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第8回 宣言記念日 [雑]

先週の新聞に太平洋戦争中に日本兵の遺体から持ち帰ったという寄せ書きのある「日の丸」を返したいという元アメリカ兵の話しが掲載されていた。
こうした話しは、この季節によくある逸話で以前にも目にした記憶がある。
今までは自分とは関係のない、どこか遠い所の話しのように感じていた。
ところが今回は、こうしたストーリーが全く新たな意味をもって迫ってくるという経験をすることになった。

「敵兵とはいえ、なぜ遺品を盗んだのか。
そう問うと、ケネスさんは少し沈黙した後、「部隊の皆がそうしていた。罪悪感はなかった。戦場で「記念品」を持ち帰ることは、軍の習慣だった」と答えた。
「記念品」は戦後ずっと倉庫にしまったままだった。だが数ヶ月前、考えが変わった。通っている教会で主婦カリーナ・デルバッレさん(48)と戦争の話題になった。「大事な人の形見を待っている遺族がいる。すぐに返すべきだ」と諭された。自らが犯した罪に気づき、胸が痛んだ。
「遺族が見つかれば、謝罪したい。遺品を返さない限り、私の中で戦争は終わらない」。」
朝日新聞 2013年8月14日

そう、これが全ての原点ではないだろうか。
自らあるいは父祖たちが犯した罪に気づき、胸が痛むということ。

1938年になされた、後に「江南踏査」と題された調査旅行(【2007-03-19】)に参加した考古学者たちも、1933年の東亜考古学会による龍泉府址の発掘調査(【2010-04-15】)に参加した考古学者たちも、おそらく「罪悪感はなかった」であろう。
入手した考古資料を日本に持ち帰ることも、当時の「習慣だった」のだろう。
それら考古資料は、今に至るまでずっと博物館や大学の考古学研究室の「倉庫にしまったまま」である。

こうした問題が指摘されても、「所有権が絡んでくるデリケートな問題でもあるので、理事会では継続審議と回答した」(一般社団法人日本考古学協会第79回総会抄録)。
不法に入手した文化財・考古資料を返さない限り、「日本考古学」の中で戦争は終わらない。当人たちが目をそむけても、<もの>たちは訴え続けるだろう。

議案第155号 第79回総会での会員要望について「不法に収奪された考古学資料の取り扱い」
大竹理事から、第79回総会で理事会の検討事項となった会員からの「不法に収奪された考古学資料の取り扱い」の要望について、提案した会員本人と直接話し合う機会を設けたいとの提案があり、大竹理事と田中理事が懇談した上で、理事会で再度協議することで承認した。
(2013年7月理事会議事録より)

「一人協会闘争」も、いよいよ第3ラウンド突入である。
想定外の事態展開に、思わぬ、いや予想通りの長期戦である。

【8年目のデータ(2013年8月24日)】
記事総数:705(+54)
遺跡問題:38(+0) 痕跡研究:58(+0) 論文時評:101(+9) 捏造問題:25(+0) 石器研究:20(+0) 考古記録:28(+0) 総論:81(+3) 近現代考古学:47(+2) 拙文自評:23(+4) 考古誌批評:15(+0) セミナー:43(+4) 全方位書評:89(+13) 研究集会:43(+6) 学史:6(+3) 雑:87(+8)
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コメント 6

鬼の城

水を差すようで悪いのですが、「あなたの意見はわかりました。持ち帰って検討します」と言われるのが目に見えています。

要は、意見を聴衆する=ガス抜きを行うだけであり、無意味に近いと思います。この様な「一人協会闘争」もストレスがたまる一方だと思います。そして、もしかしたら「協会は自己判断をして考えてくれる。あるいは何らかの具体的な回答がある」と考えているなら、それは幻想に近いものだと思います。
by 鬼の城 (2013-08-24 09:30) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

