SSブログ

大場2013「動作連鎖の概念に基づく技術学における石器製作実験」 [論文時評]

大場 正善2013「動作連鎖の概念に基づく技術学における石器製作実験 -意義と必要性とその方法について-」『シンポジウム 日本列島における細石刃石器群の起源』:74-80.

「テクニークを同定する過程は、「観察→仮説→実験→検証」といった、科学的方法の手順を踏む(図1)。この同定していく過程は、世に科学的医学を問い、「実験医学」を確立したフランスのC.ベルナールの方法に拠っている(ベルナール1970・2008)。また、この同定の過程については、法科学における「工具痕鑑定」や、物理学における「破損解析」などでも、同様の過程で分析が進められている(メイヤーズ2005・吉田2005)。緻密な観察によって同定の根拠となる証拠(痕跡)を数多く拾い上げ、集められた証拠をもとに立てられる仮説をいくつか挙げ、その上で仮説をもとに実験を行い、実験資料と考古資料を比較して検証を行うのである。」(78.)

そして「考古資料」から「Methode復原」、「technique推定」、「考古資料の製作技術にかんする仮説」、「石器製作実験による検証」を経て「実験資料」に至り、再び「考古資料」との対比、類似を経て「考古資料の技術にかんする解釈」に至る「図1 技術学分析の手順」が示されている。

私も10年前に「考古資料と実験試料の研究枠組み」を考えたことがあった。
「考古資料<過去>と実験試料<現在>という時間的不可逆性を横軸に、行動<動態>と痕跡<静態>という原因と結果の因果関係を縦軸に、実験痕跡研究の、特に使用痕跡研究について整理してみよう(註4、【図2】)。
プロセスA:実験行動①によって生じる実験痕跡②を明らかにする。(中略)
プロセスB:プロセスAによって得られた結果に基づき、実験痕跡②から実験行動①を推定する。(中略)
プロセスC:実験痕跡②と考古痕跡③を比較し、考古痕跡を同定する。(中略)
プロセスD:考古痕跡③から、プロセスB(推論モデル)に基づく考古行動④を推定する。」
(五十嵐2003「座散乱木8層上面石器群が問いかけるもの」『旧石器文化と石器使用痕研究 -方法論的課題と可能性- 発表要旨集』石器使用痕研究会:28-9.)

「実験痕跡研究の構図」が「技術学分析の手順」と異なる最大の点は、②実験痕跡(「実験資料」)を①実験行動(「石器製作」)に結びつける関係が、①→②という一方向(プロセスA)だけではなく、②→①という検証(プロセスB)の方向をも備えている点である。このプロセスBこそが、「ブラインド・テスト」である。

「実験痕跡研究は、実験的手法による痕跡と行動との相関、再現された痕跡と考古資料に認められる痕跡との対比の各側面において、確率的蓋然性を通じてしか表現し得ないという原理的限界を有している。こうした手法の客観性に対する評価という意味で、第三者が作成した痕跡を研究者が行動に結び付けて判定する「ブラインド・テスト」と称される分析手法の位置づけが、重要である(芹沢ほか1981、御堂島ほか1987)。」(五十嵐2001「実験痕跡研究の枠組み」『考古学研究』47-4:84.)

ブラインド・テストという検証プロセスが確保されていなければ、いかに「動作連鎖の概念に基づく技術学の方法は、実証的な科学的方法を採用している」(79.)と述べられても、その裏付けが確証され得ないだろう。「実験医学」、「工具痕鑑定」、「破損解析」等々も、同様である。
「技術学」も、石器研究に限定されない。ブラインド・テストについては、土器を始め、あらゆる物質のあらゆる痕跡研究に該当するし、しなければならない。

「「実験痕跡研究」とは耳慣れない言葉だが、この用語の提唱には二つの意味が込められている。ひとつは、従来用いられてきた「実験考古学」という言葉が引きずるある種のイメージからの脱却である。「実験考古学」という名称には、ある訳書の表題に示されているように当時の人々が「どう暮らしていたか」というイメージがつきまとう(コールズ1985)。物見櫓や大形掘立柱建物の復元あるいは様々な発火法の試みなどは、「実験考古学」というよりも「体験考古学」といったほうが、相応しいように思われる。」(五十嵐2001:83-4.)

