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文化財は誰のものか [総論]

朝日新聞2011年6月5日(日)発行『GLOBE(グローブ)』特集号「文化財は誰のものか
「世界の著名な博物館には、歴史を彩る出土品や美術品が当たり前のように展示されている。だが、植民地時代に、現地から本国に運ばれたものも多い。「人類共通の財産だ」としてきた博物館だが、「もとの土地に戻せ」との声に応じる例も出てきた。文化財は誰のものなのか。」

諸般の事情により用意していたことの半分もしゃべることができなかったので、以下備忘録的に。

ミロのビーナス(ルーブル博物館)、ネフェルティティ王妃の胸像(ベルリン新博物館)、ロゼッタストーン(大英博物館)、エルギン・マーブル(大英博物館)、朝鮮王室儀軌(宮内庁)、利川五重石塔(大倉集古館)、小倉コレクション(東京国立博物館)…
これらは、現在では原産国から持ち出すことすらできない第一級の文化財です。それならば、なぜ今これらの品々が、原産国を離れた遠い異国の地で博物館などに収蔵されて鑑賞の「目玉」となっているのでしょうか。
それは19世紀当時の植民地支配というパワーポリティクス、すなわち圧倒的に不均衡な武力を背景にした政治関係がありました。

今、原産国からこうした品々の返還が求められている背景には、植民地という力による支配を見直し清算しようという世界的な政治情勢、そして先住民の人々の権利獲得運動あるいはマイノリティの人権問題がありました。例えば戦時中の強制労働、性的奴隷制度などです。考古学あるいは人類学的な問題としては、先住民族の人々の人骨再埋葬問題などです。こうした諸問題は「ポストコロニアル」と呼ばれる大きな思想的潮流の一部をなしています。その問題意識の一端は、調査する側と調査される側の意識の違いをどのように認識するかというものです。

1970年のユネスコ総会で文化財返還に関する国際条約が締結されましたが、取り締まりの対象は不法な輸出入品に限られ、適応時期は条約締結以降とされ、常に合法と非合法の間の線引きが問題とされてきました。正当な対価と不当な対価の評価、寄贈されたものと不法に入手したものをどのように区別するのか。しかしそれは、遠く原産国を離れて異国の地にある文化財が、「なぜ、今ここにあるのか」という問いに対して、その入手経緯を少しでも明らかにする作業を通じて、おのずと返すべきものと返さずによいものは明らかになると考えます。

また返還を拒む理由として世界的な文化財は世界的な博物館でこそ保管・展示すべきであるとの主張もなされていますが、「人類共通の財産を保有する正当性」なるものは何もロンドンやパリといった旧植民地帝国の首都だけが所有しているわけではありません。それはカイロでもナイロビでもイスタンブールでもそうした権利はあらゆる場所が平等に保有しているはずであり、それが旧帝国にだけ存するとする意識こそが植民地意識の残滓ではないでしょうか。

「もの」、特に文化財と呼ばれるような「もの」には、2つの過去を有していると考えます。一つ目の過去は、そのものが作られて使用された過去です。ミロのビーナスであれば、紀元前2世紀のギリシャ彫刻という過去です。そして二つ目の過去は、それが19世紀前半に掘り出されてフランスに運び出されたという過去です。私たちは、目の前にある文化財を見るときに、それらが何時(いつ)・何処(どこ)で作られ使われたのかという視点と共に、なぜそれがオリジナルな場所を離れて、遠く異国の地に存在するのかを問うべきです。いつだれがそれらを持ってきたのか、どのようにして運び込んだのか。なぜなら文化財というものは、一人では歩いて来ないし、自然に流れ着いたわけでもないからです。道端に落ちていたのを誰かが拾ってきたのでもありません。誰かがある意図を持ってそこに運び込んだのです。その意図と経緯を明らかにしなければなりません。そのことを通じて、そのものが本当にそこにあるべきものなのかそれともオリジナルな場所に返すべきものなのかも明らかになるでしょう。

他国の貴重な美術品や文化財を所有していること、力を背景に奪ってきたものを持ち続けること、そのことを権力(パワー)と財力(マネー)の象徴(シンボル)とみなす時代は、既に過ぎ去りました。力づくで奪ってきたものを誇らしげに飾りたてたり、庭園に置いて鑑賞するようなことは、誇るべきことでも褒められることでもなく、むしろ人間として恥ずべきことではないでしょうか。奪ってきたものを持ち続けるのは恥ずかしいことなのだ、という人間として当たり前の感覚に気付くことが大切です。そのことは今まで何の意識もなく鑑賞してきた自分が、実は文化財の持っている第1の過去しか見ていなかったということ、第2の過去に気付かなかったということ、自分の中にある植民地主義的な眼差しに気付くということでもあります。日本や世界の有名な博物館にある著名な文化財の数々は、そのことを私たちに無言のうちに問いかけているのだと思います。

これからはそうした詳しい入手の経緯や所蔵の実態を明らかにする調査をただひたすら拒み続ける、所有していることすら公表しないといった後ろ向きで内向き(ネガティブ)な姿勢ではなく、むしろ返還を求める側と求められる側が入手の経緯を共に明らかにするという作業を協力して行なうことによって両者が前向きで未来志向的(ポジティブ)な相互関係を築き上げるべきだと思います。こうした相互関係をはぐくむプロセスを通じてこそ、真の意味での国際交流が実現するのでしょう。

植民地という負の歴史をなかったことにすることはできない。
返還を先延ばしにしても、問題の解決にはなり得ない。
なぜなら、ものはそこにあり続けるから。
無言のものたちの語りかけにどのように応答するのか。
自分なりの植民地責任の果たし方を模索したい。


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コメント 3

鄙の考古楽大好き親父

時折拝読し、なるほどと関心しながら学習させていただいています。このたびの問題は海外である訳ですが、私の視点は国内にあります。私の住む町から出土した貴重な文化財が、某大学や某博物館に展示してあります。当時は、それなりの目的と予算措置を背景に移動され研究に供したと推測します。出土から50年以上経過している現在、出土地の行政に返還するべきと考えます。もし、ダメならその施設の予算でレプリカを作り、返還すべきと考えます。お考えをご教示ください。また、ぜひ国内文化財の地元返還のブームメントを起こしてください。
by 鄙の考古楽大好き親父 (2011-06-20 05:46) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

おっしゃるように、文化財に関する国際問題と国内問題は同じ構図の問題です。
「文化財には2つの過去がある」という認識と「あるべきものはあるべき場所へ」という原則を、一人でも多くの人がしっかりと持つことができれば、問題はおのずから落ち着くべきところに落ち着くものと考えます。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2011-06-20 18:50) 

鄙の考古楽大好き親父

早々のご返事ありがとうございました。ぜひ、国内問題にも火をつけていただきたくお願いします。
by 鄙の考古楽大好き親父 (2011-06-21 05:26) 

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