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西部2003『スローフット』 [全方位書評]

西部 謙司 2003 『スローフット -なぜ人は、サッカーを愛するのか-』双葉社

本日(7月8日)は、「ミネイロッソ記念日」である。
一年前の今頃はある現場の追い込みの時期だった。それにも関わらず翌日の昼頃までは脱力感で仕事が手につかなかった記憶が…

「86年ワールドカップ・メキシコ大会で世界一になった直後だったと思う。日本のニュース番組にゲスト出演していた。
「あなたは望むものをすべて手に入れたと思いますが、今、一つだけ願いが叶うとしたら、何を望みますか?」
その質問に対するマラドーナの答えは意外で、唐突といってもよく、このインタビューの中で唯一、僕の記憶に残った回答だった。
「あのころに、子供のころに戻りたい。無心にプレーしたあのころに。」
世界の頂点に立ち、称賛に包まれ、栄光の真っ只中にあったマラドーナだったが、そのときの彼はまだ25歳なのだ。まだまだこれから次のワールドカップも、その次のワールドカップも勝つ、と言うかと思っていたら…。
そのときのマラドーナは、とても寂しそうに見えた。戻りたくても、戻れないのはわかりきっている。でも、本気で戻りたがっている。
彼が戻りたかった場所には、何があったのだろう。」(5-6.)

休講の知らせを聞くと同時に、グランドに飛び出していったあの頃。
そして、かび臭い部室で黙々と土器の拓本をしていたあの頃。

「マラドーナの最大の理解者の一人で、”戦友”でもあったホルヘ・バルダーノは、「試合中にボールがオレンジにすり替わっても、ディエゴはそれまでと同じようにプレーするだろう」と言った。これは決して大袈裟な表現ではない。オックスフォード大学へ招かれて講演をしたとき、学生が投げ入れた小さな紙のボールを、そのまま落とさずにリフティングしてみせた。」(17-18.)

これはいつのことだったのだろうか?
1982年のフォークランド(マルビナス)紛争後のことか、おそらくあの1986年ワールドカップでの「神の手」・「5人抜き」の試合の後のことではないだろうか? 宿敵のヒーローに、あえて講演を依頼する。いかにもオックスフォードならやりそうな話しである。そして、そのヒーローにまるめた紙を投げつける。オックスフォードの学生なら、ありそうである。それに対して、いささかも動じず、逆にリフティングをして見せるフットボーラー。

「ワールドカップ優勝後、故郷の講演会に招かれたジダンは、彼に憧れ、成功した”移民の星”を崇める若者たちの前で、こう言っている。
「俺じゃなくて、俺の兄貴を見習え」
ジダンの兄は、スーパーマーケットの警備員だ。俺のようには万が一にも、なれはしない。俺自身も、今日の自分を少しも予想しなかった。夢ばかり見るな、目を覚ませ、とジダンは言いたかったのだろう。
「誠実に、他人を尊重し、地道に。そうすれば、兄のような真っ当な仕事に就ける」
ジダンは本気だったと思う。聴衆の期待に冷や水をぶっかけるような言葉に違いないが、かつての自分に向かって、本音で話した。彼らに対してだけは、本当のことを言ったと思う。」(37-38.)

確かに、これがあの「ジズー」だ。

「大学を卒業して、商事会社に就職した。
玩具を輸出するセクションに配属されたが、とにかくヒマである。輸出第2課自体は忙しく、周囲は新入社員などに構っていられない。「とりあえず、これ読んどけ」と、会社案内と輸出商品のカタログを渡され、それを熟読して1日目が終わった。
2日目、男性社員は全員出張。僕だけぽつんと取り残され、回ってきた何が書いてあるのか皆目わからない書類を読む。「読んだら、ハンコ押してね」と女性社員に言われ、訳がわからぬまま判を押す。
3日目、さすがにこのままではマズい。自分から仕事を探さねばと思ったものの、何をしていいのかわからない。「何か、僕にやれることはないですか」と、隣の席の先輩に聞いてみたが、「とりあえず、ない。来週になったらボチボチ始めるから」。帰りがけ、先輩に聞いた。こんなんで、ほんとにいいんでしょうか。「そのうち、嫌というほど忙しくなるから。休めるときは休んでおけ」と、先輩。だが、今の状態からどう忙しくなるのか見当もつかない。いつ、どのように忙しくなるのか。すると、先輩は言った。
「海でさ、浮輪に乗ってぷかぷか浮いてるよな。天気もいいし、いい気持ちだなって。で、気がつくといつのまにか沖にながされてるわけだ。そのときは、もう岸なんか遥か向こう。あとは、必死に泳ぐだけだよ。」
1年後、僕は気がつくと沖に流されていた。岸なんか見えない。溺れないように、とにかく泳いでいた。いつのまにか、引き返せないところに来ている自分がいた。」(245-246.)

「1962年9月27日、東京生まれ。74年ワールドカップのベッケンバウアーを見て感化されて、以来、サッカー一筋29年。早稲田大学教育学部を卒業し、商事会社に就職するも3年で退社。サッカー専門誌の編集記者となる。95~98年までフランスのパリに在住し、欧州サッカーを堪能。」(著者略歴)

一歳違いでほぼ同世代で同郷、一歩間違えれば(?)こうした道を歩んでいたのでは、という思いがある。


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