筆者が最後に述べているように、「「空論」とならないためには、検証的な分析事例の蓄積が欠かせない」(79.)のだ。

最後に一言。
「わたしの石器作りの技量は、ペルグランはおろか、先史時代人にも遠く及ばない。」(74.)
これでは、ペルグラン氏にも失礼ではないだろうか。
彼も自らの技量が「先史時代人」を凌駕した、などとは思っていないはずだ。
「先史時代人はおろか、ペルグランにも遠く及ばない」の誤植であると信じたい。


nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 3

大場 正善

ブログで論評をしていただき、たいへんありがとうございます。
一方で、たいへんな誤植をしてしまい、恥じるとともに、たいへん失礼なことをしてしまったと、自責の念に堪えません…。
ご指摘、ありがとうございました。

ですが、「ブラインド・テスト」には問題があります。
たしかに、たとえば自分が作った石器資料を他者に渡し、その他者が用いる分析法によって正しくテクニークが同定できるのかを確認する、すなわち他者の分析方法が有効であるのかを検証する上では、意義があるのでしょう。
とすると、「ブラインド・テスト」は、「ブラインド・テスト」するその他者が、正しい方法で分析する、あるいは正しく判断(診断)できるということが前提になるのではないでしょうか?

石器資料を観る(診る)目は、その人の石器製作経験と知識、そして石器資料に対する考え方が反映されてしまいます。
たとえば、峠下型細石刃核の「製作技法」で図示されたスポール剥離の概念図は、実際にはありえない前面角、つまりスポール剥離の打面と作業面雄なす角度が鈍角になっています。
実際に石器製作をしている経験と知識があれば、まず気付くことなのですが、あの角度では、まずスポールを剥離することができない。
峠下型細石刃核の「技法」だけではなく、ほかにもそのような実際の石器製作と乖離した解釈が多々見受けられます。
同じように、石器製作の経験と知識がなければ、比較的同定が簡単な硬石製ハンマーの直接打撃の痕跡と有機質製ハンマーの直接打撃の痕跡の違いですらも、おそらく判らないのではないでしょうか。
たとえ資料が考古資料でなく、実験資料であったとしても同じです。

それから、型式学的に観るのか、あるいは技術学(動作連鎖)的に観る(診る)のかでは、観ているところがまったく異なります。
それは、石器製作に長けた者であっても、従来の日本の石器研究の枠組みのなかに捉われているのであれば、実験資料に残る痕跡を観てもテクニークを同定することは難しいでしょう。
日本の従来の石器研究は、痕跡とジェスチャーと結び付けて観る、すなわち痕跡からテクニークを同定する視点がありません。
拙稿で示したように、型式学的な手法である属性分析は、テクニークを同定する分析法ではありません。
たとえ石器製作の経験と知識があったとしても、型式学的思考であったら、また分析手法が型式学的分析であったら、テクニークを同定することができないと言っても過言ではありません。
おそらく、「判らない」とされることが多いのではないでしょうか。
型式学と技術学では、まったくみている視点が異なるのですから、無理もないことなのです。
しかし、逆に型式学的手法で「同定された」としても、その「同定」の信ぴょう性と客観性を疑わざるを得ません。
つまり、型式学的思考では、「プロセスB」の客観性を保証することができません。
著名な型式学者であり、かつ石器製作の名人であったF.ボルドが、「コルビアック石刃剥離」の復原で過ちを犯してしまったのは、技術学的に石器を分析する思考がなかったことに由来していたことの、よい例ではないでしょうか。

