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安藤編2014『慶應義塾大学日吉キャンパス一帯の戦争遺跡の研究』 [考古誌批評]

安藤広道編 2014 『慶應義塾大学日吉キャンパス一帯の戦争遺跡の研究』2011~2013年度科学研究費補助金研究成果報告書

「…今、我々が真摯に、また急いで取り組むべきは、正論を念頭に置きながら、これまでの実践のなかで得られた情報を、多くの人たちが利用できるようなかたちでまとめ、それを継承していくための具体的な取り組みを進めること、そして、それらの情報を有効に活用しつつ、戦争関係の遺跡・遺物をめぐる歴史実践の意義を、これまで以上に明確に示していくということであろう。」(2.)

2008年に発覚した蝮谷体育館建設に伴う地下壕出入口の破壊、その考古誌の作成(慶應義塾大学2011)、それにも関わらず再び民間開発事業地で発生した2013年の地下壕出入口の破壊などを踏まえた上での研究プロジェクトの成果報告である。

「日吉キャンパス一帯の戦争遺跡研究の序」(安藤広道)
「日吉キャンパス内の地下壕群の調査」(安藤広道)
「艦政本部地下壕の調査」(櫻井準也)
「矢上台周辺における小規模地下壕の調査」(千葉 毅)
「日吉台地下壕に関する音声・映像資料について」(都倉武之)
「戦争末期の海軍による大倉精神文化研究所の利用について」(林 宏美)
「アジア太平洋戦争前後の日吉一帯に関する手記と聞き取り」(安藤広道)

ここでは研究プロジェクト全体の指針ともいうべき冒頭論考について感想を述べたい。

「…近代史上の諸事象は、このように現在の諸事象・諸問題の理解と結びつくことが多いが故に、歴史のもつ政治性が強く意識される場になりやすいという点にも注目しておかなければならない。いかなる社会も、社会の成員に共有される歴史、つまり正史(あるいは神話)を構築しようとするベクトルを内に持っており、それは、それぞれの社会的関係を生産・再生産するという、それぞれの社会に固有の政治性と密接不離の関係にある(例えば家族のアルバムにも政治性がある)。」(3.)

これは、もはや現代に生きる社会人としての一般的な共通理解の範囲と言って良いだろう。
しかるに「日本考古学」社会では、「過去の歴史的事実を研究することは可能であるが、様々な現代政治的問題が絡むこと」(日本考古学協会理事会2010「6月理事会議事録」)といった歴史的事実とその政治性を分離できるとみなす見解が堂々と表明される有り様である。学問と政治を分離させること自体が特定の政治的な立場、すなわち政治性そのものであることに気付かない人々もおられるようである。

「…いずれにしても、ナショナリズムの台頭とともに、修正主義を含め歴史の政治的な利用が目立つようになってきている昨今の世界情勢のなかで、日本国民にとって真に誇りとなる歴史とは、こうした流れに乗じてナショナリズムを刺激する美辞を並べたものではなく、倫理あるいは真摯さにこだわり悩みぬいたうえで語られるものではないかと思っている。」(4.)
「…歴史研究者がなすべきは、個々人がどのように歴史を語っていくべきなのか、どのように歴史と向き合うべきなのか、つまり、異なる歴史との対話の意味や、社会にとっての歴史の意義、それが故に生じる歴史と政治との関係、歴史の多様性を根底で支える倫理または真摯さなどを、丁寧に説明していくことだと考えている。」(5.)

キーワードは、「倫理」あるいは「真摯さ」ということになろうか。

「「日本考古学」としてどのように歴史に向き合うのか? 問われているのは、私たちの倫理的な選択であり、歴史に対する誠実さである(Scarre&Scarre2006 The Ethics of Archaeologyなど)。考古学という学問、特に日本という空間において考古学に関わっている全ての人々が、文化財返還問題に向き合い、積極的に問題解決の糸口を見出す努力をすべきである。文化財返還問題は、日本考古学が負うべき社会的責任であり、問題解決を先延ばししてもいたずらに状況を悪化させるだけである。」(五十嵐・森本2011「文化財返還問題の経緯・現状・課題」『日本考古学協会第77回総会研究発表要旨』83.) 

「…いずれにしても、近現代史の研究者は、様々な人々が行う歴史実践とその中で語られる歴史が意味あるものになるよう、その舞台の整備を進める、つまり縁の下の力持ちになることを最優先に考えていかなければならないように思える。そうした地道な活動に身を投じる研究者が増えていき、歴史実践のための基盤整備が進んでいけば、近現代史は、多くの人々の歴史実践が絡み合うなかで、ある種の自浄作用も発揮しながら動いていく自律的な運動体、つまりパブリック・ヒストリーとして展開していくのではないかと考えている。」(6.)

「パブリック・アーケオロジーにとってとりわけ影響が大きかったのは、各地域の先住民族、またいわゆる二世・三世を含めた移民たちが自分たちの「過去」の社会的認知を求めて展開した運動、さらには、民族・宗教紛争が続く地域にてしばしば見られた文化財の破壊行為と、それに対する賛否を問う白熱した議論であった。こうした情勢の中、考古学が政治とは無縁な学究的営みである、あるいはそうあるべきだ、という主張が通用しにくくなり、ついには、そのような主張自体が社会的に無責任であるという声も上がるようになった。このようにして、考古学がどのように社会や政治システムと向かっていくべきなのかということが根底から考え直されるようになった。」(松田 陽・岡村 勝行2012『入門パブリック・アーケオロジー』22-23.)

いずれにしても、今回の報告は「まだまだ最初の一歩を踏みだした程度のものであり、これからは、より大きな枠組みでこうした取り組みを進めていかなければならないと考えている」(6.)とのことであるから、今後の活動が更に期待される。


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