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宮瀧2011「前期旧石器遺跡発掘捏造事件と日本史通史における旧石器時代像」 [論文時評]

宮瀧 交二 2011 「前期旧石器遺跡発掘捏造事件と日本史通史における旧石器時代像」『歴史評論』第734号:34-42.

「本稿では、この前期旧石器遺跡発掘捏造事件発覚前からの日本史通史における旧石器時代像を比較検討し、現時点における成果と課題を明らかにするとともに、前期旧石器遺跡発掘捏造事件とは何であったのかを再検討してみたい。」(34.)

ということで、発覚前から4冊、発覚後から4冊が選ばれ、比較検討がなされた。
1.戸沢充則1984「日本の旧石器時代」『講座 日本歴史1』東京大学出版会
2.佐原 眞1987「岩宿時代の日本」『大系 日本の歴史1』小学館
3.佐々木高明1991「日本列島の旧石器時代」『日本史誕生』集英社
4.岡村道雄2000『縄文の生活誌』講談社
5.岡村道雄2002『縄文の生活誌 改訂版』講談社
6.佐川正敏2002「日本の旧石器文化」『倭国誕生』吉川弘文館
7.松藤和人2004「日本列島の旧石器時代」『日本史講座1』東京大学出版会
8.松木武彦2004「森と草原の狩人」『全集 日本の歴史1 列島創世記』小学館

筆者の主張は、捏造発覚直後に記された「歴史系博物館の展示に多様な見解を」(『歴史評論』第613号:90-95.リレー連載・石器発掘ねつ造問題から考える③、2001)で述べられており、本稿においてもその主張が引用されている。

「今後は博物館利用者の展示への参加を促すためにも、博物館は展示の中で展示資料に関する特定の見解にとらわれず、複数の見解を紹介していくべきではないだろうか。(中略)
今後は現在まだ決着のついていない問題等に関しても(実はこのような問題こそ大多数を占めているのである)、時には展示の中で平易に紹介していくことすら必要ではないかと考える。すなわち現在学界ではこの展示資料に関して、あるいはこの展示資料に関わる問題について、D説とE説という二つの有力な見解が提出されており、白熱した議論が続いているといったことが、平易に展示されることによって、そこに博物館利用者も自らの見解を持って展示に参加する余地が生じるのである。」(2001:93.)

全くもって「その通り」と頷きたくなる主張である。
そしてここで述べられている「博物館展示」における問題は、そのまま先に挙げられた「通史叙述」においても該当するわけである。
特にある学説に関して見解が対立している場合には両論を併記しなければならないという「諸説併記の義務」、一定の結論が得られていない重要な論点はその旨を記す「未解決問題明記の義務」という二つの準拠枠を提示して、代表的な日本史通史における旧石器時代叙述を検証していく。

8編で共通して複数の諸説が記されている(諸説併記)例は、以下の5つの主題である。
1.前期旧石器遺跡の評価
2.東アジア地域の新人起源
3.遺物集中部の評価
4.陸橋の存続時期
5.特定石材の入手方法

また未解決の問題として複数の叙述で取り上げられているのは、以下の2点である。
6.どのように列島に移住したのか
7.「環状ブロック」の解釈

こうした視点からの読み直しというのは、全く想定しておらず、教えられるところが大きかった。
何よりも日本の旧石器研究において異論が対立しているあるいは問題が未解決なのは、本当にこれだけなのかという思いがある。勿論単独で取り上げられた異論対立命題は他に21、未解決問題が9あるとされているから個別に問題視されている問題も多々あるのだが、それにしても代表的な研究者が共通して取り上げる論点がこれしかないという点が衝撃的である。

ちょっと思い浮かぶだけでも、個別の資料評価に関わる点(「富山」や「加生沢」など)あるいは局部磨製石斧の機能問題などはともかく、資料の区分単位を巡る諸問題(集中部区分、「文化層」区分)、母岩識別問題(砂川神話)、さらにマイナーなしかし極めて基本的なところでは最小個体数問題、接合資料表記問題など、論ずべき問題は山積しているように思える。

「このように、多くの博物館利用者が知りたいのは、まさに結論ではなく、その過程なのである。」(2001:95.)

これは何も「博物館利用者」だけではなく、あらゆる人々が知りたいところではないだろうか。
どうしてA遺跡はOKで、B遺跡はバツなのか? その根拠は?
C遺跡について、ある人はOKで、別の人がバツなのは何故なのか? その論証過程はどのようなものなのか? ある人が取り上げる遺跡を何故他の人は取り上げないのか?
どのようにして、この石とあの石が「同じ母岩」であることが分かるのか? あらゆる人が同じ作業(母岩識別同定作業)を繰り返して、同じような結果が得られる保証はあるのか? そのことが議論の対象にならないのは何故か? この「母岩」が、この場所で「製作」されたとする科学的な根拠は何か? 
何をもって「1個の石器」とするのか? それは「1個の土器」と同じなのか?

博物館という組織が自らの展示において、「文化財返還問題」を「未解決な問題」として、あるいは様々な「諸説を併記」するような時代は、果たしていつになったら到来するのだろうか?

そして
「「石器発掘ねつ造」問題が一定程度決着した時点において、その検証過程を平易に説明する展示(企画展)が東京国立博物館等で開催されてもよいのではないだろうか」(2001:95.)という筆者の希望が叶うのはいったいいつになったら…


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