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関東大震災90周年記念集会 [研究集会]

日時:2013年8月31日(土) 10:00~17:00
場所:明治大学 駿河台校舎 リバティータワー1階 リバティーホール
主催:関東大震災90周年記念行事実行委員会

白衣の魂(鎮魂の舞) 金 順子(キム スンジャ)
「震災90周年 -歴史研究と歴史教育の課題を中心に-」 坂本 昇
「日弁連勧告の意義と現状 -排外的傾向が強まる中で-」 米倉 勉
「関東大震災における災害史研究の課題 -下賜金の配分について-」 北原 糸子
二胡演奏 馬 高彦(マー カオイェン)
「解放直後の在日朝鮮人運動と「関東大虐殺」問題」 鄭 栄垣(チョン ヨンファン)
「八広に追悼碑ができるまで -東京の朝鮮人虐殺の実態-」 西崎 雅夫
「共同の夢 -アナーキズムと震災-」 飛矢崎 雅也
総合討論

諸般の事情から一時は本稿の作成を断念していたのだが、実行委員である知人のご助力により何とかこうして形にすることができた。多謝。
また当日は、夕方から所用のため総合討論に参加することができなかった。

「(関東戒厳司令部)詳報」第五巻には一部に意図的な欠損部分があるということである。第九章から第十二章の目次のうち、第十一章はない。第十一章前後の構成は、「第十章・輸送」の内容は「避難支那人ノ輸送」「避難鮮人ノ輸送」などである。「第十二章・情報及宣伝」は「鮮人ノ不逞行為」などの情報等の記述である。したがって、切り取られた第十一章には、朝鮮人殺害・中国人殺害などの事件が記述されていたと推定してほぼ間違いないであろう。「詳報」に記載された(または隠蔽された)史実から、「権力犯罪」が見えてくる。」(坂本2013「震災90周年」『関東大震災90周年記念集会要項』:9.)

当日配布資料には『関東戒厳司令部詳報』第五巻の表紙複写が掲載されている。「秘 貮拾部之内 第拾四號」という文字に大きくバツ印が記されている。確かに「第九章 衛生及救療」「第十章 輸送」の後の一行分が白く切り取られている。そして右下には「15108 東京都公文書館 昭和47,2,15 受付」のスタンプが押されている(現在は「閲覧不可」との筆者キャプション)。
20部のみ印刷された限定的な極秘文書が、何者かによって肝心の部分が切り取られ、公的組織に納められ、一般市民の閲覧が制限されているという紆余曲折の重ね書き(パリンプセスト)。
こうした精神構造は、今現在にまで引き継がれている。

「関東大震災時の「虐殺」「殺害」に変更 横浜・中学生の副読本 教科書採択懸念の声
(略) 昨年度版では、関東大震災時に、自警団以外に軍や警察も「朝鮮人に対する迫害と虐殺を行い」と説明していた。この表記について市議が「極めて強い表現だ」「暴動の中で官憲が保護していた記録もある」などと指摘。市教委は「誤解を招く部分があった」と認め、改訂を進めていた。
改訂の結果、今年度版は軍隊や警察の関与は削除され、「虐殺」は「殺害」に置き換わった。市教委は昨年度版を回収するよう全市立中に通知。約1千万円の追加費用がかかったという。
市教委指導企画課の上條慶昭課長は、「虐殺」をやめた理由を「言葉の趣が中学生のためのものとは違うのではないかと考えた」としている。」(朝日新聞 2013年6月13日 神奈川全県版)

「中学生のための言葉の趣」?
松江市教委の『はだしのゲン』回収問題と同質の構造である。
「多面的・多角的な学習とは?」と題する2年前の記事【2011-09-22】における問題にも通じる。

「結論として申し上げたい。関東大震災の事件を日本人告発、あるいは日本人批判、日本人に対する警告ないしは忠告の原点だと言ったが、そのような意味においても、今まで関東大震災の資料を発掘しようと努力し、それを紹介してきた方々の努力に対して私は敬意を表する。しかし、これからはそれ以上もっと前進すべきではないか、と思い、少し提言したい。さきほどは歴史の問題でいろいろとのべたが、ここにおいて提起したいことは、資料の収集段階から解釈の段階へと移行するということである。(中略)
・・・われわれ人間がより豊かに、より良く人間性を実現する方向性を示そうとすることである。そこで彼(エーリッヒ・フロム)は、今までは心理学が単なる実証科学であったけれども、もっと心理学本来の状態に戻って、心理学が哲学や倫理学の価値的なものをいっしょに持ち合わせなければならない、と言っている。
私は、日本にこのような思想が成立しなければならないと思う者である。それは、日本人に対するチャレンジであり、忠告であり、より大いなる日本人、あるいは日本社会になることに対する念願であり、同時にわれわれはそうすることによって、在日同胞のあるべき姿、そのアイデンティティーを指し示すことができるのではないかと思う。」
(池 明観(ジ ミョンクヮン)1980「在日朝鮮人の歴史の原点」『キリスト新聞』10月11日、18日、25日、11月11日号、1982「在日韓国人の歴史の原点 -関東大震災における朝鮮人虐殺について-」と題して『現代史を生きる教会』新教出版社:203-222.に所収)

今から30年以上も前に、「60周年へとこれから進んでゆく歴史の過程においてわれわれのなすべき作業」として示された言葉である。
「日本考古学」も、倫理的な価値を持ち合わせなけれなならないのではないか。
「国家間のレベルの問題」どうこうではないのだ。
求められているのは、倫理的な考古学(エシカルなアーキオロジー)の確立である。


タグ:関東大震災
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