SSブログ

堤2011『列島の考古学 旧石器時代』 [全方位書評]

堤 隆 2011 『列島の考古学 旧石器時代』河出書房新社

谷川俊太郎に始まり、サン=テグジュペリに終わる。
これまた著者らしい新著である。

「数万年の古さをもつという星野や早水台、最近では竹佐中原遺跡や金取遺跡など、男とまったく関係のない古い遺跡もあるが、すべての研究者が認めるものではない。私自身も星野や早水台の出土品は、自然石であり石器とは考えていない。また、竹佐中原遺跡や金取遺跡などは、石器であるが、その年代の評価は定まっていない。すなわち、四万年を超える古さをもつ遺跡で、万人を納得させるものは、現状では存在しないのである。」(51.)

最近の類書にて、関連する記述を見ておこう。

「これまで簡単に紹介した4遺跡(入口、星野、早水台、大野:引用者)をわが国の中期旧石器時代の標準資料としておく。多くの異論があるが、その基本的な石器群の構成、遺跡形成過程には今後とも大きな変更はないであろう。
…わが国の中期旧石器時代の遺跡は、少数しか知られていない。ここにあげたほかにも、岩手県金取遺跡、同柏山館遺跡などからも中期旧石器石器群が出土している。解説は省略したが、石器群の特徴は上述した諸遺跡と同様で、中期旧石器はほぼ全国的に分布していることがわかる。」(田村 隆2011『旧石器社会と日本民俗の基層』:6、8.)

「前期旧石器時代に遡る可能性のある石器群と後期旧石器時代初頭の石器群には三つの種類がある。一つは台形石器、基部加工石刃、基部加工剥片をもたず、多面体石器、円盤状石器、ハンドアックス、クリーバー、チョッパー、チョッピングツールなどの大形石器をもつ石器群(グループAと呼ぶ)。
…グループAに属する遺跡は、岩手県金取遺跡第Ⅲ文化層(三万~五万年前)、福島県平林遺跡、長野県石子原遺跡、長崎県福井洞穴第15層、熊本県沈目遺跡、宮崎県後牟田遺跡(三万年前)など日本列島に広く分布しているが遺跡数は少ない。
山形県富山遺跡は赤色土(間氷期に形成される。そこから、13万年前に遡る可能性が考えられる)中から出土した石器群であるが、絶対年代は明らかではない。
…類似の石器群が見られる同じ山形県の上屋地遺跡は放射性炭素による年代測定(C14)によって3万1900年前(かつてのC14による測定の限界)以前とされている。
…ハンドアックス、円盤状石器、多面体石器などの大形石器と削器や鋸歯状石器などをもつグループAは汎世界的に分布するホモ・エレクトス(原人)やホモ・ハイデルベルゲンシス(旧人)の文化であるアシュール文化の伝統を引き継いでいる。極めて強い力で剥離された大形石器や、石器群全体がもつ違和感もグループAを残したヒトビトがホモ・サピエンスではなかったことを示唆している。」(竹岡俊樹2011『旧石器時代人の歴史』:114、115、192.)

「1995年に山形県富山遺跡で中期旧石器ともいわれる藤村が関与しない石器群が、行政による緊急発掘調査で発見された。しかし、縄文時代の石器製作跡であるという反論があり、今日まで確認されるに至っていない。」(岡村道雄2010『旧石器遺跡捏造事件』:111.)

「山形県寒河江市富山遺跡では、一見ハンドアックスにも似た粗い剥離痕でおおわれた大形両面調整品が土器をともなわずに出土し、竹岡俊樹は形態・技術的な観察にもとづいて約三〇万年前のアシュール型石器群と推定した。一方、慶応大学の阿部祥人教授は、その報告書の書評で、伴出した炭化物の放射性炭素年代も加味し、富山遺跡を石材原産地近くに営まれた縄文時代の石器製作址として再評価した。
…富山遺跡の資料については、特別委第四作業部会の委員たちとともに山形県埋蔵文化財センターでつぶさに実見する機会をもったが、前期旧石器にしては風化度が浅く、縄文時代の石器とさほど変わらないものであった。日本列島におけるアシュール型ハンドアックスの存在については竹岡の勇み足に終わったが、石器だけの技術形態学的研究の限界を露呈する一方、阿部の書評により批判的精神は正常に機能していることを確認させた。」(松藤和人2010『検証「前期旧石器遺跡発掘捏造事件」』:122-3.)

