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長澤2011「日韓会談と韓国文化財の返還問題再考」 [論文時評]

長澤 裕子 2011 「日韓会談と韓国文化財の返還問題再考 -請求権問題からの分離と「文化財協定」-」『歴史としての日韓国交正常化Ⅱ脱植民地化編』法政大学出版局:205-234.

抜き刷りを頂いた(長澤 裕子2017「解放後朝鮮の対日文化財返還要求と米国 -日本の敗戦から対日講和条約締結まで(1945~1951)-」『朝鮮史研究会論文集』第55集:113-146.)。しかしまずはこちらを読んでおかないと、ということで今回はこちらを。

「…韓国文化財の問題が、日韓会談の最大争点である請求権問題のなかでいかに位置づけられたかという問題を中心に考察したい。とくに、日本側が韓国文化財の政策を決定する過程とその根拠を、請求権の枠組で分析する。そのため、先行研究の焦点が集中した文化財小委の開催期の1958年以降だけではなく、予備会談開催時の1951年にまでさかのぼり、そこから1965年の「文化財および文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(以下、「文化財協定」と略す)の締結までの期間全般を考察する。さらに「文化財協定」については、「両国間の文化交流、文化協力」という「大きな見地」の「一環として」、「文化財返還問題が文化協力問題の一環に矮小化」された「日韓の外交の妥結点」として見る。そして、「歴史観の欠如」した日本側を相手に、韓国側が文化財の「返還」を保証しない協定に合意した理由と過程を再考する。これらの作業は、いまもなお存在する文化財問題における日韓会談の位置づけを考えるために必要な試みと考える。」(205-6.)

「文化財に関する韓国側の主張の第1点目は、日本側の自主的かつ政治的な解決の要求だった。韓国側は、「八項目」の第一項目に文化財関連の請求を掲げ、「元来、いかなる財物も不自然な、つまり奪取あるいは韓国の意思に反して持ち去るべきではない」と、「日本がこの点をよく認識」するよう求めた。さらに韓国側は、「古書籍、美術品、骨董品等は、国宝の文化的・政治的な意味から韓国に返還してほしい」と、「法的というよりも政治的な解決を望む」と主張した。韓国側は、返還時期についても「韓国が法的な主張をする前に、日本が積極的に、自ら進んで返還してほしい」と強調した。(中略)韓国側の主張の第2点目は、日本の自主的な解決を引き出すためにも、韓国側が両国の権利や義務という関係を主張しないということだった。韓国側は、第八項目の他の項目で提示した「日本に搬入された期間や時期」、つまり日本の植民統治に関連する時期を第一項目の文化財には設置しなかった、と説明した。そして「その理由はこの際、両国の親善関係をより促進させる為に、韓国の意思に反して日本が持っていったものについて、韓国は義務や権利として返還を主張せず、政治的に日本が進んで返還してほしい」と説明した。」(208-9.)

それに対する日本側の対応は…

「周知のとおり、日本側は日韓会談の交渉全般で、法的な論理を全面的に打ち出した。日本側の法的論理の適用という交渉戦術は、まさに文化財問題の基本方針でもあった。日本側は、日韓会談の初期にはすでに「文化財問題は、法理論で攻める」とその方針を規定していた。これは、外務省が日本側の基本骨格をまとめた1953年2月17日付の「世襲的文化財について」にも示されている。それによると、韓国文化財の問題は「国際的な先例を韓国に適用させる」と規定されていた。外務省は文化財の問題について、「敗戦国」あるいは「領土分離」の2つのケースで考慮し、韓国の文化財については、「領土分離」のケースとして考慮していた。そして、日本政府が対応する韓国文化財の範囲については、日本が「無償」で取得したものとして、「現所有者が国有或いは公共団体の所有」と規定した。外務省は、韓国については、「軍事占領」と「平和的領有」の2つのケースすべてが該当するが、「豊臣秀吉による朝鮮征伐」は「軍事占領」だが、「日韓併合以降」については「平和的領有」と規定した。さらに外務省は、韓国という分離地域に樹立されていた権力、つまり総督府についても、「一応は平和的なもの」とした。外務省は、韓国文化財の「返還」「還付」という用語の使用についても、「軍事占領」のケースに制限すると規定したので、日韓会談の交渉で議題になった日韓併合以降の時期には、その使用を認めなかった。また、統治期の文化財搬出についても、「不法性が推論されない」とまとめ、個々のケースが「ノーマルな方法でない」かどうかは、立証が必要と指摘した。」(215-6.)

「総督府」について「一応は平和的なもの」としているようでは、まとまるものもまとまらないだろう。「一応」とはいったいどういう意味なのか?

「韓国文化財に対する日本側の法理論にもとづく主張は、返還の義務化を否定する論理につながり、文化財を請求権とは別個の問題と規定することで具体化された。それは前述の1953年10月23日付で、外務省アジア局第2課による外務大臣宛の文書「韓国文化財の提供について」にも示された。さらにこうした動きは、外務省や賠償庁など、日本側の国内文書だけではなく、韓国側の交渉時にも表われた。実際、韓国側には「日本としては、義務として返還する筋合いもなく、自発的、好意的に寄贈するというのが日本政府の考えだ」と伝えられた。」(216-7)

「日韓基本条約の関係諸規定、文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定、合意議事録」(1965年6月22日)
「韓国側代表は、日本国民の私有の韓国に由来する文化財が韓国側に寄贈されることになることを希望する旨を述べた。
日本側代表は、日本国民がその所有するこれらの文化財を自発的に韓国側に寄贈することは日韓両国間の文化協力の増進に寄与することにもなるので、政府としてはこれを勧奨するものであると述べた。」

「勧奨:(或る事をするように)すすめ励ますこと」(広辞苑)

ところが…

「交渉の最終段階で、両国は互いの思惑を如実に提示しながら折衷案を模索し、最終的には協定のタイトルや条文を変更して妥結した。両政府は、協定文の語句を最終調整する段階で、協定から「日本国政府ができる限りあっせんを行なう」といった表現を削除した。それは、6月19日、保護委(文化財保護委員会)側の意見が反映された結果である。さらに、協定文中の「約束」は「当然である」に、そして「韓国政府」は「韓国に於いて」に修正された。私有文化財をめぐる日本側の対応については、「日本政府が積極的に何らかのactionをとることを意味するものではない」という意味で、「勧奨する」とされた。」(226.)

「すすめ励ますこと」が「何らかのactionをとることを意味するものではない」とは、一般人にはとても理解できないだろう。

「合意議事録」中の「勧奨」という文言については、当時の外務省文化事業部長が「これは外交辞令であり「結構である」の意味である」と関係各位を説得した旨も明らかにされている(李 洋秀2016「用意周到に準備されていた会談の破壊 -「久保田発言」と文化財協定合意議事録にある「勧奨」の真意-」『五〇年目の日韓つながり直し -日韓請求権協定から考える-』社会評論社:50-75.)

かつてこうした政治的な詭弁が弄されたことを踏まえて、今こそ「日本国民が所有するこれらの文化財を自発的に韓国側に寄贈すること」を多くの市民の力で「すすめ励ますこと」が重要であり責務であろう。

本件については、同書第Ⅱ部「歴史清算としての文化財問題」に収録されているクリスティン・キム「古美術品をめぐる国際政治 -冷戦政治と朝鮮半島の文化財 1945~1960-」(159-177.)、朴 薫「日韓会談における文化財「返還」交渉の展開過程と争点」(179-204.)を併読することで、より理解が深まるだろう。


タグ:文化財返還
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