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「氷期に生きた北の狩人」 [研究集会]

「氷期に生きた北の狩人 -慶應旧石器時代研究88年の歩み‐」

日時:2016年1月16日(土)13:30~17:00
場所:慶應義塾大学三田キャンパス東館6階

安藤 広道・平澤 悠「慶應旧石器時代研究の黎明」
渡辺 丈彦「阿部祥人先生と東北の旧石器時代研究」
澤浦 亮平「本州最北部尻労安倍洞窟の最新の調査研究成果」
赤澤 威「他流試合のすすめ」

「文学部創設125年記念企画展」と題して図書館の一角で開催されている展示と連動した講演会である。
懐かしい「石たち」がいっぱい並んでいる。記憶に残る風景がスクリーンに映し出される。

言わば身内の集まりである。「良かった」とか「懐かしかった」といった当たり障りのない感想を述べるのが所謂「無難」というものである。しかし、それで良いのだろうか。ある意味で、身内だからこそ言うべきことは言っておかなくてはならないというのが「第2考古学」であり、発掘から考古誌刊行までを共にした亡き恩師もそれを望んでいることだろう。

まず集まり全体に色濃く漂うのは、「発見主義」に対する手放しの称賛である。
もちろん考古学という学問の根底には、何か未知の<もの>を発見するという人間の根源的な欲求とそれに対する感動がある。私も過日は、想定外のエリアから出土した「局部磨製石斧」を目にして、全身に「パルス」が走るという経験をしたばかりである。だから「発見」という事柄そのもの、あるいは考古学という学問が発見という行為を一つの駆動力として、進展してきたという事柄自体を否定しようとは、さらさら考えていない。
問題は「発見」だけでいいのか、私の造語で言えば「発見第一主義」に対する懐疑である。

1928年の大山柏講師就任から、空襲により被災した大山資料から回収された細石刃石核、清水潤三資料から見出された相澤忠洋の石器実測図、そして1986年からの山形県お仲間林、上野Aの調査、2001年からの青森県尻労安倍洞窟の調査…
象徴的だったのは、山形と青森の間に入る岩手県アバクチ洞窟・風穴洞窟調査に関する評価である。残念ながら考古資料の検出には至らなかった訳だが、そのことについて「考古学的には失敗であった」との表現がなされていた。本当にそうだろうか。

何かが発見されることをもって評価の第一基準とするのが、「発見第一主義」である。もちろん発見されないより発見される方がいいに決まっている。しかし発見されなかったということをもって、「失敗であった」としていいのだろうか。
このことについては、既に先学による適切な表現がなされているにも関わらず、広く共有されていない、血肉化されていないようである。

「発掘して「物」が出ない場合がある。古墳などでは、見学者が見守る中で内部主体をひらいてみたが、刀子一口だったというようなことがある。そんな時、まわりの人垣から「失敗だな」とつぶやかれた経験をもつ人は、案外多いのではないか。つぶやいた見学者は、軽い気持で物が出ないことを「失敗」という言葉でいい表したのであろうが、発掘担当の研究者までがほんとうに失敗だと思いこんでいる場合も実は稀でないとすれば、一寸始末におけないというものである。
ほんらい、ある古墳に「物」があるかないか、多いか少ないか、ということは、その古墳がつくられた当時すでにきまっていることで、どのような古墳の権威でもこれを変えることはできない。権威とは手品師のように「物」を沢山取り出すのではなく、確実に物を把握する能力のことである。もっとも、その後盗掘が行なわれ「物」が減ったりなくなったりしていることもあるので、一がいにいえないが、その場合でも盗掘後の復旧がよくなされていれば、事情はまったく同じこと、神ならぬ発掘者が中の「物」を見透せるわけはない。したがって、「物」が出ないから失敗、沢山出たから大成功というのでは、パチンコでチンヂャラヂャラを願う心理と同じである。「だから考古学は宝探し、いつになっても……」とかげ口を叩かれるわけである。」(近藤義郎1962「失敗と成功」『考古学研究』第8巻 第4号:4.)

こうした文章を引用して、「発見主義」と題した文章を本ブログに発表したのは、もうかれこれ7年も前のことである。
何を発見するのか、ではなく、発見されたものからあるいは発見されなかったことから何をどれだけどのように語るのかということこそが、考えられなければならないのではないか。
しかし「発見第一主義」別名「チンジャラ主義」を離脱するのは、「始末におけない」どころか、思いの外に難題である。
気を許せば、すぐにそうした安易な欲求に屈服してしまいそうになる。
しかし何を発見したのかとか、どんなに素晴らしい<もの>をどれだけ発見したのか、といったことで競うのは、他の大学に任せておけばいい、というのが「本学における研究姿勢」でなかったのか。

「考古学資料から、どれだけの研究を展開できるかは、資料そのものの持つ「量」に決定されるのではなく、その資料をどのように見ることができるか、という研究する側の考え方の豊かさにこそある。これは発掘においても同じことだろう。広い範囲を発掘し、大量の出土遺物さえ手に入ればよい、というのであれば、研究はもはや金と人手の問題でしかなくなる。
考古学がその規模において「巨大化」しつつある昨今、このようなことを云うことは、一種のひがみに聞こえるかもしれない。しかし今日進行しつつある考古学の巨大化は、ほんとうの意味で考古学の発達に貢献しうるのだろうか。巨大化の影で、研究や調査の方法がルーティン化、マニュアル化され、問題の新しい糸口をみつける芽を、われわれ自身がつみとってしまってはいないだろうか。
本報告は、以上のような私達の考えかたを具体的に実践し、そこから新しい展開への糸口を探ろうとして計画した発掘の成果を示そうとしたものである。まとまった形にはいまだ至らないものの、この調査に参加された多くの人々が、その中から新しい研究の芽を育ててくれることを期待している。」(鈴木 公雄1991「序」『お仲間林遺跡 1986』慶應義塾大学文学部民族学考古学研究室小報8)

これまた亡き恩師が期待された「芽」を育てきれてない「不肖の弟子」である。
しかし後に続く者たちが、胸に刻まなければならない研究姿勢である。
だからこそ、あえて「苦言」を呈した次第である。


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コメント 1

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

「…神ならぬ発掘者が中の「物」を見透せるわけはない。」全く「予兆」というのも恐ろしいくらいの符合である❗旧石器捏造事件の根本的病巣は、「チンジャラ主義」にあったのだ。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2016-01-20 20:27) 

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