「日本の旧石器研究は、石器を見る力が弱かったとする。旧石器研究の本場フランスで徹底的な修練を受けた著者によれば、石器の白黒は瞬時に判断でき、本来、研究者による解釈の違いが入り込む余地はないものなのだ。」(辻 篤子(朝日新聞論説委員)2011-5-8「書評 旧石器時代人の歴史 竹岡俊樹著」『朝日新聞』)

こうして見ると、どうやら「本場フランスで徹底的な修練を受けた」としても「石器の白黒は瞬時に判断でき」るわけではなく、「研究者による解釈の違いが入り込む余地は」十分にあると言えそうである。

「相模野台地の後半期末葉となる細石刃石器群の例では、…C:礫器のみが多量にある遺跡、…
…Cは礫器を利用した木材の伐採や加工などの作業が集中的になされた作業場=ワークショップ、…」(108.)

わたしには、「礫器」とされているものと「石核」との区別がつかない。もしこれらが「礫器」ではなく、「石核」だったとしたら、「研究者による解釈の違いが入り込む余地」どころの話しではないだろう。

「テーブルの上には、八ヶ岳野辺山高原の二つの遺跡から見つかった無数の黒曜石のかけらが並べられた。その黒曜石は、微妙な色や質感の違いなどから分類され、同じ石と思われるグループに分けられる。「個体別分類」と呼ばれるこの作業は、旧石器研究の上で避けて通れない重要な分析だ。ひとつの石にかかわった人間行動を解明するためのこの分析の原点は、埼玉県砂川遺跡の研究にある。その発掘にあたった戸沢充則らが開発した分析法で、今日の旧石器研究のパラダイムを形成したといっても過言ではない。」(109.)

わたしには「無数の黒曜石のかけら」を「同じ石と思われるグループ」に分ける自信が全くない。そしてそれが「避けて通れない重要な分析」であり、「今日の旧石器研究のパラダイムを形成したといっても過言ではない」のだそうだ。
わたしには、「過言」にしか思えない。
ともかくこれだけの短文で、その真意、すなわち「個体別分類と呼ばれる作業」の内容、「今日の旧石器研究のパラダイムを形成した」内実を把握するのは、至難の業である。
当該箇所における前後の文脈から判断する限り、単なる「接合作業」の前段階として行われる作業としか思えないのだが。


nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 4

硝子

当記事に関するコメントではありませんが、御容赦下さい。
考古学協会第77回総会における、伊皿木様の御発表を拝聴し、感銘を受けました。「学問のための学問をこそ」という硬直した態度は、「考古学」という学問のみならず、すべての学問の発展を妨げる態度だと考えます。理論のみに終わることなく、実践という困難を全うしようとされている伊皿木様が、至極眩しく見えます。
弊社のボスは、終了後喉を潤しに出かけた方々共々、「あの会場で最も印象的で良い発表だった」ということで意見が一致した、と仰っていました。
協会に行くといつも「疎外感」しか得られないような、半端者に言われても詮無いことだとは存じますが、邪魔になると思い、直接言うことが出来なかったので、ここにコメントさせて頂きます。
by 硝子 (2011-05-30 22:15) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

ありがとうございます。
こうした励ましを頂くことで、新たに力を得て歩んでいくことができます。
ことは、文化財返還問題にとどまりません。
現に存在している問題を直視することなく、批判者の声を黙殺し、本質的な解決を先送りにする「日本的体質」がどのような事態を招くのかについては、ここ数か月連日報道されている通りです。
今こそこうした「体質」は改善されなければならないと思います。
発表の最後に申し上げたスローガンをもう一度記します。
「いけないのは、何もしないことだ。」
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2011-05-31 19:12) 

八ケ岳

細かく書評いただきありがとうございました。
個体別分類の同様なご指摘は、確か中ッ原でいただいておりました。砕片など全点分類には無理があります。むしろ産地同定分類が有効なのでしょうか。
「礫器」は、激しいエッヂダメージがあるものもあるので、私はそう考えています。また、剥がされた剥片が一様に使用された形跡がなく、そうしています。が、もちろん石核であったこともあったのでしょう。
星野・早水台、評価が3人3様ですが、伊皿木さんは、この問題どう考えるのか、いちばん聞いてみたいところです。
by 八ケ岳 (2011-06-07 09:55) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

私は常日頃、何が書かれているか、何を述べているか、ではなく、何が書かれていないか、何が述べられていないかを注視しなくてはいけない、と考えています。そうした視点で当該記事にて引用させていただいた3者(堤・田村・竹岡)を横軸に、代表的5「遺跡」(星野・早水台・竹佐中原・金取・富山)を縦軸に配し、それぞれの言及された場合の肯定(〇)・否定(×)といった星取表を作成すると、興味深い傾向が浮かび上がります。すなわち竹岡さんの場合には、星野・早水台への非言及、堤さん・田村さんの場合には富山への非言及です。なぜこれらの場合に判断が示されないか、判断が示された場合との異同を更に分析する必要があります。
私の場合については、かつて「最古の心性」と題した記事【2009-11-05】においても記したことがありますが、こうした事案に関心が集まる事象そのものに関心があり、事案そのものには余り関心がないというのが正直なところです。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2011-06-07 22:10) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0