければ幸甚です。
こうした作業を通過することによってはじめて、「しばしば遺跡報告書に盛り込まれた情報の不完全さに落胆する声が聞こえる」といった段階から、先に進めるのではないでしょうか。
by 五十嵐彰(伊皿木蟻化) (2009-03-10 17:40) 

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