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加藤2013「博物館資料の境界」 [論文時評]

加藤 隆浩 2013 「博物館資料の境界 -ペルーに戻ったマチュピチュの遺物-」『博物館資料の再生 -自明性への問いとコレクションの文化資源化-』明治大学博物館・南山大学人類学博物館合同シンポジウム成果刊行物:84-103.

「…所有の観念の行き違いに端を発する資料の帰属問題は、個人のレベルを超えるだけでなく、博物館、エスニック・グループ、国家、国際機関を次々に巻き込み、すでに世界のあちらこちらで現実と化している。それは、もちろん世界の名だたる博物館を震撼させる文化財返還運動ばかりではない。伝統文化の知的所有権を認めてほしいという主張もあれば、撮影された自分の親族の写真を譲ってほしい、というささやかな要望もある。しかし、問題がいかに多様に見えても、そこにはもちろん、上記のさまざまな所有観念・文化の捉え方がもつれ合い少なからず反映されていることを忘れてはならない。このように見ると、博物館の所蔵品をめぐる事態はいつなんどき急変するか予想もつかない。繰り返すが、博物館の所蔵物はすべて博物館のものと無条件に言っておれなくなったのは確かである。」(88.)

2010年から3ヶ年かけて明治大学博物館と南山大学人類学博物館の協定事業として行われたシンポジウムの成果報告の一つである。

「今や誰もが知っている世界遺産、マチュピチュ。「インカの空中都市」「失われたインカの都市」とも呼ばれ、世界の新七不思議の一つに数えられている。多くの観光客が長蛇の列をなし次々に押し寄せる大盛況の中、2001年から2011年まで水面下では熾烈な議論が戦わされた。マチュピチュ遺物返還交渉である。」(88-89.)

マチュピチュ、エール大学、ハイラム・ビンガム、そしてインディ・ジョーンズは、殆ど一体化したイメージとなっている。
マチュピチュ「発見」100周年の2011年、マチュピチュ・コレクションは、エール大学ピーボディ自然史博物館からペルーのリマに「帰国」した。ペルーのガルシア大統領は、「マチュピチュは、ペルーの尊厳と誇りを表象するもの」と述べた。
こうした遺物返還交渉の過程でアメリカから発信されていた様々な「マチュピチュ・イメージ」が虚像であることも明らかにされた。
ビンガムはもともと考古学者ではなく、好事家による探検事業に近く、彼は第一発見者ではなく地元民に案内されて到達したに過ぎず、遺物持出の根拠となった協定には附則があり貸借期間が問題となり、持出後もビンガム自身がマチュピチュ研究を継続していたわけではなかったようだ。

「では、この問題はエール大学にとってはどうなのか。マチュピチュ・コレクションはすでにペルーに戻っている。したがって、それが先住民系のペルー人のもの、はたまた非先住民も含めたペルー人のもののいずれであっても、結果的には同じである。しかし宝物を「手放した」エール大学には、それなりの考えがある。彼らは確かに、コレクションのピーボディ自然史博物館からクスコへの移動を許可したが、それは裁判に負けたからでも大衆の声に屈したからでもない。その移管は彼らにとっては「返還」ではなく、それはあくまでも「善意」の行動であった。ではその善意はいったいどこに向けられたのか。相手は一義的にはペルーに対してであるのは言うまでもない。しかしエール大学の視線は、それと同時にもっと遠くを見据えているようにも思える。とりわけ、彼らがペルー側の要求を呑んだのは、その目的でペルーとの共同で資料の保存・管理・研究のための博物館を創設し運営するという合意に達した(Nutman2011a)という点に留意すれば、なおさらである。エール大学もペルーも、研究博物館の共同運営で、遺物をひとりペルーの独占物とせず、人類すべての共有財産と見做そうとしているのは、明白である。だとすれば、この場合、マチュピチュの遺物のあるペルーは、人類共通の遺産に到達するための単なる窓口にすぎず、真の到達点は、その窓の彼方にある人類普遍の価値をもつ、文字通りの世界遺産ということになる。」(100.)

戦時期に流入した半島・大陸由来の文化財を所蔵している日本の多くの博物館施設も、こうした知恵に学ぶ必要があるのではないか。
取り上げられるのを恐れて頑なに門戸を閉ざして対話を拒むのではなく、その<もの>が現在ある<場>に至った経緯を丁寧に跡付けつつ、出土した<場>に所縁の人々と共同で、その<もの>が有する新たな価値を創出する。
それは、現在の所有者の「善意」というより、私の言葉で言えば示すべき21世紀の「倫理」である。
国と国との、あるいは民族と民族との文化財を巡っての「取った」「取られた」「取り返した」といった綱引きではなく、その先にある、あるべき「姿」や「状態」を見据えた姿勢が何より重要である。

11.1(土)-11.2(日)に東京・恵比寿の日仏会館で行われた日仏会館創立90周年記念日仏シンポジウム「フランスと日本における考古学・文化財・アイデンティティ」に一部だけ参加した。
「このシンポジウムでは、日本とフランスの比較の視点から、過去の遺物が歴史のなかで果たしてきた役割について考えます。考古学や文化遺産が生み出した言説は、人間が残した遺物や遺構にいかに過去を語らせ、国民国家の歴史を構築してきたのでしょうか。」(案内チラシより)

「考古学」・「文化財」・「アイデンティティ」と来れば、私には、次には「返還」と来るのだが、2日間を費やしたシンポジウムでは、考古学史・天皇陵・国家形成・地方分権といった主題が論じられても、「返還問題」については語られなかったようだ。
日本もフランスも、その置かれた立場は相似たもので、共に語るべき事柄は多々あるように思えたのだが。


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