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岡田2019「鳥居龍蔵の1923年度朝鮮石器時代調査」 [論文時評]

岡田 憲一 2019 「鳥居龍蔵の1923年度朝鮮石器時代調査」『考古学研究』第66巻 第1号:42-58.

2016年に公開されたガラス乾板資料および朝鮮総督府博物館の公文書によって、96年前の朝鮮半島調査を丹念に跡付けたものである。
その結論が、以下の文章である。

「日本列島に止まらず、周辺諸地域を踏破し、広大なスケールの議論を展開した鳥居龍蔵について、そのフィールドワーカーとしての学問的探究心やその成果を称賛したり、一方において、その調査が帝国主義に便乗したものであるとして糾弾したりすることは、一面では確かに正しいが、実のところ案外容易い。しかし、それをどのような側面から切り取り評価するにせよ、分断し得ない一個人としての彼の生き様そのものと、折々残された学問的成果を無視することがあってはならないと思う。幸いにも、韓国国内において鳥居の記録したガラス乾板資料の公開が進みつつある現在、われわれは、その資料を批判的かつ正確に受け継ぐことを始点として、現在ある資料、そして今後現われるであろう資料へと繋げ、新たな学問的希求をおこなっていくべきであると考える。」(52.)

「称賛したり」「糾弾したり」というのは、誰のどのような文章を想定しているのだろうか?
「鳥居博士の正確な足跡を辿り、人となりや業績を見直し、どのような評価を与えるべきかを議論し、同時に鳥居龍蔵を県民レベルで語り継いでいこうとの趣旨で発足したものである。決して、おらが郷土の先覚者を自慢するようなものではないことを述べておきたい。」(天羽 利夫2011「発刊にあたって -鳥居龍蔵の今-」『鳥居龍蔵研究』第1号:14.)

「生き様そのものと、折々残された学問的成果を無視すること」というのが具体的にどのようなことを想定されているのか定かではないので論評が難しいのだが、その対処が単に「後進の研究者に対する焦燥感のようなもの」(51.)とか「集大成をおこなう時間のなかったこと」(52.)であるならば、それ以前にもっと踏まえるべき点があるように思われる。

「近年日本において、日本帝国主義は朝鮮に多くの汚点を残したが、考古学の分野は古蹟の保存や博物館の設置・経営とともに「輝かしい業績」を残したと、さかんにいわれています。確かに博物館も建てました。たいへん立派な発掘報告書も出しました。そのようにいわれる程、まじめに考古学研究をしたなら、どうして今日日本考古学界での要求をみたしてくれないのでしょうか。私はこれらの主張には正面から反対しなければなりません。と申しますのは、考古学者は日本帝国主義の植民地支配と略奪を合理化する役割を積極的にはたしただけでなく、自ら遺跡の破壊と盗掘の先頭に立ったからであります。」(李 進熙1964「朝鮮考古学の成果と課題」『考古学研究』第11巻 第1号:22.)
「考古学者は朝鮮に於ける「輝かしい業績」をいう前に、朝鮮の文化財破壊と略奪に対して深く反省し、謝罪すべきだと思います。問題は研究者としての良心問題、姿勢の問題だと思います。近年、朝鮮との学術・文化交流問題がもちあがってきていますが、わたしはこのようなことをさけて通るわけには参らぬと思います。」(同:25.)

ある時代になされたある研究者の研究を評価するときに、単に「学問的探究心やその成果」といった「光」だけでなく、あるいは「帝国主義に便乗したものである」といった時代的な制約の「影」だけでなく、そして常に「光」と「影」を対置して「光」を救いだそうとするのでもなく、「影」を前提として位置付けられた「光」という自らの歴史認識を明瞭に意識しなければならないだろう。
それが過去の先学を評価する私たち後学の「生き様そのもの」と言えるのかもしれない。

「根室半島での取材時に入手した外務省編集による広報冊子『われらの北方領土 2009年版』には、全116頁、びっしり集録された「北方領土」関係資料に「アイヌ」の文字はただの一度も出てこない。まさかと思いながら再度確かめ、ひどく驚いた。と同時に、例の黒塗り街宣車が市中でがなりたてる大音響のスローガンや軍歌を、近くで聴かされるとき以上の恐怖や理不尽さを感じた。念のために、ここで無視されているのはアイヌ民族の存在だけではない。鳥居龍蔵をはじめとする幾多の調査者や研究者の真摯な努力も、先住者の遺跡や伝承に想像力をかきたてられ熱く論じあった人びとの営為もその成果も、まったくなかったかのようになっている。これが放置されれば、未知なるものを探求する精神や、実証的・科学的であろうとする思考も、やがて消されていくかもしれないという点で、過去よりも未来の問題であり、他人事ではなく日本国民全体の問題だと思った。
つとに指摘されてきたことだが、鳥居が生きた時代の国粋主義的かつ拡張主義的な思潮の中にあって、彼の言説と行動もまた例外ではなく、むしろ助長したとさえ言える旨の批判があり、一定の妥当性も有している。その批判の論理と倫理を一貫させるとすれば、現に「北方」で生じている、歴史的事実と学問的成果の国策による抹消と評すべき社会事象にも強い関心を寄せ、鋭く筆鋒を向けるべきであろう。」(吉原 秀喜2011「鳥居龍蔵千島調査の歴史的位置と意義 -アイヌ民族・文化の現況をふまえた一考察-」『鳥居龍蔵研究』第1号:143-172.)



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