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Scarre&Scarre eds.2006 The Ethics of Archaeology [全方位書評]

考古学の倫理 -考古学的実践に関する哲学的見方-
クリス・スケア&ジョフリー・スケア編集2006
ケンブリッジ大学出版会

「考古学における倫理とその役割に関する疑念は、近年学問的にますます活況を呈している論点の一つである。本論集では、考古学者、人類学者、哲学者といった国際的な集合体が、考古学の表明すべき倫理的な諸問題について探求した。異なる学問の実践者による技術と意見を突き合わせることで、本書は考古学が今日直面している倫理的な窮地(ジレンマ)の多くに、新たな見通しを与える。論じられているのは、先住民族の人々との関係、調査者としての専門的な基準と責任、倫理的規範の役割、考古学における価値観、管理と保全に関する概念、「遺産」が有する意味と道徳的含意、過去を「所有」し解釋するのは誰なのかといった疑問、骨董品(古物)の取り引き、人骨資料の返還、死者の扱いなどである。こうした重要で時機に適った本書こそ、考古学という分野に関わるあらゆる人々そして研究者、実践者たちにとって必須の書物である。」

1.序説 クリス・スケア(ダーラム大)、ジョフリー・スケア(同)
第Ⅰ部:文化財の所有
2.考古学的発見物の文化と所有 ジェームス・ヤング(ビクトリア大)
3.保護者を保護するのは誰か? オリバー・リーマン(ケンタッキー大)
4.文化は生活必需品なのか? ロバート・レイトン(ダーラム大)、ジリアン・ウォーレス(ハル大)
5.生業としての発掘に関する道徳的な議論 ジュリー・ホロウェル(インディアナ大)

第Ⅱ部:考古学者と生活
6.人間を主題とする批評と考古学 -インディアン・カントリーからの見方- ジョフリー・ベンダマー(モヒカン部族歴史保護局)、ケニス・リッチマン(マサチューセッツ薬科地球科学大)
7.信頼と考古学的実践 -徳倫理の枠組みに向けて- チップ・コロウェル・チャンタポーン(砂漠考古学センター)、T.J.ファーガソン(アリゾナ大)
8.考古学における信頼性と「統合」 デビッド・クーパー(ダーラム大)
9.倫理と先住アメリカ人の再埋葬 -NAGPRA(アメリカ先住民墓地保護返還法)20年に関する哲学的見解- ダグラス・ラッキー(ニューヨーク市大)
10. 管理責任は迷路に? -倫理とSAA(アメリカ考古学協会)- レオ・グローク(ウイルフリッド・ローリエ大)、ゲイリー・ワリック(同)

第Ⅲ部:考古学者と死者
11. 考古学は死者を傷つけることができるのか? ジョフリー・スケア(ダーラム大)
12. 考古倫理と過去の人々 サラ・タロー(レチェスター大)

第Ⅳ部:人類共通の遺産とは
13. 人類共通の遺産に関する責任答弁 サンドラ・ディングリ(マルタ大)
14. 世界遺産概念の倫理 アトレ・オムランド(オスロ大院生)
15. 一角獣の角に、どのような価値があるのか? -考古学的珍奇さと価値に関する研究- ロビン・カニンガム(ダーラム大)、レイチェル・クーパー(ランカスター大)、マーク・ポラード(オックスフォード大)

目次を一覧するだけで、おおよその関心動向を窺い知ることができるだろう。
考古学という学問に関わる倫理(考古倫理)とは、単に拾ってきた石器を調査区に埋めてはいけないとか、学会として当たり障りのない倫理規範を規定すればそれで終わりといったものではなく、世界的正義に関わる、そして私たちの日常的な営みに直接関わる問題に、どのように取り組むのかということである。それは考古倫理に関わる問題が提起されたときに、どのような対応を示すのか(当委員会は取り扱う任にはないとして回避するのか、それとも研究者としての倫理に照らして正面から受け止めるのか)にも関わるだろう。
残念ながら、ある学会がこうした考古倫理を持ち合わせることなく、提起された問題に関わることを避ける意志を明らかにしたとするならば、当の学会構成員はどのような行動をすべきかまでが問われているように思われる。

「ある職業における倫理は、一般的な倫理とかけ離れたものではない。私たちは、良き考古学者、哲学者、政治家、バス運転手である前に、良き人間であるべきである。」(4.)

