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『アイヌの遺骨はコタンの土へ』 [全方位書評]

北大開示文書研究会 編著 2016 『アイヌの遺骨はコタンの土へ -北大に対する遺骨返還請求と先住権-』緑風出版.

「ところがある日から、私はある夢を見るようになりました。毎晩毎晩、私は同じ夢を繰り返し見ました。その夢では、私どもの先祖が葬られている森の外に、私が立ちすくんでいるのです。森の中にはとても幸せそうな人びとがいて、彼らは誇りに満ちていました。年長の方々もいらっしゃいました。親や子どもたちも。
その中のある年配の女性が、私が森の外に立っているのを見ていました。彼女は片手を私の方に伸ばしながら私に近寄ってきたのです。しかしその手は彼女の体から落ちてしまいました。彼女の目からは涙がこぼれ、私に背を向け、森の中に帰って行きました。次に、とある年配の男性が私を見つけました。彼は私の方に両手を差し出しました。そして両手と頭を私の方にかしげました。すると、彼の両腕と頭が胴体から落ち、私の方に転がってきたのです。その両目からは涙がこぼれていました。次々と森の中の年配の方たちの体から手や足や頭が落ちて行くのを私は目撃したのです。」(ボブ・サム「われらが遺骨を取り戻すまで -アラスカの返還運動-」(207-208.)

アラスカ州クリンギッド族の遺骨を「埋め戻す」エキスパートの方の話しである。何かホラー映画のような情景であるが、心理学の夢判断などで解釈すれば、いろいろな事が述べることができるだろう。
重要なのは、こうした思いが「返還運動」の原動力となっているということ、そのことに関係者あるいは部外者は思いを致さなければならないということである。

「たとえば、自然人類学者の百々幸雄氏(東北大学名誉教授、元日本人類学会会長)は、2014年8月に北海道アイヌ協会が開催したシンポジウムの質疑応答の中で、アイヌ人骨研究がアイヌ民族にどんな利益をもたらすかとたずねられて、以下のように答えました。
「私が言っているように、アイヌ民族は北海道に在来の人たち、先住している、縄文時代、あるいはそれ以前にさかのぼる、(略)縄文時代からずーっと続いている人たちである、という(ことがわかれば)…これはプライドになりませんかね?」
ここでは、遺骨研究はアイヌ民族の起源を明かにする研究であり、アイヌ民族の先住性と深くかかわっている、と言っているように読み取れます。
先住民族であるかどうかは、アイヌ民族の立場や権利を考えるうえで、たいへんに重要な事柄です。そのことを明らかにする研究だとすると、遺骨研究はアイヌ民族にとってきわめて大切な研究であるように思われてきます。
もしそうだとすると、遺骨の研究が行われなくなると、先住民族としてのアイヌ民族の地位が脅かされるのではないか、といった不安が生まれるかもしれません。(中略)
しかし、これは根本的な誤解です。アイヌ民族が先住民族であることと、民族の起源や由来はまったく無関係です。(中略)
先住民族とは、近代国家による侵略や統治が始まったとき、すでにその地域に暮らしていた人びと(と歴史的なつながりを持つ人びと)、と書かれています。民族の起源にまでさかのぼって、その地域に最初に住みついた人びと、という意味ではありません。(中略)
ですから、起源と先住性とがまったく無関係であることを、きちんと理解する必要があります。
起源が解明されなければ先住性も明らかにならない、と思い込むと、むしろ先住性の理解に混乱が生まれます。」(植木 哲也「アイヌ民族の遺骨を欲しがる研究者」:110-115.)

返還を拒むあるいは消極的であることを正当化するために学問・研究が持ち出されている。本当に必要な学問・研究ならば、返すべき資料を返してから、改めて相手に借用を申し出るなり共同研究の要請をすべきであろう。

「過去を放置したまま研究に着手すれば、現在の研究がいぜんとして過去と同質なままにとどまっているだけでなく、未来もまた過去を引きずっていくことを意味します。
過去に発掘された遺骨であっても、現代の規範や倫理にのっとって取り扱うことが重要と思います。関係者の了承のとれない人体標本を用いることは、一般に言って、現在の研究倫理では認められていないでしょう。当然、返還の要請は最優先されなければなりません。
返還できないから研究利用するのではなく、返還先が確定した後に研究への協力を依頼するのが、未来へ向けた適切なやり方ではないでしょうか。」(同:116-117.)

2015年1月30日、「閣議決定に基づく遺骨再集約は、アイヌの人たちの信教の自由を著しく侵害する」として日本弁護士連合会人権擁護委員会に人権救済の申し立てがなされ、手続き直後に東京司法記者クラブで記者会見が開かれた。以下は、その一コマである。

「-朝日新聞です。北海道大学やほかの大学に保管されている骨をご覧になって、どういうお気持ちでしょうか。」(93.)

もう少しデリカシーのある質問は出来ないものだろうか?
質問を投げかけられたアイヌ民族の方は、恐らく怒りを抑えながらも丁寧に質問に答えられたが、私だったら、以下のような受け答えしかできないだろう。

「では、お尋ねいたしますが、質問者の方もご自分に関わりのあるお墓がございますね。」
「はい、〇〇市の霊園にあります。」
「もし、そのお墓が学問研究という名目で、あなたご自身を含むご遺族の了承を得ることもなく勝手に発掘されて、遺愛の品々も含めて持ち去られたら、いったいどのようなお気持ちですか?」
「……」
「その遺骨や副葬品が、大学の収蔵庫に保管されて、それをご覧になって、どういうお気持ちでしょうか?」
「……」

そしてようやくここまで来た訳だが。
「(WAC-8の)分科会では先住民出身の研究者による発表が相次いだが、アイヌ出身の研究者の参加が一人もなかったという現実も日本の課題を浮き彫りにした。」(中本 泰代「遺骨問題 尊厳回復訴え アイヌ民族」『毎日新聞』2016年10月9日、20面)


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