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ブラウン(鈴木訳)1972『わが魂を聖地に埋めよ』 [全方位書評]

ディー・ブラウン(鈴木主税訳)1972『わが魂を聖地に埋めよ -アメリカ・インディアン闘争史-』上・下、草思社(DEE BROWN 1970 BURY MY HEART AT WONDED KNEE An Indian History of the American West.)

「その昔、この土地はわれわれの父のものだった。だが、川へ行ってみると、岸に兵隊のキャンプができていた。そこの兵隊は私の木を伐り倒し、私の野牛を殺している。それを見て、私の心ははりさけんばかりになり、悲しみでいっぱいになった。」(サタンタ、カイオワ族)

「この戦争はこのわれわれの土地でもちあがったものではない。グレート・ファザーの子らがわれわれにもたらしたものだ。彼らはここにやってきて無償でわれわれの土地を取りあげ、たくさん悪いことをした。この戦争の起こりは強奪行為だ。彼らがわれわれの土地をくすねたことから起こったのだ。」(スポテッド・テイル、スー族)

「彼らはみな私の友人だと言う。そして正しい取扱いを約束するが、その口から出る言葉はいずれも申し分がないのに、私の仲間にたいしては何の手もうたれず、ほったらかしにされているのがどうしてなのか、私には理解できない。マイルズ将軍はわれわれを自分の土地に帰してやると約束した。私はマイルズ将軍を信用した。そうでなければ、決して降伏なんかしなかっただろう。
私はあとからあとから話ばかり聞かされたが、何も実行されないのだ。言葉ばかりが立派でも、それによって何かが行なわなければ意味はない。言葉によって死んだ仲間の命はつぐなわれはしない。今や白人が踏み荒らしている土地がかえってくるわけでもない。…私はもう意味のないおしゃべりは聞きあきた。さんざん立派な言葉を聞かされ、たくさんの約束が破られたことを思うと、胸が悪くなる。」(ジョゼフ、ネ・ペルセ族)

「わが友よ、あなたがたが私をこの土地から引き離すならば、それは私にとって非常につらいことなのだ。私はこの土地で死にたい。ここで齢を重ねたいのだ。たとえこの土地のほんの一部でも、グレート・ファザーにくれてやりたいと思ったことはない。百万ドルくれると言っても、この土地を手離すつもりはない。家畜を殺そうとする時には、柵の中に追い込んで、それから殺すものだ。それがわれわれにたいするやり方だった。私の子どもたちはみな殺しにされ、兄弟も殺された。」(スタンディング・ベアー、ポンカ族)

「私は家族とともに平和に暮らしていた。食べるものは豊富だったし、よく眠り、一族の者の面倒をみ、完全に満足していた。あの悪い話が、最初どこから伝わってきたのか知らない。あそこで、われわれは申し分なくやっていたし、仲間も満足していた。私は正しくふるまい、馬も人も殺さなかった。アメリカ人もインディアンも殺さなかったのだ。われわれを担当していた人間にどういう問題があったのかは知らない。彼らも私の言うことにまちがいのないことは承知していたのだが、それでも私が悪い人間で、そこに住む者の中で最悪だなどと言った。だが、私が何をしたと言うのか。私はそこの木の陰で家族とともに平和に暮らし、クルック将軍がそうしなければいけないと言った通りのことをして、彼の忠告に従おうとしていた。私を逮捕しろと命令したのが誰だか知りたい。私は光と闇に祈り、神と太陽に祈って、家族とともにそこで静かに生活させてくれとたのんだ。どういう理由で、人が私のことを悪く言うのかわからない。新聞には、私が吊るされるべきだという話が、非常にひんぱんにのるようになった。二度とそんなことは書きたててもらいたくない。人が正しい行ないをしようと努力している時、そういう話は新聞にのせるべきではないのだ。」(ジェロニモ、アパッチ族)

「北海道は、開拓者の大地だ。」(北海道日本ハムファイターズが新千歳空港に掲げた垂れ幕

この文章を、関係者が述べるように「何事にもチャレンジし、道を切り開く」とか「新しい領域を切り拓く」という意味であると解釈するのは、かなり無理があるだろう。
むしろ「この土地(北海道)は、俺たち(日本人)のものだ」という明白なメッセージが伝わってくる。
それをも「誤解」であるというのなら、その言語感覚の貧しさは絶望的である。

球団自体が民官学連携の「イランカラプテ」キャンペーンに参加しており、12球団で初めてチームスローガンにアイヌ語を採用したというのに。

「開拓:山野・荒地を切り開いて、耕地や敷地にすること。」(広辞苑)
「侵略:他国に侵入して、その土地を奪いとること。」(同) 

現生人類(ホモ・サピエンス)が地球上に拡散して以後、居住可能な多くの場所に適応しながら人々は生活を積み重ねていった。現在「開拓」という言葉が用いられている文脈において、ノー・マンズ・ランド(無人の土地)であったという意味での「開拓」は、殆どなかったのではないか。

その土地に後から来た人びとが「利用されていない」と考えた「山野・荒地」も、実はその土地に前から居た人びと(先住民)によって異なる方法で「利用されていた」のである。
ただ後から来た人びとには、そのことが理解できなかっただけである。
勝手に「荒れている土地」だとか「不毛の地」などと決めつけて、実は豊富な地下の鉱物資源を強奪した。
後から来た人びとが自由にその土地を利用できようにするために、前から居た人びとの合意を得ることなく、暴力的にその土地を「奪い」とった。

私たちは、日常的に用いられている「開拓」という一方的な価値観を体現している言葉を「侵略」という実態を表現している言葉に置き換える必要があるのではないか。
ポストコロニアルな時代に「開拓」という用語を何の注釈もなしに使う人は、自らの視野狭窄を公言しているのと同じと考えた方がいいだろう。

「北海道は、侵略者の大地だ。」(北海道日本ハムファイターズ)

確かに、その通りだ。しかし、破廉恥だ。
開拓史観」の根は、深い。


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