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2013夏・雑感 [雑]

「遼陽の戦争はやがて始った。国民の心は総て満洲の野に向かって注がれた。深い沈黙の中にかえって無限の期待と無限の不安とが認められる。神経質になった人々の心はちょっとした号外売の鈴の音にもすぐ驚かされるほど昂っていた。そうしている間にも一日は一日と経つ。鞍山站(あんざんたん)から一押と思った首山堡(しゅざんぼ)が容易に取れない。第一軍も思ったように出ることが出来ない。雨になるか風になるか解らぬ中に、また一日二日と過ぎた。‐その不安の情が九月一日の首山堡占領の二号活字で忽ちにして解かれたと思うと、今度は鬱積した歓呼の声が遼陽占領の喜ばしい報に連れて、凄じい勢で日本全国に漲り渡った。
遼陽占領! 遼陽占領! その声はどんな暗い汚い巷路にも、どんな深い山奥のあばら家にも、どんなあら海の中の一孤島にも聞えた。号外売の鈴の音は一時間と言わずに全国に新しい報を齎らして行く。何処の家でもその話が繰返される、その激しかった戦いのさまがいろいろに彩りをつけて語り合わされる。太子河の軍橋を焼いて退却した敵将クロパトキンは、第一軍の追撃に会ってまったく包囲されてしまったという虚報さえ一時は信用された。
全都国旗を以て埋まるという記事があった。人民の万歳の声が宮城の奥まで聞こえたということが書いてあった。夜は提灯行列が日比谷公園から上野公園まで続いて、桜田門附近馬場先門附近は殆ど人で埋らるる位であったという。京橋日本橋の大通には、数万燭の電燈が昼のように輝き渡って、花電車が通る度に万歳の声が終夜聞えたという。」(田山花袋1909『田舎教師』第61章、西川長夫2013『植民地主義の時代を生きて』:12.より重引、一部補)


今から109年前の夏、帝国主義国家の国民が植民地争奪戦争に心を奪われている描写であるが、このような半世紀に渡る戦時期の風潮を心苦しく感じていた人々もいたに違いない。
地図上の半島に墨を塗っていた詩人以外にも。

「おゝ三月一日
民族の血潮が胸を搏(う)つおれたちのどのひとりが
無限の憎悪を一瞬にたゝきつけたおれたちのどのひとりが
一九一九年三月一日を忘れようぞ!
その日
「大韓独立万歳!」の声は全土をゆるがし
踏み躙られた××(日章)旗に代へて
母国の旗は家々の戸ごとに翻った
胸に迫る熱い涙をもっておれはその日を思ひ出す!
反抗のどよめきは故郷の村にまで伝はり
自由の歌は咸鏡の嶺々に谺(こだま)した
おゝ、山から山、谷から谷に溢れ出た虐げられたものらの無数の列よ!
先頭に旗をかざして進む若者と
胸一ぱいに万歳をはるかの屋根に呼び交はす老人と
眼に涙を浮べて古い民衆の謡(うた)をうたふ女らと
草の根を噛りながら、腹の底からの嬉しさに歓呼の声を振りしぼる少年たち!
赭土(あかつち)の崩れる峠の上で
声を涸らして父母と姉弟が叫びながら、こみ上げてくる熱いものに我知らず流した涙を
おれは決して忘れない!

あはれな故国よ!
お前の上に立ちさまよふ屍臭はあまりにも傷々しい
銃剣に蜂の巣のやうに×き×され、生きながら火中に投げ込まれた男たち!
強×され、×を刳(えぐ)られ、臓腑まで引きずり出された女たち!
石ころを手にしたまゝ絞め××(殺さ)れた老人ら!
小さい手に母国の旗を握りしめて俯伏した子供たち!
おゝ君ら、先がけて解放の戦さに斃れた一万五千の同志らの
棺(ひつぎ)にも蔵められず、腐屍を兀鷲(はげわし)の餌食に曝す躯(むくろ)の上を
荒れすさんだ村々の上を
茫々たる杉松の密林に身を潜める火田民(かでんみん)の上を
北鮮の曠野に萠える野の草の薫りを籠めて
吹け!春風よ!」
(槇村浩1932「間島パルチザンの歌」より一部抜粋)

テレビ・ニュースが伝える、選挙事務所で繰返される万歳の声を聞きながら、高校2年生の2013年夏休みの課題図書として指定された文庫本を眺める。

「わが故郷に果てしなく広がる、まっ赤な高粱の畑をさまよう雄々しい魂と非業の死をとげた魂とに、本書をもって謹んで呼びかける。わたしはあなた方の不甲斐ない子孫だ。わたしは、醤油に漬かりきった心をとり出して、切りきざみ、三つの碗に盛って高粱の畑に供えよう。霊魂よ、願わくはわが供え物をば受けられよ!」(莫 言(井口 晃訳)2003『赤い高粱』岩波現代文庫)

わたしもあなた方の不甲斐ない子孫だ。

「ひとの歴史認識・現実認識は、そのひとの生きかたとかかわっている。
自分がどのような時代に生きているのかという問いは、自分がどう生きるかという問いとかさなりあっている。
歴史認識・現実認識をふかめることなしに、未来を創造する自分の生きかたに確信をもつことはむづかしい。」(キム チョンミ1994『水平運動史研究』:729-30.)


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鬼の城

私が、「間島パルチザンの歌」を知ったのは学生時代です。あの、日帝支配下の間島で反日武装闘争を闘う人たちを鼓舞し、英雄的に謳い上げる槇村浩と言う人にも興味を持ちました。高知県の人で日本共産党員で、ほぼ獄死に近い状態で亡くなったことも知りました。

今、あの時代に逆戻りを感じます。排外主義者も跋扈しています。こういう時代にこそ、この歌の持つ「国際主義」と、反日武装闘争の意義も改めて評価すべきだと思います。でも、今の共産党中央はこの詩人を知らないだろうな。ちなみに、今の共産党高知県委員会はこの詩人を知っていました。共産党高知県委員会に知り合いがいるので問い合わせた次第です。
by 鬼の城 (2013-07-26 23:43) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

「第一軍も思ったように出ることができない」という多数と「こみ上げてくる熱いものに我知らず流した涙」を思う一人。同じようなナショナリズムの発露のようで、その対極とも言える立場性。虐げられる人々への共感が、「自分がどう生きるかという問いとかさなり」、そのひとの現実認識を及びもつかない深みへともたらした稀有な、そして常に励ましを与えてくれる事例ではないかと思います。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2013-07-27 08:10) 

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