考古学特有の倫理規範というものがあるだろう。またバス運転手特有の倫理規範というものもあるだろう。しかし、それ以前に人間としての倫理規範があるべきだというのである。
どういうことだろうか。
それは、例えば「盗まれたモノを所有していることは、恥ずべきことである」という当たり前の感覚であり、「盗まれたモノは、本来の所有者・本来あるべき場所に返還されるべきである」という「場とモノ」に関する倫理規範のことだと思う。

21世紀において考古学に携わる者は、単にモノを数多く知っているとか緻密な観察ができるといった点で評価されるだけではなく、「場とモノ」について、どのような倫理感覚を有しているかが問われている。


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硝子

御無沙汰しております。突然ですが、伊皿木様は昨年11月に出たジャック・デリダ『アーカイヴの病』を読まれましたでしょうか?原書(Mal d'archive)は1995年出版で、15年後にようやく和訳が出たわけですが…恥ずかしながら、まったく頭に入って来ず困惑しております。
お前がバカだからいけない、と言われればそれまでですが、訳が悪い(思想・哲学ではなく精神分析学の人)のでは、と勝手に思って原書を購入してはみたものの、元々難解であることと、自分の翻訳力的限界故に頓挫したまま現在に至っております。
もしかしたら英訳文の方が整理された文になっているのでは…とも思っているのですが。表題からして、考古学に限らずすべての研究行為に関して示唆的な論文だと推測するので、是非読解したいのですが…ネット上にいくつかある解説文を読んでもいまいち分からず…自分の愚かさが歯痒いばかりです。理想的なのは「読書会」があればそれに参加することなのですが、時間をかけて自力で理解するしか途はなさそうです。

考古学の倫理、考古学的実践。研究する、という行為そのものが、人を傷つけることがあるという「意識」。
ものすごく基本的な質問なので、失礼にあたるかもしれませんが、伊皿木様は、何故考古学という学問を研究されているのでしょうか?
今日、その質問を(ある人に)大声で怒鳴りたい程胸糞悪い事実が判明して、(以下自粛)

研究という行為が、「自己実現」のためだとか、他人を蹴落としたい、蔑みたい、自分のプライドを保ちたい、ただただ自分という存在を世間にアピールしたい、等という自我肥大の意識を内包している皮膜でしかないのであれば、唾棄すべきものだと考えるのは浅薄に過ぎるのでしょうか?
by 硝子 (2011-01-31 23:10) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

「硝子」さま、ご無沙汰いたしております。
「なぜ今も考古学をしているのですか?」
重い質問を頂きました。
端的に言えば、何より面白いし、楽しいし(いつもというわけではないですが)、唯一自己実現を図れる領域だから、という陳腐な答えになるのでしょうが、これでは身も蓋もないので、もう少ししゃちこばって言えば、考古学的なモノの見方、考え方の奥深さ、考えれば考えるほど考えなければならないことが出てくるその可能性に魅了されている、ぐらいでしょうか。
これは考古学に限らず、音楽でも、落語でも、サッカーでも、みな多かれ少なかれ、こうしたことがモチベーションになっているような気がします。
このようなことをかつて仲間たちと話し合ったことを思い出しました「#3:20061108」【2006-11-9】参照。

研究という営みが持つ倫理性については、つまるところ「他者の痛みにどれだけ敏感になれるか」に尽きるような気がしています。
このことについては、「三木2001」【2006-9-25】あるいは「植木2008」【2010-7-15】などをご参照ください。
『アーカイヴの病』も早速読んでみたいと思います。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2011-02-01 20:00) 

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