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五十嵐2023a 比丘尼橋遺跡C地点T区 [考古誌批評]

五十嵐 2023a『比丘尼橋遺跡 C地点 T区 -外郭環状線の2街路整備事業に伴う埋蔵文化財発掘調査-』東京都埋蔵文化財センター 第376集

比丘尼橋C地点の第4分冊、本日刊行!
C地点の10年にわたる調査はおろか、比丘尼橋A地点以来半世紀の成果もあわせて総括!

「比丘尼橋遺跡」は、練馬区井頭公園あるいは西東京市東大演習林を水源とし和光市と板橋区の都県境をなし荒川水系新河岸川に注ぐ白子川中流域右岸に位置する。
関越自動車道の建設に伴って1970年(A地点)、大泉以北の外環道建設によって1988~1992年、地下調節池の1991年(B地点)そして2014年から2018年にかけて外環道大泉ジャンクション(C地点)本体工事部分の調査がなされた。
本報告は2014年から2022年まで本体工事部分の調査と同時期に同一組織によってなされた附帯工事部分(T区)の調査報告である。

足掛け10年にわたる調査も、この報告によってようやくひと段落である。
一方あれほど急かされた工事の方は、当初東京オリンピックまでに完成させるとしたお題目はもとより今では某陥没事故のため誰も完成時期は明言できないという霧の中である。

十数年前から予定されていた十数軒の移転交渉がどれほど大変なのか目の当たりにしてきたので、突発的な事故による三十軒の移転交渉がどれほど大変なのか容易に想像がつく。

今回報告の「T区」は、2020年報告の本体工事部分(A区~S区・U区)とは、事業者が異なるとして別報告となった。しかし工事としては一体として進められている。単に地図の上で線が引かれているに過ぎない。あるいは現地では本体工事部分(国事業地)は防草シートで被覆され、附帯工事部分(都事業地)は簡易アスファルト舗装がなされているという違いでしかない。一体として報告したかったが、叶わなかった。

「T区」自体も調査対象は僅か700㎡に過ぎないのだが、密集した宅地の除却ないしは増築ならぬ減築後に着手するといった様々な事情から、T1区(2016年)、T2・T3区(2017年)、T4~T7区(2020年)、T8・T9区(2022年)と長期にわたる調査となり、T1区とT2・T3区の二次整理作業は本体工事部分の整理作業の隙間に組み込まれて、T9調査後の整理作業期間には計上されず、非常に変則的でかつタイトなスケジュールでの考古誌作成作業となった。

「比丘尼橋」という名前で報告された石器はおよそ1万点ほど、礫は4万点になる。膨大な数である。
この中には、水晶製石器45点が含まれる。
2016年にT1区として水晶製ナイフ形石器を含む集中部【2-S4】の西側半分を調査した。6年後に残りの東側半分を調査することができた。「これを調査し終えるまでは、現役引退できないね」という関係者からの励まし?とも思える声を背に調査を完遂することができ、念願の水晶製石核も出土した。
9層の局部磨製斧形石器から3層の細石刃石核まで下から上まで一通りの石器たちが出揃った。
4層の斧形石器から、長さ1.9cm世界最小の有樋型尖頭形石器、蛇行剣ならぬ長さ14cm硬質頁岩製蛇行石刃、重さ1kg越えの大形石核まで、滅多にお目にかかれない石器たちにも会うことができた。小さな事では多々あるが、大筋では思い残すことはない。

3月21日に本部で開催された「遺跡発掘調査発表会2022」では、10年間の調査の経過を50枚ほどの画像で振り返りつつその経過をご覧頂いた。10年分の調査を25分の枠内で話すのだから、1年2分の駆け足報告である。まさに夢は、走馬灯のように駆け巡った。



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