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多木・今福1996「遺跡が未来になるとき」 [論文時評]

多木 浩二・今福 龍太 1996 「遺跡が未来になるとき」『大航海』第8号、新書館:110-127.

「多木 考古学は地層をひとつひとつめくっていきますね。そしてどこかの地層で発見したものを、その層の年代と関連づけて想定する。見つかるものは大抵は破片ですから、かつてあった姿を復元することにもなります。しかし、われわれが生きていることは、ちょうどこの反対で、かつてあったものの上にあたらしく層を重ね、次第に覆い隠していきます。このように覆い隠す過程を、逆さまの考古学と言う人がいますが、どっちにしても古い世界にしか関心をもっていないようでありながら、考古学も人間の活動である以上、いまいちばんあたらしい層、つまり現在での活動になるわけです。考古学的活動とは、歴史の現在での、過去に向かう活動ということになりますね。」(110.)

のっけから「第2」的な発言で始まる縦横無尽のクロス・トーク。
発言者の多木氏は言わずと知れた美術から建築・写真などあらゆるジャンルでの鋭い批評で知られた評論家。本年4月に逝去。
私にとっては、『「もの」の詩学』岩波現代選書102の「ブロブレマティックとしての「もの」」という論点が印象深い。

「今福 考古学を、人間文化における廃墟の創造という、根源的な問題から考えてみるのもおもしろいのではないでしょうか。今日は廃墟ではなく、ルーインと呼んでおきましょう。日本語で遺跡や廃墟というと、どうもイメージが固定化されている。ルーインという言葉は、複数形で使うと廃墟であり遺跡でもある。それ以外に、個人の破滅とか一家の没落という意味もある。ルーイン(ruin)は、どうもラン(run)、走るという言葉と語源が同じらしい。動きのなかに何かを導いていく、動的なコノテーション(含意)をもっています。ところが、日本語で廃墟あるいは遺跡とすると、非常に静的なイメージになってしまう。これに対して、ルーインという言葉のなかでは、時間が走っている。」(112.)

対する今福氏は、文化人類学という枠組みに収まりきらない名うてのフィールド・ワーカーである。
勿論、拙ブログ前回記事は今回に至る布石でもあったわけである。

今福氏の言う「動的遺跡イメージ」は、かつて「遺跡移動説」【2005-9-13、9-26】を唱えた者として、多木氏とは異なった意味合いで「まったく同感です。」

「今福 環状列石の文明というと、静止したイメージとして位置づけられてきましたね。ところが、ベンダーは考古学的な景観そのものも、人間の社会的、文化的、政治的な配置の問題とみなしうると考えている。遺跡、あるいは土地の景観は、人間の文明の形を映し出しているというよりは、人間の経験に介入しながら生きてきたということになる。ベンダーの考え方は、景観をつねに人間の経験に介入させて見ていこうというものだと思うんです。考古学的な景観を、文化をたんに映し出しているものとして捉えるのではなくて、人間の経験に介入するもの、つまりエンゲージメントするものとして考えるわけです。すると、廃墟のものすごく動的なプロセスのなかで、景観も新しい視点で視覚化していかなければならない。視覚化だけでなくて、身体化もしなければならない。」(118.)

いわゆる「景観考古学」の一般的な紹介である。日本での同様の議論は、ここで今福氏が懸念していたように景観論が「つねにある物語へと回収されていってしまうということ」であり、「視覚的に象徴されたものを超えて、新しい語り方へつながっていく可能性」が示されていないことにある。

「(今福) それは重層性の問題ですね。遺跡が重層的に作り上げられていくことへの、じつはわれわれの欲望ですね。考古学的な遺跡にも、われわれは二次的につくられた遺跡を見ている。原爆ドームは、投下後の破壊された広島ではないわけです。われわれは原爆ドームに、すでにメモリースケープとして飼い馴らされてしまった、きわめて政治的なルーインを見ることしかできなくなっている。同じように、遺跡というものは、もうひとつの遺跡像によって覆い隠されてしまっているんじゃないか。ぼくらは、遺跡の上におおいかぶさった政治学的想像力のモニュメントに目を奪われて、遺跡を見るための通路を失いつつあるんじゃないか。」(123.)

<遺跡>を作ったのは彼ら/彼女らではなく、「私たち」であるということを、「遺跡化」という言葉で表現した【2005-09-01】など。
ここでは、そのことが「第二次的遺跡」として表現されている。

「(今福) いまある二次的な廃墟になってしまったものを、もう一度歴史の断片へと解体しなくてはいけないんだと思います。それによって、、モニュメンタルに飼い馴らされた廃墟によって隠されていた瓦礫そのものが、思想的にも姿を現わすんだと思うんですよ。ベンヤミンは、瓦礫を瓦礫として意味づける道を探ったんだろうと思うんです。」(127.)

文字通り一瞬にして瓦礫の山となった三陸沿岸地方、人影のない廃墟となりつつある福島浜通り地方。
私たちは、ここにベンヤミンが言うような「瓦礫のなかを縫う道」を見出すことができるだろうか。

「今福 遺跡にひとりで立つ欲望が可能性をもっているとすれば、そこだと思います。瓦礫のなかから過去の物語を構築することではない。起こらなかったことへの道を、瓦礫のなかでどのように見通すことができるか。それは、瓦礫や廃墟にとり残されて、ひとりで考えてみるに値する問題でしょうね。」(127.)


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