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慧門2011『儀軌』 [全方位書評]

慧門(ヘムン)著(李 素玲 訳)2011 『儀軌 -取り戻した朝鮮の宝物-』 東国大学校出版部

「私が取り戻した文化財は単に陶磁器や絵画、書籍ではない。それは民族の精神、時代の念願がこもり、戻ってきた時、民族の精神を覚ますことのできる価値のこもった文化財であることだ。
おおくの人は、なぜ僧侶が文化財チェジャリ探し運動にそれほど熱心なのかと問う。
私が理解している仏教はないものを捜すのではなく、「失ったものを捜すこと」である。仏教的にいえば、何を失ったかも知らずに生きていくのが迷える衆生であるとすれば、失った真実を求めるのが修行者であり、求道者の生であるといえる。それを金剛経では「還至本処-チェジャリ捜し」といえる。チェジャリとは本来あるべき場所、存在がもとめる完全無欠の場所でもある。世に真実より強い力はないという。私はその言葉を信じる。
還至本処
全てはチェジャリに戻らねば。」(10.)

2006年に「朝鮮王室儀軌還収委員会」を結成して日本大使館宛に「返還要請書」を公式に伝達してから、2010年に菅総理が「朝鮮王室儀軌」を「引き渡す」と発表するまで、4年間にわたる困難に満ちた還収運動の最終報告書(日本語版)である。

「誰かがかき分けた跡に続いて後からの人が進めば少しずつ道は開け車が通れるようになる。わが国を「義兵の国」と呼ぶ人がいる。危機が迫るたびに国を守ったのは、軟弱な政権や権力者ではなく、民間の義兵であった。壬申倭乱、旧韓末、日帝期の独立運動期、そして激動の現代史のなかで、いつも危機の瞬間には無辜の民が立ち上がり危機を克服してきたのがわが国の歴史である。日本宮内庁所蔵の『朝鮮王室儀軌』を取り戻すのも、そんな義兵の歴史に繋がるのではないだろうか。私はこの言葉を信じる。「真実は常に想像もできないような力を発揮する。魂を込めた卵が岩をも砕く。」」(44-5.)

しかし「卵が岩を砕く」際には、自らの道が正しいと信じる「魂」と、周到な戦術が不可欠であった。
韓国政府自体が1965年の「韓日協定の限界」により直接の当事者となれないという制約下で、2度にわたる韓国国会における「返還を促す決議案」の採択、儀軌本来の所蔵者である寺が原告となってソウル中央法院に対する直接訴訟の提起、ユネスコをはじめ国際博物館協議会(ICOM)など関連する国際機構に書簡を送り、ユネスコ文化財返還促進政府間委員会(ICRCP)に対しては問題を提起し、日本に対する請求権を未だに有する朝鮮民主主義人民共和国との「南北共助」を構築して共同声明を発表し、地方議会における「返還決議文」採択を働きかけ、日韓議員連盟、日朝協会、市民団体、マスコミなど理解ある人々と共にあらゆるつてを用いて世論を喚起し続けた、その結果である。

「自らがどんな時代を生きているのか、今、何事が起きているのかを、見通すことは生易しいことではない。しばしば、時が遥かに流れて、はじめて我々の生きてきた時代、何事が起きていたかを見極められるだろうと漠然とした推測をする。そうして習慣的に、後日の歴史に、われらの時代の評価を託するという言葉で、今日の冷静な評価を先延ばしがちである。
四年間『朝鮮王室儀軌』還収運動を繰りひろげながら、私はそんな思いに疑問をもつ様になった。日帝の朝鮮侵奪が始まったのが100余年前、その時代に起きた強奪行為を考証により究明し正すことはあまりにも苦しくつらい仕事であった。100年も過ぎたが乙未事変の真相はいまも五里霧中である。明成皇后の死についての異なる立場は散弾のようにばらばらである。勿論、大事な国論を統一するが如く、歴史をみる視点が画一化されなければならない理由はない。問題は歴史を解釈するための基礎的資料調査すら、思うようにはなされていないのが実情である。」(248-9.)

「基礎的資料調査をしよう」という呼びかけに対して、どのような対応をとるのか、積極的に問題を解決しようとするのか、それとも「一学会が扱うべき事案ではない」と「我、関せず」を決めこむのか。あるいは冷やかし、水を差すのか。私たちの現在の社会における提起されている問題に対する対応の仕方は、その人あるいはその組織の歴史認識の内実が反映している。

「私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。」(2010年8月10日 菅直人内閣総理大臣談話)

自らの関心あるテーマだけに集中し、それ以外のことは雑音として「自らの任ではない」と避け続けるのか。そしてそうした在り方を甘受し続けるのか。それとも、出来る僅かなことから少しずつ自らの「戦争責任」を果たすべく、歴史を直視しようとするのか。

「今日、忘れがちな精神の根源、生きる意味に立ち返り、殖民地下での失われた民族の自尊心を捜し求める正当性を問い続けたことが、この運動を成功に導いた原動力でもある。
同時に戦後世界の、国際情勢に翻弄された朝鮮半島の不安定な状況、戦争、分断の激動の中で、どこかに置き忘れがちな生きることの意味を問い続けること、「チェジャリ」へ還るという「還至本処」という言葉に意味が込められている。その事葉は、「本来あるべきすがた」「あるべき場所」として、抑圧された側の自負心を取り戻すことでもある。それが民族の文化財を取り戻す原点であるという。取り戻すことの正当性、忘れられてきた伝統的文化を取り戻すことは、生きるための基本的な要求である。もはや世界の文化先進国といえども、その論理を抑圧することはできない、と今回の返還運動は如実に示した。」(李 素玲「訳者あとがき」:261.)

日本人としての真の意味での「自尊心」が問われている。

【お知らせ】
著者である慧門師を迎えて出版記念講演会が開かれます。関心のある方々は是非ご参加下さい。
『儀軌 -取り戻した朝鮮の宝物-』出版記念講演会
 -著書・慧門(ヘムン)師が語る文化財返還運動の経過と今後の課題―
日時:2012年4月8日(日) 午後3時~5時半(2時半開場)
会場:韓国YMCAアジア青少年センター302号室(千代田区猿楽町2-5-5)
主催・呼びかけ:韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議(参加費500円、通訳付き)


タグ:文化財返還
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