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上野1997「<わたし>のメタ社会学」 [論文時評]

上野 千鶴子 1997 「<わたし>のメタ社会学」『岩波講座 現代社会学 第1巻 現代社会の社会学』岩波書店:47-82.

「作家の倉橋由美子はかつて「なぜ書くのですか?」という問いを受けて、「注文があるからです」と答えてひんしゅくを買ったことがある。「文学」の書き手にはなにかしら内面的・実存的な動機がなくてはならない、という命題に彼女が応えなかったからなのだが、もちろん、この端倪すべからざる書き手は、このあまりにも通俗的な問いに世俗的な答えを与えることで、たとえ読者がいなくても書き続ける、という貧乏くさい「文学」信仰を嗤ったのである。」(47.)

この「端倪すべからざる書き手」についても、その周到に用意された挑発的なスタンスをもって、「<わたし>のメタ考古学」である第2考古学に対して、何かしらのメッセージを送っていることを確かめることができる。

文学と社会科学のスタンスの違い、それは関心の向け方の違い、自己と対話することで完結する世界と他者に由来する経験知に根拠を置くかの違いであることが述べられる。

「社会科学は「経験知」である、と書いた。「経験」の発生する「現場」はどこか? それは自己と自己以外のものとのあいだのインタラクションの場である。したがって「経験知」とはつねに「臨床の知 clinical knowledge」(フーコー)にほかならない。社会科学の経験性と実定性とは、この「臨床の知」に裏付けられている。
「臨床の知」は「自己との対話」のような独我論的な知でもないし、だれが見てもそれと指定できるような「客観的な知」でもない。むしろ自己と他者との相互交渉の中から生まれる「対話的な知」である。自己と他者との「場」の共有から生まれる「共同制作」の産物である。」(53.)

考古学という学問の「臨床の場」とは何処だろうか?
それは大学の教室でなければ、学会の研究発表会場でもない。
もちろん「現場」と呼ばれている発掘作業がなされている場面である。
出てくる「穴ぼこ」に建物跡だとか土坑といった名前を付ける。
果たして、その根拠は?

「自明性の領域から抜け出るにはどうしたらよいか? 研究者の自問自答から答えは出てこない。自分にとって未知なもの、ノイズとなるもののなかにしか、新しい「情報」はない。「臨床の知」のなかには「当事者のカテゴリー native category」が含まれている。「当事者のカテゴリー」は「観察者によるカテゴリー化」を頑強に拒むが、だからといってまったくエイリアンなものでもない。自明性の外側にあるこの「当事者のカテゴリー」を「聞く力」を持てるか持てないかが、観察者に問われている。」(56.)

「ご専門は?」と聞く。あるいは「卒論の題目は?」と尋ねる。当然のように「石器です」とか「縄紋時代中期の集落です」とか「特殊器台です」といった答えが返ってくる。
こうした第1考古学という「自明性」から、いかに抜け出ることができるか?
何時の日か、誰かが、「私の研究テーマは、接合という事象です」とか「遺構とは何かについて考えています」といった答えが返ってくるのを、心待ちにしている。

「定量的な情報処理といえども、その核心は定性的な変数のカテゴリー化にある。その過程でたしかにカオスから「情報」は生産されている。だが、自明性の領域でいったんカテゴリー化された変数は、「情報」になりうるかもしれない貴重なノイズを、すべてあらかじめ定義された変数にコード化することを通して「予言の自己成就」を行うに終わる。この方法は情報を「生産」するよりも「縮減」しているのである。定量調査の多くが、かけたコストの大きさに比して、「情報」の生産量が少ないのはそのためである。」(58.)

思い当たることがいくつもある。
私もかつて発掘した土壌を篩い、微細な頁岩のチップを拾い集めて計量化することに青春の日々を費やしたことがあった。顕微鏡を覗いて、微細な砕片を試料台の上に載せていたこともあった。確かに新たな試みであり、全く無駄だったとは思わない。しかし、投下された労働量に見合う成果がどれほどあったかといった冷静な判断、単なる自己満足に過ぎないのではないかという客観的な判断を下すことができたのは、時を経た後のことであった。

「最後にこのように共同的な社会科学の知にとってオリジナリティとは何か?を論じておこう。文学と同じく、オリジナリティは社会科学にとっても重要な要素である。そうでなければ新たな知をつけ加える意味がないからだ。だが、オリジナリティは情報の真空地帯には発生しない。オリジナリティとはすでに知られている情報からの「差異」を意味するが、「すでに知られていること」が何か、を知らなければ、何が「差異」であるかを知ることもできないからだ。(中略)
「教養」や「オリジナリティ」に神秘的な意味を与える必要はない。「すでに知られていること」が何かを知ること。それと自分の考えていることがどう違うかを分節する能力を持つこと。「異見」はそのようにして創られる。」(61.)

