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金子2017『何が私をこうさせたか』 [全方位書評]

金子 文子2017『何が私をこうさせたか -獄中手記-』岩波文庫(青N 123-1)

言わば「自伝文学」である。しかし、ただの自伝ではない。23才の確定死刑囚が担当判事から「過去の経歴について何か書いて見せろ」と言われて記した「生い立ちの記」である。

「生まれ落ちた時から私は不幸であった。横浜で、山梨で、朝鮮で、浜松で、私は始終苛められどおしであった。私は自分というものを持つことができなかった。けれど、私は今、過去の一切に感謝する。私の父にも、母にも、祖父母にも、叔父叔母にも、いや、私を富裕な家庭に生れしめず、至るところで、生活のあらゆる範囲で、苦しめられるだけ苦しめてくれた私の全運命に感謝する。なぜなら、もし私が、私の父や、祖父母や、叔父叔母の家で、何不自由なく育てられていたなら、恐らく私は、私があんなにも嫌悪し軽蔑するそれらの人々の思想や性格やをそのまま受け容れて、遂に私自身を見出さなかったであろうからである。だが、運命が私に恵んでくれなかったおかげで、私は私自身を見出した。そして私は今やもう17である。」(279.)

金子 文子:1903-1926
「関東大震災の2日後に、治安警察法に基づく予防検束の名目で、愛人(内縁の夫)である朝鮮人朴烈と共に検挙され、十分な逮捕理由はなかったが、予審中に朴が大正天皇と皇太子の殺害を計画していたとほのめかし、文子も天皇制否定を論じたために、大逆罪で起訴され、有罪(死刑判決)となった。後に天皇の慈悲として、無期懲役に減刑されたが(恩赦を拒否し)、宇都宮刑務所栃木支所に送られて、そこで獄死した。」(ウィキペディアよりカッコ内は引用者が補う)

「実際私はこの頃、それを考えているのだった。一切の望みに燃えた私は、苦学をして偉い人間になるのを唯一の目標としていた。が、私は今、はっきりとわかった。今の世では、苦学なんかして偉い人間になれるはずはないということを。いや、そればかりではない。いうところの偉い人間なんてほどくだらないものはないということを。人々から偉いといわれることに何の値打ちがあろう。私は人のために生きているのではない。私は私自身の真の満足と自由とを得なければならないのではないか。私は私自身でなければならぬ。
私はあまりにも多く他人の奴隷となりすぎてきた。余りにも多く男のおもちゃにされてきた。私は私自身を生きていなかった。
私は私自身の仕事をしなければならぬ。そうだ、私自身の仕事だ。しかし、その私自身の仕事とは何であるか。私はそれを知りたい。知ってそれを実行してみたい。」(388.)

20世紀初頭すなわち100年前の日本社会が、いかに封建制と家父長制に満ちて、性差別・民族差別そして非嫡出子(私生児)差別に満ちていたか、迫真の筆力で迫ってくる。こうした文章を二十代前半の人が記したとは、にわかには信じられない。
しかし私たちは、しっかりと受け止めなければならないだろう。彼女が伝えようとしたことは何か、何が彼女をこうさせたか、ということについて。

「何が私をこうさせたか。私自身何もこれについては語らないであろう。私はただ、私の半生の歴史をここにひろげればよかったのだ。心ある読者は、この記録によって充分これを知ってくれるであろう。私はそれを信じる。
間もなく私は、この世から私の存在をかき消されるであろう。しかし一切の現象は現象としては滅しても永遠の実在の中に存続するものと私は思っている。
私は今平静な冷ややかな心でこの粗雑な記録の筆を擱く。私の愛するすべてのものの上に祝福あれ!」(408.)

筆舌に尽くし難い悲惨な生い立ち、それにも関わらず、そこには確たる信念と前に進もうとする朗らかさを感じることができる。果たして、それは何に拠るのだろうか。

「李 順愛は獄中の文子が「ぎりぎりのところで、自分が何故天皇に屈伏しないかを自問した時、最後の最後に残ったのが、知識などでなく、自らこれまでの人生そのものであったわけです」(李 順愛1989「日本女性と天皇制」『女、天皇制、戦争』鈴木 裕子・近藤 和子編、82.)と、非転向を貫いた文子の強さの根源を説明している。」(山田 昭次1991「金子文子論ノート -金子文子の自己形成にとっての近代日本と朝鮮-」『歴史評論』第491号:1.)

【追記】
『金子文子歌集』(黒色戦線社1976より)
「手足まで 不自由なりとも 死ぬという 只意志あらば 死は自由なり」
「さり乍(ながら) 手足からげて 尚死なば そは「俺たちの過失ではない」」
「殺しつつ なほ責任をのがれんと もがく姿ぞ 惨めなるかな」

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ハシモト

先日読んだ、「北風と太陽」のお話を引き合いにした米原万里さんのエッセイです。

「・・・北風の意思に逆らうことで、旅人は己の意思を明確に自覚した。ところが太陽の意思については、旅人はそれを、あたかも自分自身の意思と錯覚して外套と帽子を脱いでいるからだ。(中略)北風型は、人々の反発や抵抗を呼んで長続きしなかったが、太陽型は、その存在さえ知られない場合が多い。それだけ長続きしそうだ。魂の自由のためには、見せかけの自由よりは、自覚された束縛の方がいいのかもしれない。」(米原万里2016「米原万里ベストエッセイI」)

自分の在り方についての考えは、環境によってもたらされるものでしょうか。幸せになりたいという気持ちは、どのようにして生まれるのでしょうか。
by ハシモト (2018-10-14 09:38) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

「歴史的に一度も尊重されることなく、徹底的に虐げられ差別されてきた人々のなかに、人間をやさしく包みこむ健康な思想が醸成されていたことが、私には最大の驚きであり、尊い奇蹟のように思われる。」(山本 おさむ1998『「どんぐりの家」のデッサン -漫画で障害者を描く-』岩波書店)
コメント有難うございます。私は、今も自らを見出すための旅を細々と続けています。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2018-10-15 12:20) 

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