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松島・山内編著2020『京大よ、還せ』 [全方位書評]

松島 泰勝・山内 小夜子 編著 2020『京大よ、還せ -琉球人遺骨は訴える-』耕文社

「清野は、京都の寺院に自由に出入りし、経典などを閲覧していたが、1938(昭和13)年6月30日、疑いをもった寺院の通報から寺院からの帰宅途上に警察官による尋問を受け、所持していた鞄の中から経典数十点の無断帯出が発覚し、その後、教室や自宅の捜査の結果、京都市内22寺社の経典630巻、さらに教授室の捜査の結果、1360点の経典類の無断帯出が発覚し、押収された。
清野は、直ちに休職処分となったのち、有罪判決を受け、京都刑務所に収監され、六か月間、服役している(このことが関係し、当時の濱田耕作総長の辞職表明とその後の心労による急死といった開学以来の事態へと発展した)。」(琉球民族遺骨返還請求訴訟弁護団「京大は遺骨を元の場所に返しなさい」:22-23.)

「1928(昭和3)年乃至1929(昭和4)年、京都大学(旧京都帝大)助教授であった金関は、沖縄県今帰仁村運天にある第一尚氏時代の按司らを葬った墓所(百按司墓)を含む沖縄県内各地から、その子孫や門中および地域住民の了承を得ることなく、少なくとも遺骨59体分を持ち出した。
金関が無断で持ち出した遺骨は、「人骨標本」として、京都大学(旧京都帝大)及び台北帝大(現・国立台湾大学。後に金関は台湾大学教授に就任した)に送付された。」(同:23-24.)

共に国立大学教官による窃盗事件である。
この二つの出来事の類似性と差異について考える。

1928年の金関による盗骨では師である清野の指示に従って地元行政・警察関係者を抱き込んでの白昼堂々の犯行である。それに対して10年後の清野は人目を忍んで密かに常習的に持ち出していた。
弟子たちは収集した資料を基にした学位請求論文を作成して栄転していったのに対して、師である帝国学士院賞受賞者は懲役2年・執行猶予5年で免職、京都刑務所に6か月の収監である。

この違いは、何に起因するのか?
金関らが盗んだのは人類学研究の資料としての遺骨であり、清野が盗んだのは経典という文化財である。しかしこうした違いだけが両者に対する社会的な制裁の違いを引き起こしたとは思えない。

「このように植民地・占領地およびそれに準ずる地域にやってきた京大系の人類学者には、住民感情をはじめ、社会・文化的な規範や法制度など、「純粋」な学問的好奇心の制約となり得るものが、あまり働いていなかったことが分かる。それは、かれらが帝大の威光を有し、大日本帝国の権力と暴力のネットワークに守られていたからである。同じことを民間研究者がおこなったら、すぐに通報されて捕まっただろう。金関も三宅も、出発前に県知事をはじめ、官民の有力者に渡りをつけていた。だからこそ、ごく短期間に「純粋」な学問的好奇心を満たすことができた。これが植民地主義的ダブルスタンダードである。」(板垣 竜太「京都帝大の人類学者の植民地主義的ダブルスタンダード」:95.)

清野は「帝大の威光を有し」ていたにも関わらず「すぐに通報されて捕まった」。しかし金関も三宅も捕まらなかった。そして児玉 作左衛門も。
それは清野事件の被害者が日本人であったのに対して、金関事件の被害者は日本人ではなかったからである。
これが、植民地主義的ダブルスタンダードである。

そして両事件の最大の違いは、清野が持ち出した経典類は当然のことながらすぐさま被害者のもとに戻されたのに対して、金関・三宅が持ち出した遺骨は未だに京都大学が保管していて被害地への返還はもとより保管状況に関する情報公開すら拒んで裁判に至っているということである。

「(1)今日の研究倫理原則に照らして反倫理的ないしは非倫理的な経緯で採集されたことが明らかなものは、ただちに所有者ないしは返還に該当する者を研究機関が調査し速やかに返還する義務があること。そして、あらゆる人道的犯罪に時効がないように「盗骨」した時点ですら研究倫理遵守の必要性があり、研究不正の真実を裁判所は認定する必要があることを訴えるべきです。
(2)次に、今日の研究倫理原則に照らして反倫理的な経緯があると疑念されるものは、その疑念が晴れるまでは研究には使えないこと。
(3)今日の研究倫理原則に照らしてもなお問題のないものについての今後の研究は、当該組織の研究倫理委員会(施設内委員会[IRB])の他に、その組織以外第三者からなる研究倫理組織の認証を受けてはじめて可能になること。
これらのことを研究組織とそれを管理する国や自治体に対して、国民(市民)はそれを働きかけ遵守させるべきだと、私は考えます。」(池田 光穂「遺骨や副葬品を取り戻しつつある先住民のための試論」:209.)

ここでは、先住民の遺骨や副葬品が念頭に置かれた提言となっているが、同様のことが戦時期に占領地や植民地から宗主国にもたらされた発掘出土品(考古資料)についても言えるだろう。

「「研究」という欲望のために、無断で他人の墓を暴き遺体を盗む。身勝手でおぞましいし、実際にやってしまったのなら罰を受けるべきだ。しかも遺体を盗んだ相手は、他民族や被差別部落など、日本帝国主義が周縁に位置付け差別してきた人たちだ。
この事実を知った私は「普通に、有り得ない」と感じると同時に、驚きはなく「いかにもやりそうだ」とも思った。研究によって搾取された側の痛みが想像できない。露悪的な連中は、研究という名目で為し得た侵襲行為を武勇伝として平然と自慢する。「遺骨略奪問題」が裁判沙汰となり報道されているにもかかわらず、学生、教職員らを含む京大関係者の内から事実究明、謝罪、再発防止を訴えるなど、この問題を主体的に考えようという動きが大きく起こっていない現状こそが、京大のひどい空気感を何よりも雄弁に語っている。京大内部の大多数の人にとって、「遺骨略奪」は受け流せることであり、非難する気が起きないようなことなのだ。悪い意味で普通に有り得ないことを「有り得ない」と言えない京大の文化は、エリート、金持ち、日本人、男性、シスヘテロ、健常者などの特権階級が圧倒的多数である人口構成に支えられ、加害を庇い合う様態で存続している。」(中野 楓「加害を庇い合う研究文化」:124-125.)

学生たちのこうした発言を大切にしていきたい。


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橋本

罪に問われたか否かは、当時としての「手続き」を経たかどうかの差ではありませんか。だからといって、問題ないと思っているわけではありません。
by 橋本 (2021-06-11 21:31) 

五十嵐彰

その「手続き」が、植民地主義的ではないかと申しております。
by 五十嵐彰 (2021-06-11 22:05) 

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