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石器文化研究交流会 とうきょう大会 [研究集会]

[拙文自評] 五十嵐2014c「桐ケ丘遺跡」『石器文化研究』第20号:60-63. 

第18回 石器文化研究交流会 とうきょう大会
日時:2014年8月23日(土)・24日(日)
場所:東京都 府中市郷土の森博物館

茨城県 西光遺跡(早川 麗司・窪田 恵一)
群馬県 新田上遺跡(石田 典子)
神奈川県 西富岡・向畑遺跡(井関 文明)
近年の旧石器時代遺跡調査の動向 -千葉県- (新田 浩三)
千葉県 飯積原山遺跡(川端 結花)
千葉県 復三谷遺跡・泉北側第3遺跡(山岡 磨由子)
東京都 桐ケ丘遺跡(五十嵐 彰)
東京都 羽根沢台遺跡(下原 裕司)
旧石器人はなぜ石斧を所有したのか(長崎 潤一)
石斧の製作技術(鈴木 美保)
大形遺跡における斧形石器の様相 -東京都鈴木遺跡を例に-(小川 望)
石斧と環状ブロック群(宇井 義典)

石器文化研究交流会で、最初に発表したのは1995年埼玉での第3回交流会で「府中市No.29」、次が1998年栃木での第5回交流会で「三鷹市島屋敷」、今回は16年ぶり3回目の登板である。
昔馴染みの方とも、初めてお会いする方ともお話しすることができた。

石器文化研究会については、これまでも何回か言及し、その際には関係者からの応答も頂いてきた経緯がある。
2005年10月「ナイフ形石器文化終末期再考」[2005-10-03]
2011年1月「ナイフ形石器・ナイフ形石器文化とは何か」[2011-01-27]

「近年、研究会に参加して痛切に感じることは、参加者の誰もが思うように若い方々の出席が極端に少なくなったことです。学生が帰省しにくい栃木県では、県考古学会への出席が難しいことは分かりますが、東京での研究会ならもっと沢山の学生にお目にかかれる筈なのですが…。」(芹澤 清八「栃木県」『石器文化研究』第20号:24.)

ディスカッションの席上で、最も刺激的な発言を行なったのが、70歳を超える研究者であったということが感慨深い。
また会場に展示されていた石器資料を観察しながら誰よりも熱心に野帳にスケッチされていたのが、その研究者であったということにより一層・・・

「磯山遺跡については、栃木県教育委員会による重要遺跡等現況範囲確認調査の対象遺跡として進言した経緯がありますが、悲しいことに既に遺跡は大きく削平を受け、芹沢トレンチ附近はほぼ消滅したのではないかと思われます。」(芹澤:23.)

馴染み深い大判の考古誌『磯山』。
信じがたい事態である。
しかしこうしたことも続発しそうな気配が濃厚である。

懇親会席上での友人との会話。
「斧を主題として「機は熟した」と云うけれど、何か新しい知見は得られたの? 確かに多少資料は増えて、再整理も進んだけど、延々と木工具か解体具かといった話しをしていて、結局「よく分からない」といういつもの結論のような気がしないでもないけど。」
「そーですね…」
「砂川期やって、ナイフやって、礫やって、炉やって、斧。次は尖頭器かマイクロ? 前期後半やって早期末やって後期初頭やるのと同じ? 出来上がった枠組みを出るって、ほんと難しいね~」
「そーですね…」

(以下、脳内妄想)
「せめて来年ぐらいは、2日間かけて、例えば「月見野仮説」について、若い人たちが気兼ねなく発言できるような場が設定できないだろうか。」
「若い人たち、司会とか設定準備とかばっかりで、殆ど発言ありませんでしたね。」
「そして2016年には、「砂川仮説」について、論じ合う。2017年には、「母岩識別」について語り合う。そうしたら、少しはこの硬直状態から脱け出せるような気がするんだけど。根本的な問題が提起されているのに、それに応えずに目をそらし続けるという神経が理解できないんだよね。」
「みんなが少しずつ自分の意見を出していかなくてはダメですね。」
「発言しなければ、ディスカッション成立しないんだけど。」
「1日半の日程で、「遺物見学」の時間が合わせて3時間もあるのに、「ディスカッション」の時間がたった50分というのも、日本的と言えば日本的ですね。」
「う~ん・・・」(遠くを見る目になる。)


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