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慧門2014『民族文化財を探し求めて』 [全方位書評]

慧門(HAEMOON) 著(李 一満 訳) 2014 『民族の文化財を探し求めて -朝鮮の魂の回復-』 影書房

「魂のこもった卵は岩をも砕く。
文化財回復運動(韓国では「還収」としている:訳註)の全期間、胸に秘めていた言葉である。
植民地時代、民族の宝物である「朝鮮王朝実録」や「朝鮮王朝儀軌」等が日本に流出した。それらが東京大学や宮内庁等に保管されている事実を知った後、わけのわからない何かにとらわれた。
総督府の寄贈という形で日本に渡った民族の神物(時代精神と歴史の魂が刻み込まれ、民族を象徴し、民族の歴史そのものと認められたもの)は、一般には公開すらされず、奥まったところであたかも戦利品のごとく密かに隠されていた。
回復を口にすると人びとは冷笑した。東京大学や宮内庁、いわば天皇家の所有物の回復は現実的に難しいだろう、卵で岩を打つようなものだといった。
一つひとつ事実関係を確認した私は、文化財問題とは「韓国近現代史の隠された裏面」に近づくことだと思いいたった。
運動で具現しようとしたのは単純な文化財問題ではない。帝国主義の侵略と植民地支配を経た国が、何を失い何を取り戻すべきかを、明らかにすることであった。」(3.)

単に奪われた<もの>を取り戻すのではない、ということが繰り返し述べられている。

「文化財回復は、単に奪われた文化財を元の場所に戻せばすむということではない。それはわが祖先が末裔たちに引き渡してくれた精神を探し求める過程であり、われわれ自らが主人であることに目覚める過程である。
そのような趣旨から朝鮮半島の100年前の悲しい歴史を拭い、朝鮮民族が朝鮮の主人であることを確認する運動として文化財回復運動が立ち位置を占め、分断を乗り越え民族の復興に繋がることを期待したい。」(8.)

奪われた側の文化財回復(還収)運動は、民族の心を取り戻す運動であろう。
そして奪った側の文化財返還運動は、人間としての良心を取り戻す運動である。

「衆生は、なぜ僧侶が文化財回復運動に熱を上げるのかと聞く。私が解する仏教は、ないものを探すことではなく失ったものを探すことである。仏教的に言えば、何を失ったのかも知らず生きるのが悩める衆生の生であれば、失った真実を探し求めるのが修行者であり、求道者の生である。
金剛経で言えば還至本処(チェジャリ・チャッキ)である。「チェジャリ」とは当然あるべきところであり、ある存在があるべき完全無欠な場所でもある。だから、私は文化財回復運動を文化財チェジャリ・チャッキというのである。
文化財回復運動は失ったものを元の場所に戻す活動であり、究極は真理の再確認、良心の復興に繋がると信ずる。激動の近現代史で起こった歴史的桎梏、人間の貪欲でいどころを追われたものを元の場所に戻す活動は、仏教思想の社会化であり、もう一つの修行過程になるのではないか?
私は、真実と正義より強いものはないと信じており、真実に立脚して人間の利己心で不当に歪曲された事実を糾すのが仏教の大義であると思う。」(16-17.)

文化財返還の対象となる様々な文化財を見るとき、自問自答する。
「なぜ、これらが、本来あった場所から引き離されて、ここに運び込まれてしまったのか?
引き離し、運び込んだ人びとは、どんな気持ちで、引き離し、運び込んだのだろうか?
単なる戦利品として、勝利に酔った勢いで、持ち込んだのか?
自らの虚栄心を満たすために、自国の誉れを讃えるために?
奪われた人びとの心の痛みをどれほど想像しただろうか?
何ということをしてくれたのだ。
そのことの意味を、持ち込んだ後のことを少しでも考えたことがあっただろうか?」

こうした歪んだ動機によって引き起こされた不正常な状態を元あった状態に戻すには、莫大なエネルギーが必要となる。
ほんのちょっとした出来心であるいは周到に計画されて持ち込まれた<もの>たちを元に戻すには、持ち込んだ数倍の時間と労力が必要とされる。
しかし知らなかった振りは、できない。棚上げして先送りしても、問題は解決しない。付け(負債)は、そのまま、いや年月を経るごとに脹らんで、子たちや孫たちに回ってくる。日々排出される放射性汚染水や高濃度放射性廃棄物と同じである。今を生きる「私たち」が動き、少しでも、一歩でも、解決に向けた努力をなし、子たちや孫たちの負担を軽減するべく道筋をつけるべきである。
それが、「日本考古学」の「戦後責任」を果たすことである。
それが、「日本考古学」の‘ポスト・コロニアル・アーキオロジー’である。

「真理は、個人と民族の範疇を超えて、世界と宇宙を追求する普遍性を帯びている。
私はこのような思想的基盤の上で、文化財の回復運動を展開し、帝国主義列強には良心の声に耳を傾ける事を促したい。またこんな考えを基に、国立中央博物館が所蔵する大谷コレクションの原産国返還が実現される事を希望する。
大谷コレクションを見れば、中央アジアの民族が感ずる胸の疼きを、植民地収奪を体験した民族として少しは分かるのではないか?
強大国の利権角遂場に変質し悲しい歴史を経験したわが民族が、その帝国主義列強たちに恥をかかせることをわれわれが先にしよう、それが私の考える仏教の実践方法であり、文化財回復運動が指向すべき座標である。
大谷コレクション原産国返還の動きに、非難の世論がときおり聞こえてくる。ようは、それが正義か否かである。自分のモノは返してもらい、他人のモノは返さないという、愚かな衆生の利己心に問題を提起するのは、単に文化財を元の場所に戻すことを超え、良心のありかを探してあげる事である。心のなかでいくら反芻しても、私は大谷コレクションの原産国返還にいささかのためらいもない。」(121.)

くれぐれも注意しなくてはならないのは、返還対象となっている交渉相手は、中国新疆省自治区であるということである。日本に存在する大谷コレクションの所有機関(東京国立博物館および龍谷大学など)も、正に他人事ではない。


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NO NAME

とにかく文章が読みにくい。。
評論家気取りってなぜこうなのだろう。
扱ってるテーマがテーマだけに残念
by NO NAME (2014-09-30 07:59) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

コメント有難うございます。
もう少し具体的な指摘を頂ければ、具体的に対応することができるのですが。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2014-09-30 12:15) 

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