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捏造(プラシーボ) [捏造問題]

「芹沢 杉原先生がこういうものを疑うのは金木でこりているのです。(笑)
 杉原 いや、いいこり方をしたと思っています。
 芹沢 「羹(あつもの)にこりて膾(なます)を吹く」です。(笑)
 加藤 たしかに金木は私たちにいろいろなことを教えてくれます。
 杉原 わりあいに初歩の段階でぶつかったものですから。
 芹沢 それ以来、もうこういうことをやらないのです。(笑)」
(『シンポジウム 日本旧石器時代の考古学』1977、学生社:193.)

今から37年前の1974年6月に交わされた会話である。短いやり取りの中で3回も出てくる(笑)という表現記号から、発言者の心理状態、発言した際の微妙なニュアンス、発言を投げかけられた側の表情までもが目に浮かぶ、ある意味で極めてモニュメンタルな一場面である。

「 五十万年前という、年代確定の意義はどうなんでしょう。
 春成 考古学で二十万年前を突破したら、それほど壁というのはなくなるんですよ。人類にとって長い間、百メートル走の壁は、10秒だった。その10秒の壁に相当するのが座散乱木遺跡で突破した三万年前。馬場壇の二十万年前が9秒9。今度のは9秒8でしょうか。
  高森遺跡の年代や原人説に疑問をはさむ学者もいるようですが。
 山田 私の立場からは、専門の石器から詰めるしかない。ここ数年、中国やシベリアとも交流が活発になっているので、実物を見て、議論して、例えば日本の石器と中国・華北の前期旧石器と関連があるかどうかなど、石器から見てもおかしくないようにしたい。」(「高森原人」を語る 1993年5月21日 毎日新聞)

実際には、「おかしい」か「おかしくない」かのどちらかであり、「おかしい」のであれば「おかしくないように」はできないし、「おかしくない」のであれば「おかしくないように」する必要はないはず、なのだが。

「まず、小型剥片石器用石材の変化である。原石自体が大きい黒色頁岩、珪質頁岩、珪化凝灰岩などの細粒で緻密な石材が多用されるようになり、前期旧石器時代で主体だった玉髄や碧玉が減少する。とくに7万年前以降は玉髄や碧玉はほとんど使われず、頁岩や凝灰岩が主体となる(図5)。結果として、小型剥片石器が前期旧石器時代と比べてやや大きくなる。大型石器用の石材は依然として粗粒の石英安山岩などが主体だが、斧形石器の石材は緻密な珪化凝灰岩、流紋岩などである。」(佐川正敏1997「原人・旧人・新人の連続性を考える」『ここまでわかった日本の先史時代』:81.)

ということで「前期旧石器から中期旧石器への連続的変遷」を説明するデータとして「宮城県北部前・中期旧石器の石材組成の変化」という「高森11層」(50万年前)から「馬場壇A・7層」(3万年前)までの変遷が、僅か10石器群600点余りを対象として石材組成棒グラフとして示されたわけだが、ここから「石材に対する意図的選択、すなわち文化伝統ともいえるこだわりがあった」(73.)との読み込みがどれほど可能なのだろうか。

同じことは、器種組成でも製作技術でも、あるいは石器使用痕跡でも言えよう。

「第2集中地点は面積0.63㎡、第3集中地点は2.36㎡と規模が小さく、そこで検出された被加工物をみると、図に明瞭なように、西の第2集中地点では骨・角の、東の第3集中地点では皮・肉の加工を示す石器がめだって集中している。そして、石器の分布の形をみると、散漫な円形ながら、中央に石器のない空白部がある(炭化物の分布は散漫で、それは石器の分布とは一致しない)。」(阿子島 香1989『石器の使用痕』:57.)

意図的に、用意周到、入念に仕組まれた仕業であったということが立証されるのなら、そのことに騙された側の罪(不注意さ、至らなさ)は、無くなりはしないまでも、相当量、軽減されるだろう。それならば、仕方なかったと。
ところが、そうした緻密な計画性がなく、単に場当たりとまでは行かなくても、周囲の空気を肌で感じながら大よそのところを、ある意味適当に積み重ねていた仕業であったとしたならば、それに騙された側は申し開きができない、というより弁明や釈明自体が頗る困難となるだろう。さらにそうした適当な配置(捏造データ)をこちら側がある意図をもって読み込み、それこそ「強引」に解釈していたとなるとなおさらである。相手が悪いだけでなく、こちら側の解釈の枠組み、研究の方法、資料の操作、データの取扱い、どこまで言えてどこからは言えないのか、その節度といった研究倫理、すなわち学の根幹に関わることなのだから。


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