水を差していただくこともまた有難いことです。しかし私自身は、言うべきことは言わなくてはならないと考えています。言うべきことを言うことで、初めて明らかになることがあるのではないでしょうか。今回の件については、言うべきことを言う中で、日考協が文化財返還問題についてアイヌ問題の視点を欠落させていることが明らかになりました。また国政レベルと国際レベルを同一視しているといった極めて稚拙な誤りや、日考協は組織として国際レベルの問題には関与しない、したくないとしていることも明らかになりました。これは学術団体のあり方として構成員全員が真剣に討議すべき根本的な問題です。こうした事柄について意味がないと考えるか、それともそれなりの意味があると考えるか、それは人それぞれでしょう。しかし傍観することは許されないのではないでしょうか。一人一人がそれぞれの範囲で、自らの立場を何らかの形で示していくことが、これからの日本における考古学を考える上で、欠かせない作業になると考えます。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2013-08-24 15:34) 

鬼の城

>しかし傍観することは許されないのではないでしょうか。一人一人がそれぞれの範囲で、自らの立場を何らかの形で示していくことが、これからの日本における考古学を考える上で、欠かせない作業になると考えます。

これは、「まともな思考と判断と、社会的責任を有することを心から思っている団体」なら、問題の指摘と追及は良いと思いますし、協会員の責務であると思います。しかし、今までの五十嵐さんとの対応を見ていると、どうしても五十嵐さんの意見を真摯に受け止めているとは思えません。

なお、アイヌの人骨返還問題は北海道大学(北海道帝国大学)は北海道・千島・樺太の各地より研究の名目で1004体のアイヌの遺骨を収集し、時には遺族に無断でアイヌ民衆を警察により排除しての発掘が行われていたこともあった。絶滅した動物と同列に並べられる等、非人道的であると非難が集まる中、1980年代にアイヌ人骨が発見され、ウタリ協会は人骨の返還・供養を求めた。1984年に作られた納骨堂には969体が治められている(2004年現在)。遺骨へは毎年イチャルパとよばれる供養会が行われている、が考古学協会は無対応である。

ウタリ協会は、考古学協会をこの場合相手取ってはいないが、考古学協会として積極的にウタリ協会に応じる構えを見える必要があると思う。そのぐらいの対応策を前向きに行うことだということです。相手から言われないと何ら動かないというもの、研究組織を名乗るなら後ろ向きだと思います。
by 鬼の城 (2013-08-25 09:57) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

日本考古学協会の理事会で初めて本件を巡って議論されたのは、2010年6月26日のことですが、そこでは「過去の歴史的事実を研究することは可能であるが、様々な現代政治的問題が絡むこと…等々の意見が交わされた」と記されています(6月理事会議事録「議案第30号」)。文化財返還問題に関して、理事会でこうした内容の意見交換が行われたということ自体が、現代歴史学や現代思想に対する驚くべき認識ですが、それを恥ずかしげもなくそのまま記録として公表してしまうという感覚に、今さらながら驚く次第です。
こうした人々は、「様々な現代政治的問題が絡まない過去の歴史的事実」などが存在しているなどと考えているのでしょうか?
【2010-07-22】・【07-23】参照
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2013-08-25 17:28) 

鬼の城

>「様々な現代政治的問題が絡まない過去の歴史的事実」などが存在しているなどと考えているのでしょうか?

そう思い込んでいるのでしょう。学問と言う枠=過去の歴史的事実と、政治と言う現実=様々な現代政治的問題が絡まない、と言うことが区別されているということですね。これが、考古学に限らず、現代のおよそ学問とされる位相の現実です。

福島の現実から、医学や法学も、あるいは原子力物理学も多くはそういう立場を釣るのです。それが、学問の政治的中立性と言い張るのです。それを踏まえた上での断乎とした闘いが必要なのです。
by 鬼の城 (2013-08-25 20:58) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

「学問の政治的中立性」という主張こそが、正にある特定の政治的信条の表明に過ぎない。
せめて最低限こうした認識を、議論の出発点としたいものです。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2013-08-25 21:06) 

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