わたしたち技術学派は、ペルグラン先生の石器製作に関する理解を鵜呑みにするのではありません。
実際に同じように作る、すなわち再現実験をして裏付けられてはじめて、それが「正しい」と判断しているのです。
つまり、再現性を確認しているからこそ、受け入れているのです。
だからこそ、実際に自ら石器を作るということ、製作実験をするということに、意義があり、必要性があるのです。

ちなみに、技術学では、分析者が石器製作の豊富な「経験」と「知識」を有していることが、分析する上で重要になります。
つまり、五十嵐さんのおっしゃる「プロセスA」と「プロセスB」は、分析者の知識と経験として有していることが前提になります。
それが、山中一郎先生がおっしゃる“石器資料を観る(診る)目”です。
少なくとも、実験資料の痕跡を観て(診て)、その痕跡がどのようなジェスチャーの結果生じたものなのかを判断できることが、分析者として当然有すべき能力なのです。
さらに、自ら製作して、同じ痕跡を生じさせることが、求められます。
そもそも、「プロセスB」ができるようになるには、豊富な石器製作の経験と知識がなくてはならないのではないでしょうか。

したがって、「ブラインド・テスト」の前提として、豊富な石器製作の経験と知識、そして技術学的思考・視点がなければ、「ブラインド・テスト」は「手法の客観性に対する評価という意味で、第三者が作成した痕跡を研究者が行動に結び付けて判定」ことができないのではないでしょうか。
石器製作の経験も知識もない者が、あるいは型式学的思考の者が「ブラインド・テスト」に当たった場合は、そのテスト結果の信ぴょう性と客観性が問われることになります。
ですから、テスト実施者の能力と思考法とその方法が保証されない限り、必ずしも「ブラインド・テスト」が有効であるとは思えません。
もちろん、豊富な石器製作の知識と経験を有し、かつ技術学的思考の分析者が、「ブラインド・テスト」すれば、蓋然性を高めることになるのでしょう。
ですが、「ブラインド・テストという検証プロセスが確保されていな」くとも、再現実験をすることによって、その見解の客観性を確認することができるのではないでしょうか。
by 大場 正善 (2013-10-27 11:23) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

詳細なコメント、ありがとうございます。
話しは至極簡単です。
ブラインド・テストは、研究者が正しい方法で分析する、あるいは正しく判断(診断)できるということが前提になるのではなく、研究者が正しい方法で判断できるのか、それともできないのかを判断するためになされるのです。
例えば大場さんなり誰かが、硬い石の直接打撃、柔かい石の直接打撃、硬い木の直接打撃、鹿角の直接打撃、硬い木の間接打撃、鹿角の間接打撃、鹿角の胸圧などといった複数の異なるテクニークでそれぞれ10枚の剥片を剥離し、得られた70枚なりの剥片に被験者には判らないように第三者がマーキングをした後にシャッフルし、その後、大場さんなりあるいは型式学的思考による研究者なりがそのテクニークの判別をする、そしてどちらが正答率が高いかを第三者が確認する、前者の正答率が高いのであれば大場さんの言われるように後者の信憑性と客観性は疑わざるを得ませんし、逆であればその逆であり、両者に余り違いがないのであればそれまでです。こうした試みを繰り返すことで、話しは落ち着くべきところに落ち着くでしょう。
ブラインド・テストをする以前に、被験者の信憑性と客観性を疑うのではなく、ブラインド・テストの結果によって被験者の信憑性と客観性を疑うあるいは信頼するというのが、科学的な態度かと思います。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2013-10-27 19:18) 

大場 正善

「ブラインド・テスト」のご教示ありがとうございました。
結果ばかりでなく、そもそも仮説検証法的な技術学と解釈学的な型式学の、それぞれの方法論についてもテストされ、議論が深まる機会があるといいのですが。

ちなみに、「胸圧」は、やり難さや固定しにくい石核の固定法(万力)などから、現在では誤りである可能性が高いテクニークの一つです。
by 大場 正善 (2013-10-28 08:47) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0