SSブログ

考古学研究会編2014『考古学研究60の論点』 [全方位書評]

考古学研究会編 2014 『考古学研究60の論点 -考古学研究会60周年記念誌-』

本書については、刊行が予告された一年ほど前に世界考古学会議のセッション・テーマと対照させつつ感想を述べたことがあった【2013-04-17】、【2013-04-24】。
実際には購買価格も良心的で、値段以上の「読み応え」という点について異論はないだろう。

「60の論点」に対して、執筆者は130名である。
ということは、一論点あたり2名以上の論者が居るという単純計算になるのだが、実際はそうはならなかった。
「結果として諸般の事情により、複数人の論考が集まらなかったテーマもありますが、…」(編集後記:268.)

論者1人:5テーマ
論者2人:45テーマ
論者3人:5テーマ
論者4人:5テーマ

本来複数の論者を立てるべきところ一人しか掲載できなかったことについて、部外者がその「諸般の事情」を窺い知る術もないのだが、基本的には「テーマ選択のズレ」と考えるのが妥当なところであろう。
#16:交通の発達と社会変化 
#23:時代と時代区分 
#27:交易をどうとらえるか 
#37:考古学は科学か哲学か 
#45:これからの埋蔵文化財調査

なぜこのテーマが選ばれて、あのテーマが選ばれないのか?
こうした感想を抱く読者もおられるのではないか?
この60のテーマが「日本考古学」の「いま」を示すものとして、本当に適切であったのかという検証もまた必要となろう。
更に欲を言えば、テーマ選択にあたって「常任委員会の幾多の議論」だけではなく、会員に対するアンケート調査などを元にして選択されていれば、「自由で民主的な学風を理念」とする組織にふさわしい、また違った結果になったのではないかとの思いもなくはない(私は既に会員ではないのだが)。
もちろん何かを選ぶという作業にあたっては、どのような方法を採用しようと、何らかの文句はつきものである(ワールドカップ代表の23人を選ぶのと同様に)。

個人的には「文化財返還問題」については148頁や259頁に片鱗は認められるものの、「先住民考古学」や「リポジトリ」と共に論点とされるべきではなかったか。

1年後、2015年の春に本書がどのように論評されるかを想像してみる。
例えば、「日本考古学」の代表的なレビューとして『考古学ジャーナル』誌の5月号で『60の論点』はどのように扱われるだろうか。
残念ながら、冒頭の「総論」の箇所で「60もの論点について多様な意見が述べられた」程度の言及で終わってしまうのではないか?
「古墳時代の政権構造」とか「古墳時代首長の支配領域」について、「古墳時代(関東)」の担当者が言及しようと思っても、「守備範囲逸脱」として自主規制するだろう。
結局、『考古学ジャーナル』誌が設定した50の動向欄で『60の論点』が言及されるのは1つのみ、僅か1/50(2%)となる。しかし『60の論点』が2014年「日本考古学」を総括する際の2%で扱われるに過ぎないというのは、いかがなものか。

何故、このようなこと(扱い)になってしまうのだろうか?
それは、『考古学ジャーナル』の動向が第1考古学優先の枠組みに基づいているからである。
まず時代で区切り、次に各時代を地域で区切るというその枠組みそのものが。
これは、日本考古学協会の『年報』にしても、大同小異、同じことである。
「日本考古学」を蝕む根深い「第1考古学独占体制」である。

「一方日本においては、こうした影響(「ニューアーケオロジー」やポストプロセス学派:引用者)は部分的に受容されたものの、学問の流れを変容させるほどのインパクトにはならず、文化史的アプローチが依然として主流である。」(石村・松本:87.)
こうしたことこそが、論点となるべきではないだろうか?

本書の体裁について言えば、全ての原稿について2頁という厳格な規制がなされているのだから、ここは「奇数頁始まり」という造本上の作法を逸脱しても、見開き2頁単位で各項目を配置した方が読者の便宜に適ったのではないか。
コピーする時のことを考えてみても。


nice!(1)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 1

コメント 4

pensie_log

「テーマ#37:考古学は科学か哲学か」が執筆者が私一人なのは、以下のような経緯です。

テーマ応募の〆切時点で、1名しか応募が応募がなかった。なお、その1名は私ではない別の人(名前は伏せます)
 ↓
1名しかいないのは…ということで、事務局より、私に2人目の執筆依頼が来る
 ↓
本文をお読みいただくとお分かりのとおり、テーマには同意しかねるものの執筆依頼を承諾
 ↓
蓋を開けてみたら私のみ掲載(聞くところによると、もうお一人は〆切までに出せなかったとのこと)

論点の対立が生まれなくなり、残念な結果です。
by pensie_log (2014-06-06 03:20) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

「諸般の事情」の一端をお伝え頂き、有り難うございます。
正に「外部の権威に依拠して考古学を強固にすることではなく」「その理論的妥当性や発展可能性を、考古学内部から批判的に語り出し、言語化することにある」という励ましの言葉を、実感をもって受け止めました。
「批判的な語り出し」
今後「日本考古学」はこの言葉に対して、どのように対応するでしょうか。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2014-06-06 06:25) 

pensie_log

私の駄文についてはさておき、上記のような事情ですので、おそらく事務局は、1人しか集まらなかったテーマについては、可能な限り2人になるよう、執筆依頼を出したと思われます。

そのため…

・論者2人のテーマであっても、実際は1人しか募集のなかったが、そこに依頼をおこなった
・論者1人のテーマであっても、実際は2人(ないしそれ以上の)応募があったが、原稿の〆切に間に合わず、結果1人になってしまった

といったテーマもありえると思いますので、諸般の事情は諸般の事情といわざるをえないかと思います。

個人的には、「第1章 考古学と歴史像」が、実質、「日本の歴史像」となっているのが日本考古学的だと感じる反面、第2章・第3章はその枠から外れた自由度があり、そのコントラストが面白く感じられました。
by pensie_log (2014-06-07 01:33) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

外部依頼者の方々の努力によって、論者0人という不名誉な事態が回避された訳ですね。
そして当然のことながら、2年後の京都を考えている訳です。
対話可能性と温度差と、「日本考古学」の感性を。
「学問の流れを変容させるほどのインパクト」になるのか、ならないのか。
楽しみです。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2014-06-07 06:40) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0