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戸塚2019「歴史認識と日韓の「和解」への道(その7)」 [論文時評]

戸塚 悦朗 2019 「歴史認識と日韓の「和解」への道(その7) -迷路を抜け出す鍵-」『龍谷法学』第51巻 第4号:409-448.

「1905年条約が無効であれば、それを前提として締結されたことになっている1910年の韓国併合条約は砂上の楼閣と評価せざるを得なくなる。そうすると、「韓国併合」が「不法だった」との結論を導くことになる。日本による植民地支配を正当化したいと考える人々にとっては、是が非でも封印しておきたい法律問題だったのである。」(421.)

衝撃的な内容である。
1965年の日韓条約締結の際に「もはや無効である」との文言をどのように解釈するかで日韓の間で解釈が分かれて問題となったが、1905年条約の「最初から無効である」という韓国側の主張に国際法的な裏付けが得られたわけである。

「…1905年「韓国保護条約」は、仮に形の上では締結されたように見えても、日本軍と伊藤博文が大韓帝国の政府代表個人(外部大臣外皇帝を含む)を脅迫して締結の形を作ったものであって、追完(無効なものでも後に有効なものと認める行為)も許さない絶対的無効(無効性あるものの中でも無効性が強い)な条約で、はじめから効力を発生していなかったとする。1910年「韓国併合条約」は、それまでに日本が大韓帝国政府代表に署名を強制した諸条約、とりわけ1905年「韓国保護条約」に基づいているから、韓国併合も不法・無効なものとせざるを得なくなる。したがって、韓国からの「慰安婦」動員の法的根拠は不法なものであり、被害者は強い奴隷的拘束を受けたことになる。」(422.)

国連国際法委員会(ILC)報告書(1963)、国際友和会(IFOR)文書(1993)などによる問題提起の経緯、そして韓国側と日本側の研究者の見解、合法説に立つ日本側研究者の挫折などが述べられている。

「1905年韓国保護条約には批准書がなかったことについては、日韓の間で争いがない。問題は、批准が必要であったか否かである。
条約、とりわけ独立主権国家の外交権を奪うという、国家の存立に関わる重要な条約を、その国の外務大臣の署名限りで締結できるか否かという問題がある。主権国家が外国に外交権を奪われて、独立を失うほどの重要な条約が皇帝など主権者の同意(批准)なしに、有効に締結されるなどということは、当時の国際法上も有り得なかった。」(430.)

1905年の保護条約が無効であり、それに基づく1910年の併合条約も無効であれば、事は重大である。

「交渉において、韓国側は、1905年に統監府が設置されて以降、日本にもたらされた韓国文化財の多くは不当不正な手段によって持ち出されたものであるとし、韓国国民の文化財に対する感情や朝鮮戦争により韓国国内の文化財に大きな被害が出た事情等も強調して、文化財の返還を要求した。これに対し日本側は、日本にもたらされた文化財は、いずれも正当な手続で購入したか、あるいは寄贈を受けたものであり、返還すべき国際法上の義務はないと主張していた。」(中内 康夫2011「日韓間の文化財引渡しの経緯と日韓図書協定の成立 -国会論議を中心に振り返る-」『立法と調査』第319号)

「…日本所在の韓国渡来の文化財については、1905年以降1945年までの間に搬出されたものの返還については、挙証責任を転換して考察するのが適当であろう。日本側が搬出の合法性を立証できなければ、原則として返還するのが適当と思われる。」(戸塚 悦郎2019「国際法から見た仏像盗難問題の今後の課題」『世界史の中の文化財返還問題を考える』2019.6.15シンポジウム配布資料)

正に「返還すべき国際法上の義務」がないどころか、自らの正当性を挙証する国際法上の義務があるのである。

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