過去の文献を読み、様々なデータを蓄えることは研究の前提条件に過ぎない。それをもとにして、「自分の考えていること」を対置させていくこと、そのためには他者の意見に対する批判として自らの意見を提出し、それについて他者からの異見を受け入れ、自らを捉え返すという精神が欠かせない。

「このような知的態度は確信をではなく懐疑をもたらす。それは「信仰」とは正反対の態度である。「ここにあるもの」を「ここにないもの」の側からつねに相対化し、不断に脱構築しつづけるスケプティシズムは、その主体である<わたし>をも例外にしない。脱構築とは、系譜学的な手法を概念の成立にさかのぼって適用したものである。「経験知」は経験の絶対化を意味しない。この「経験」はなぜこうであり、こうでしかないのか? この経験が「こうでなかったかもしれない可能性」はあるだろうか? この疑いは経験の「実定性」を疑うことはしないが、経験がとりえた他の可能性を疑ってみることはできる。そしてその構想力をわたしたちは「自由」と呼ぶ。」(67.)

考古学的構想力。

「学知が「中立的」「客観的」な「真理」それ自体の探求であるという、ロマン主義的な信念は「芸術至上主義」と同様、学問を「聖域」に囲い込むことで他からの批判や疑問を排除するというまことに権威主義的で防衛的な効果を持っている。ロマン主義とは言葉の歴史的な意味において、ありもしないものを捏造し、それを神格化する事を通じて、自己中心的な投射のメカニズムを隠蔽するという意味で、まことに「反動的」な思想である。」(69.)

考古学という学問の存在意義あるいは魅力を説明する際に、用いられる「古代ロマン主義」の「反動的」な性格が端的に述べられている。

「「真理」と「学問」の名において何が守られ、何が排除されているのだろう? 第一に「客観的」な対象の全体を透明に見通せるという命題によって、「現実」もしくは「経験知」の多元性が否定される。第二に「中立的」な認識主体という観念によって、研究主体の位置の限界とバイアスとが不問に付される。第三に「真理」の名において「解」の多様性が排除される。(中略)
そう考えれば、「芸術至上主義」も「文学の特権性」もすべて政治化される。この「政治性」「党派性」は、かつてのイデオロギー論のようなわかりやすい大文字の「政治」ではない。言説実践のなかでつねに再生産されつづけるミクロな「政治」、「状況の定義」の権力のことである。」(70-71.)

こうした場に置かれている身としては、リアルに響く分かりやすい文章である。
不当に収奪された、すなわち倫理上問題のある考古資料の実態調査を求める要望に対して、「過去の歴史的事実を研究することは可能であるが、様々な現代政治的問題が絡むこと」を理由に拒絶するという「日本考古学」の「ミクロな「政治」、「状況の定義」の権力」について、私たちはキッパリと対峙していかなければならない。

「理論は、問いに対して適切な方法を模索するなかからいわばアドホックに、かつマートンの用語を使えば「中範囲」の妥当性をもって、使われている。あるひとつの普遍理論が世界のすべてを説明するという素朴な信念は失われた。わたしはこの状況を歓迎している。なぜなら、一般理論の応用問題として「通常科学」を再生産するという「奴隷の労働」の代わりに、社会学は解かれなければならない問いに満ちみちているからである。社会学者は一貫性のある理論のエイジェント(機関=代理人)や、解を産出する自動機械ではない。理論は問いに答えるための道具であり、問いによって道具は変わる。
どんな問いに応えたいか? これこそが核心にある。問いの数だけ答えがある。裏返して言えば、応えたいほどの問いのない人は研究者であることをやめた方がいい。」(75.)

欠けている型式を穴埋めして、編年網を整備する「文化史編成研究(第1考古学)」を「奴隷の労働」とは思わない。
むしろ考古学は社会学と同様に「解かれなければならない問いに満ちている」ことについて強調したい。そして、その問いの多くは第1考古学にではなく、第2考古学にあることを。

考古学の「問い」とは何か?
今、問われるべき「問い」は何か?


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