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「日本考古学」という地域考古学 [総論]

前々回の記事「世界の中の「日本考古学」(続:WAC-8 全体分析)」を巡るコメントのやり取りを通じて「「日本考古学」は地域考古学である」という偉大なる?真理に到達したので、今回はそうしたことにも関連する文章を、隣接学問の著書から少々引用しよう。

個別と一般/地質学につきまとう地域
先に、プラトンのことを書きました。彼は具体的事象・現象の影に隠れた真理「イデア」を探せといったのでした。それは2000年のときを超えて、デカルトの「個別と共通的本性」などという言葉として繰り返されました。それは地質学・地球科学の言葉で言えば、「地域と地球一般」となります。
たとえば、「四国とはどんなところか?」を考えると同時に、「四国は地球を考える上でどんな意味を持つのか?」も考えよということです。

地球上のある特定の地域を研究していても(気象現象、地殻変動、地質の歴史など何でも)、地球全部に共通することという一般性を考えなさいということです。現在を考えているとしても、過去も未来も考えなさいということでもあります。
これは、地球を研究していても、他の惑星を考えなさいということにもつながります。太陽系を研究していても同時に他の恒星のことを考える。銀河系を考えても他の銀河系も考えるということとなります。空間や時間スケールを大きくしても、それらはすべて個別対象とした地域科学なのです。それを超えたところに、物理学と化学があるというのが、人間の知的活動の結果としての「科学」の階層性です。「万物に共通するもの・こと=それを真理という」を追い求めたプラトン・デカルトの夢が物理学を中心とする科学になったのですね。
もう一度話を地質学に戻すと、地域研究と地球の研究の違いを常に意識することが必要です。地域にいる人にとっては、そこの地質や岩石は非常に身近な存在ですから、なぜここにあるのかが気になります。世界中どこへ行っても、その地域の地質や岩石の分布に誰よりも詳しい「地域地質学者」と呼ばれる人たちがいます。英語ではResident geologistといいます。
地球全体を俯瞰して、ある現象の一般的な研究を進める際でも、具体例が必要です。その具体例を最も熟知しているのは「地域地質学者」と呼ばれる人です。地域地質学者は、詳細を熟知しているため、その地域のすべてを知りたい、説明したいという思いが主要な関心となる場合が多く、ときとして世界が見えない、地球が見えない場合があります。「木を見て森を見ず」状態です。そのかわり、木の幹の皺の一本一本まで熟知している大変なプロです。」(木村 2013『地質学の自然観』東京大学出版会:143-144.

いろいろと考えさせる内容である。地質学も考古学と同じフィールド・サイエンスであり、何よりも現場経験が重視される。学生時代には泊まり込みの地質巡検がなされて地質図作成の基本が叩き込まれる。しかし近年はそうした実習もなされることがなく、学生の経験知の低下が著しい…といった嘆きは、私の周囲でもよく聞く話しである。
そして「地域考古学者」である。Resident Archaeologistである。
私の周りにも「木の幹の皺の一本一本まで熟知している」考古学者が、大勢いる。

日本では、「地域考古学」が主流であり、かつ大勢を占め、全てを覆いつくさんばかりである。
その象徴が、『考古学ジャーナル』の動向に見られる地域細分傾向である(五十嵐
2016「動向の動向」)。

「後期旧石器時代西日本における交流 -中・四国とその周辺の瀬戸内技法の広がりとその背景-」や「ナイフ形石器文化の発達期と変革期 -浅間板鼻褐色軽石群降灰期の石器群-」を考える際にも、「後期旧石器時代の西日本やナイフ形石器文化はグローバル考古学を考える上でどんな意味を持つのか?」ということである。

「北海道地域の地質学的研究の中で、地球の理解という普遍性につながる可能性のある対象のひとつは、日高山脈に露出する島弧地殻の岩石でした。第二章で述べたように、それまで日高山脈は古典的造山運動によってできたと説明されてきました。そかし、小松正幸氏らのグループによって、それらの岩石は島弧深部で進行する大陸性地殻の形成によって作られたものであるとされ、それまでの学説が全面的に塗り替えられました。私もまた、山脈としての日高の上昇は、貝塚爽平氏らが指摘した海溝や島弧が折れ曲がる島弧会合部地域における衝突テクトニクスによるとすると、実によく説明できることに気がつきました。そして、このような日高山脈の形成過程とその歴史の普遍性が持つ科学的意義を強く意識することとなりました。それは、北海道がどのようにできたかという地域的な関心をはるかに超えて、その地域の研究が地球の理解に密接につながるという意味を持つこととなったのです。
それは単に、「この地域の地質や岩石は、アルプスの○○地域と同じだ」という類似性を指しているのではありません。ここ北海道で見られる岩石や現象は、島弧の下ならどこにでも普遍的に存在するはずです。しかし、実際に露出した岩石として手にして見ることができるのはここだけなのです。また島弧会合部ではどこでも衝突現象が起こるのですから、この地域のテクトニクスや地殻変動などは、それを理解するための普遍性を持つわけです。このように、「発信型の説明と仮設」を提示できることとなったのです。」(172173

日本の地質学は、1980年代に世界の新しい動向であるプレート・テクトニクス論を受容するのに10年遅れたという。
果たして「日本考古学」は?

そもそも「日本地質学」や「日本地球科学」などというジャンルは存在しないだろう。「日本生物学」や「日本物理学」が存在しないのと同様に。

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