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土井1989「第三世界の考古学は、世界の考古学変革のための新しい推進力たりうるか」 [論文時評]

土井 正興1989「第三世界の考古学は、世界の考古学変革のための新しい推進力たりうるか -ペドロ・パウロ・アブレウ・フナーリの論稿から-」『歴史評論』第474号:86-92.

「フナーリの論稿の目的は、ブラジルの考古学研究の具体的な個々の成果を要約することにあるのではなく、その考古学研究の水準の低さを自覚しつつ、研究の現実の主要な特徴、学問的訓練としての意味、そのイデオロギーとしての社会的役割を考察し、それが知的な革命的な道具として、第三世界の前途に、潜在的な新しい推進力として作用しうるか、その両者の関係を模索しようとするところにある。」(87.)

ある事情から手元にある所蔵誌を見直していて、見出した論考である。
1980年代後半にブラジル考古学に関する論考が『歴史評論』という雑誌に紹介されていた!
私を含めて殆どの人が気にも留めずに「スルー」していた。
しかしその提起する問題は、「日本考古学」において決して看過できるものではなかったはずである。

「これまでの考古学的活動では、上流階級の保守的イデオロギーを反映して、一般の民衆は「よごれた、野蛮なもの」とされてきた。このようなイデオロギー的ねじれから考古学を解放しようとする動きが、1960年代にまずイギリスであらわれた(たとえば、M. Shanks and C. Tilley, Re-constructing Archaeology, Cambridge, 1987, PP.40,46,47,51~57,62を参照)。この運動はヨーロッパ、アメリカに影響をあたえたが、しかし、なお資本主義的価値を支える役割を果たしていた。70年代から80年代にかけて、欧米の研究者の間で、考古学とは何か、どうあるべきかという問題がさらに深く追究され、「アカデミックな考古学は、支配者と被支配者との間の関係を再生産するために奉仕している広汎な文化論の一部として作用していた」(M. Shanks and C. Tilley, Social Theory and Archaeology, Cambridge, 1977, p.189)という反省がなされ、批判的考古学の創造という問題が提起された。そのモットーは「考古学は、それが文化批判でなければ無意味である」(M. Shanks and C. Tilley, op.cit.)であり、「すべての考古学の主題は過去における今日の世界を再現する」(I. Hodder, Introduction to M. Shanks and C. Tilley, Re-constructing Archaeology, p.XVI)であった。つまり、過去をそれに応じて組み立て、社会の変化をさぐり、未来の創造のための諸行動を目的とするなかで、過去への関心を取扱うのが批判的考古学なのである。」(89. *引用文では一貫して「M. Shanks」が「M. Shanke」となっていたが、勝手に修正した。)

1980年代後半にシャンクス&ティリーの、そしてホダーのプロセス考古学、そして批判考古学が歴史系雑誌を通じて日本に紹介されていた!

「このような西ヨーロッパの批判的考古学には、他に二つの特徴がある。このような見解の考古学者の多くは、フェミニスト的、労働者階級的、原住民的ということである。彼らは複数主義を要求しており、考古学界におけるヒェラルヒー的な権威への真向からの挑戦という第一の特徴がみちびき出される。第二の特徴は、批判的考古学は「仕事の方法ではなくて、生活の方法である」という言葉で表現されており、社会的不公平、圧迫に挑戦するだけでなく、「確立された権威と明白な真理」に対する闘争をおこなうことにある。それ故に、批判的考古学は、「権威」によって無視され、憎悪され、迫害される。」(89.)

正に今の世界考古学会議(WAC)の在り方を述べているようである。
「日本考古学」がもう少しこうした動向に注意を払っていたならば、その後の「捏造問題」についても違った展開を示していたのではないか。

「もちろん、この第三世界の考古学の試みはまだ孤立しているが、潜在的にではあるが重要な革命的道具として作用している。それは周縁地域の特殊性、その本来的な非覇権体制、第三世界的な社会政治的背景に由来すると彼はいう。それ故にこそ、周縁の考古学は中心の考古学に鋭い批判的な洞察をあたえることができ、考古学の再建に対する最大の推進力になることができるのである。」(90.)

もちろん日本はブラジルのように第三世界に属していない。しかし欧米考古学のように第一世界の考古学とも隔たっている。ブラジル考古学が欧米考古学と密接な関係を有しながら、第三世界的なアプローチを試みることができるのと、全く異なる環境にある。
果たして「日本考古学」は、欧米のような批判考古学でもなく、ブラジルのような第三世界考古学でもなく、「世界の考古学変革のための新しい推進力たりうる」どのような考古学を生み出すことができるだろうか?


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