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金1992「在日女性と解放運動」 [論文時評]

金 伊佐子(キム イサジャ) 1992 「在日女性と解放運動 -その創世期に-」『フェミローグ』第3号、フェミローグの会編、玄文社(1994『リブとフェミニズム』日本のフェミニズム1、岩波書店:229-244.所収)

「痛みは、痛い思いをすればする程、何とか生きようとする力となり、同時に痛みをもつ者に共鳴する力となってほしい。自身が痛いと感じても他者の痛みに無関心な痛みは単なるエゴである。そして私はこうしたエゴイストに出会うと嫌になる。在日女性である私にとって、日本人女性の女性運動がもう一つ信頼しきれないのは、そうしたエゴフェミニストが多いからのように思えてならない。(中略)
しかし女性問題を普遍化できないことは、1975年メキシコで開かれた国連婦人年会議におけるボリビアの一鉱山主婦委員会の女性の訴えでもわかる。徹底的な搾取支配抑圧構造を発見し、闘争する者に徹底的な強権弾圧が加えられる中、彼女は「私らは、今私らが生きておる資本主義体制を変えられんかぎり私らの問題の解決はないと考えてることを、あんたらは理解せにゃいかん」と訴え、「私らが何かにつけてどれほど完全に他国に依存して暮らしているか、またその外国が経済的にも文化的にもいかに好き勝手なことを私らに押しつけておるか」を話そうとするが、ベティ・フリーダンをはじめとするフェミニストは「男に操られて」「政治のことだけ」考え、女の問題を完全に無視していると批判した。しかし彼女は「ドレスや運転手、立派な邸宅をもつあんたの立場と、私のこういう状態に何か共通するものがあるかね。今この瞬間には、いくら同じ女だといったって、私らは平等だとはとても言えんことよ」、「あんた方にとっては、この解決は男と闘わなければならん、ということだ。だけど私らにとって根本的な解決はそうじゃない」と跳ね返す。そして「ブルジョア階級の利害は、私らのそれとは全く違うってことを新たに確認しなおした」という。
日本の女たちが皆等しくブルジョア階級であるとは言わないが、彼女の声に等しいものを今私はこの日本で、日本の女たちと在日の自分たちの間で感じる。」(235-6.)

「単なるエゴ」と言い切れる強靭さ。
23年前の文章だが、状況はどれほど改善されただろうか? 
同じような構図は女性解放運動だけに留まらない、「日本考古学」を含む多くの組織・運動において該当する。

「自身の有様を問いなおすことなく進められる運動はいつしかスローガン倒れ、運動のための運動となり、空洞化形骸化するうえ、その運動の意義は自己満足自慰行為的意義しかもてず、社会正義と自己解放をめざす歴史的意義をもった運動とは遠くかけ離れる。人が人として当たり前に生きることが可能な社会の実現はまさに自身の生き方を問いなおす努力を抜きには考えられない。これは、これまでの男たちの運動で立証されていた筈だ。」(239-40.)

何のために考古学をしているのか?
何のために<遺跡>を発掘しているのか?

「在日であることと、女であることは私にとって別のものではない。そのいずれか一方のみを共有することで理解し合えると思うほどお人好しでない。民族問題で女「性」を無化する在日の男も、女性問題で民族「性」を無化する日本の女も、在日の女には支配と抑圧の加害者である。その加害者を模擬し受容し依存しなければ生きにくい状況下、在日の女が自前の足で立つとき、彼らはそれを阻害する要素ともなる。「在日の女と手を取り合おう」と声高に掛け声をあげる在日の男も日本の女も、結局はそれぞれの利害追求と思い込みで在日の女を翻弄し、細分化された在日の女たちが一つのうねりを作り出そうとすることを阻害する。翻弄される側の弱さにつけこむ翻弄する側の姑息で図々しい態度と思考に怒りを覚え、翻弄されない力を培うエネルギーの噴出を覚える。
踏み付けられることを拒否し、踏み付けることを拒否したい。被害者であることに捉われ、己れの加害性に無自覚な解放運動を否定し、重層的な差別構造に組み込まれた自身が再び他者を踏み付けることのない解放運動を模索したい。在日朝鮮人の女が差別される被害者である故に認められるのではなく、一個の人格をもった人として認められたい。何物にも束縛呪縛拘束翻弄されず、在日朝鮮人の女である自分を確立したい。自分を構成する要素を全て肯定し、自分が自分でありえる生き方を求めたい。厳しい向かい風に煽られても、おかしいことをおかしいと感じる力、言える力、そして変える力をつけたい。私は私でありたい。」(243-4.)

全面的に同意。

関連して。
「ただ、私にとってつらかったのは社会科の時間に教科書を朗読させられることだった。社会科が得意で成績も良かった私は、しょっちゅう先生に指されたのである。教科書には「わが国の四大工業地帯」とか「わが国有数の塩田」とかいうように、「わが国」という言葉が頻繁に出てくるのだが、私にとってこの国は「わが国」ではない。日本式の通名を名乗っていた私は、その言葉にぶつかる度に「踏み絵」を迫られているような息苦しさを覚えた。読むときに「わが国」を「日本」と勝手に言いかえてしまえばいいのだが、それは子どもにとって簡単なことではない。私は自分が朝鮮人であることは隠していなかったが、それでもそのことをことさらに宣言するには特別な勇気が必要だった。またその逆に、知らんぷりして「わが国」と読んでしまうのは、何か卑劣な胡麻化しか裏切りのように感じられた。誰か自分以外の朝鮮人が日本人生徒たちにいじめられているのを目のあたりにしながら、それに抗議せず、自分も日本人のふりをして保身をはかる‐‐たとえて言えば、そんな感じである。そのため私は、いつも「わが国」のところにくると口ごもったり、わざと飛ばして読んだりしていたのだが、先生はその理由には気づいてくれていないようだった。」(徐 京植(ソ キョンシク)1999「変わらない日本:在日朝鮮人から見た日の丸・君が代法制化問題」『ひと別冊 公論よ起これ!日の丸・君が代』太郎次郎社、日の丸・君が代に対抗するエッセイに収録)

「踏み付け」ていることに気付かないことが、いかに多いかを思わされる。


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