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鈴木2015「岩宿時代集落研究と発掘調査報告書のあり方」 [論文時評]

鈴木 忠司 2015 「岩宿時代集落研究と発掘調査報告書のあり方」『古代文化』第67巻 第2号:98-105.

「発掘報告書のあるべき姿」を論じた、すなわち考古誌批評という稀なるジャンルの貴重な問題提起である。
ただ、その前提ともいうべき「岩宿時代の集落研究」を述べた幾つかの箇所において、若干の異論もあるので私見を述べておきたい。

「はじめに」と題した箇所において、岩宿時代の集落研究が十分になされていない要因として「集落遺跡全体のごく一部のみが調査される」ことが挙げられている。そしてその例外的な事例として埼玉県砂川遺跡が想起されている。
「遺跡規模と集落域の発掘の完結性」(98.)
本当にそうだろうか?

砂川遺跡は1966年の第1次調査で発掘されたA地点および1973年の第2次調査で発掘されたF地点が議論の対象となっているが、A地点の東・F地点の北およびA地点の南・F地点の西には未だに未調査のエリアが広がっているようである(例えば野口 淳2009『武蔵野に残る旧石器人の足跡 砂川遺跡』図15 砂川遺跡の広がりと地点、図27 砂川遺跡A・F地点の集中部といった挿図を参照のこと)。
岩宿時代の集落研究の第一の制約として「集落全体を含み込む発掘域の完結性」が述べられているが、砂川遺跡を事例として「集落域の発掘の完結性」を語るのは、如何なものだろうか。

また第二の制約として「出土石器の接合・個体識別の達成度」が挙げられている。砂川遺跡における特質として「出土石器のすべてが個体別に分類可能であったという、奇跡的な条件が大きな要因にあること」(98.)が述べられている。
「接合・個体識別が完璧に近く達成されるには、集落規模が小さいほどその可能性が高い。そのほかに、黒曜石・サヌカイトなどが主要石材となる遺跡では、石器一つ一つの見かけ上の特質がほとんど同じであり、それは難しいであろう。」(99.)

最近は武蔵野台地のある<遺跡>から出土した石器資料を毎日眺めているが、母岩(個体)識別が困難なのは、黒曜岩やサヌカイトに限られないことを痛感している。長さ1㎝のある非接合資料をある母岩と「同一である」と自信をもって述べるのは、その石材がチャートだろうと、ホルンフェルスだろうと、珪質頁岩だろうと、黒色安山岩だろうと、凝灰岩だろうと、瑪瑙だろうと、玉髄だろうと「それは難しいであろう。」

こうしたことから導かれる結論は、何か。
それは、「接合」という事象と「母岩(個体)識別」という事象は決して同格には論じることはできないということである。
もっと分かり易く言えば、「接合」という事象はある二つの石器資料が「くっつく」限り、そのことは「確実」であるのに対して、「母岩(個体)識別」という事象はある「くっつかない」二つの石器資料が本来同一であることを述べるのだが、それはその外見がどんなに似ていたとしても「不確実」であるということである。
すなわち「接合」は「確実であることが確実」なのに対して、「母岩(個体)識別」は「不確実であることが確実」なのである。
こうした両者(接合と母岩識別)の根本的な性格・特性を考慮しない両者の併記(例えば「出土石器の石材の種類による接合・個体識別の難易」(99.))については、然るべき配慮が求められるだろう。

このことについては、当の方法論の主唱者も明確に認識されている通りである。
「…いまの私たちに、それら原石がみな一緒に打ち割られた事実を証明する術はない。つまり、一群の個体別資料が共伴するか否かを確かめるための、確固とした方法論を欠いているのである。」(安蒜 政雄2008「総評 -旧石器時代研究の指標-『後期旧石器時代の成立と古環境復元』考古学リーダー14:204.)

以上は、本論の前振りとも言うべき論点で、眼目は「発掘報告書のあるべき姿」を述べることにある。
そして全ての出土資料が、その出土位置を復元できるために全ての出土位置に遺物番号を表示するように求められている。趣旨は良く理解できるのだが、印刷媒体に目を通す人のどれほどが、こうした情報提示を必要としているだろうか。それよりも筆者も記されているように、こうした詳細データこそは、サーバやクラウドといった大容量ストレージに誰もがアクセスできるようにしたオープン・アクセスの構築こそが今や現実的であろう。

それよりも私が以前より問題にしているのは、こうした「石器ブロックの遺物番号表示」以前の問題としての「遺物集中部」の区分問題である。果たして誰もが納得できるような、ということは誰が行なっても同じ結果が導かれるということなのだが、結果が示されている事例は、どれほどあるだろうか。
そして更にそれ以前の問題である「遺物群(文化層)」の区分問題である(五十嵐2000「「文化層」概念の検討」『旧石器考古学』第60号)。

「…私の立場というのは、何故そのように区分するのか、という問いの立て方なのです。」(五十嵐2008『後期旧石器時代の成立と古環境復元』:199.)

最後に、註の17)と18)は入れ替えた方が、文脈との整合性が取れるようである。


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伊皿木蟻化(五十嵐彰)

「母岩識別」という研究手法については、今から15年前に「同一母岩内の均質性」と「異母岩間の多様性」という二つの制約が存在することを指摘しました(五十嵐2000「接合」『現代考古学の方法と理論 Ⅱ』同成社:168.)。不可解でありかつ残念なことは、以来このことについて母岩識別論者(石器研究において母岩識別という手法を積極的に肯定している研究者)から実質的な反論ないしは有効なコメントが発信されていないということです。それよりも何よりも重要なことは、「母岩識別」と違って「接合」という研究手法には、こうした面倒な制約は一切存在しない!ということです。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2015-11-06 03:59) 

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