SSブログ

西山1990「日韓歴史認識の落差と文化財返還問題」 [論文時評]

西山武彦 1990 「日韓歴史認識の落差と文化財返還問題」『月刊 韓国文化』
(上) -「強盗」がなぜ「義賊」視されようとしたのか- 第130号:36-41.
(中) -「北関大捷碑」が靖国神社に- 第131号:22-29.
(下) -韓国民衆の心情と対日歴史観を理解せよ- 第132号:22-29.

元東大総長、元自民党参議院議員林健太郎氏の以下のような文章が示されている。
「歴史という学問は過去の歴史的事実に一々道徳的講釈をするのが任なのではない。それは客観的な事実を明らかにし、それらによって構成されるそれぞれの時代の状況や傾向を認識することを己が仕事とする。そして忘れてはならぬことは、歴史上の各時代には独自の課題や価値基準があって、それがそれぞれに意味を持つということである。後世の価値基準を以て簡単に過去の事実を裁断することができないのはそのためである」(林1986「教科書問題を考える」『文藝春秋』10月号)

ある立場に立つ人々からよく聞かされる所説であり、最近も同じような内容の話しに接した。

「まわりくどい記述であるが、端的にいえば、歴史の解釋は、その時代々々の価値基準、例えば19世紀なら19世紀の時代に即した価値基準で判断すべきであって、現在の価値観なり、基準で左右されるものでないというのである…つまり、日本が韓国を侵略したのは、その時点の価値基準からするならば、正当であった…というのである。
これは、たんに藤尾暴言(韓国併合は韓国側にも責任があるとした1986年の発言:引用者註)を補完するだけではなくそれを上廻る、おそるべき暴論である。そして元東大総長「碩学」の”歴史学”なのである。」(上:40.)

「ある知識層に属する知人が私にこう言ったことがある。1980年代に入ってからである。
 「韓国の”反日教育”もいい加減にしてくれないかね」
 「どうして?」
 「だって、韓国の小、中、高校の教科書をみてごらんよ、日本の批判ばかりじゃないか、あれでは国民がみんな反日的になるよ、映画やテレビドラマにせよ、反日的なものが多いよ、いささかうんざりだね」
私は苦笑しながら答えた。
 「それらの記述や、映画やドラマの内容が歴史的真実からかけ離れたフィクションだというなら、君のいい分は理解出来る、しかし、私の知る限り、それらは真実なんだよ、歴史的真実を究明すればするほど、結果として日本批判にならざるを得ないんだ。それに肝心なことは日本批判の内容が強いということは、それだけ日本から受けた傷が深かったということを私たちが理解し、それなりに対応することが先決じゃなかろうかね」
知人は沈黙したが不服そうであった。」(上:40.)

APECの場において、朝鮮王室儀軌などの流出文化財の返還に関する日韓協定が調印された。あるべき<モノ>があるべきところでない<場>にある。そうした「不自然さ」が是正された、全体から見れば僅かであるが、重要な一歩である。
大切なのは、単に「返せばいい」とか「あるべき<場>に帰ったから良かった」で済む話しではないということである。なぜなら、流出した文化財は勝手に日本に流れ着いたのではなく、また道端に落ちていたものを拾った訳でもなく、ある人物たちがある意図を持って移動させたのである。<モノ>は、<ヒト>がある意図をもって携えてこない限り、あるべき<場>を離れて「流出」することはない。誰が、どのような意図をもって、いつ、どのようにして、持ち出し、現在ある<場>に収蔵されることになったのか。現在まで保管してきた責任者は、そのことをどのように認識してきたのか。そうした経緯をも明らかにしなければ、真の解決にはなり得ない。そこから初めて過去の負債の清算行為を通じた未来の新たな関係構築がなされるだろう。

「今年3月16日、東京で開かれた第4回「日韓文化交流実務関係者協議」で文化財返還問題は、またまた”先送り”されたようである。”先送り” これは、なさけないことに自分の都合の悪いことは先へ先へと解決を引きのばし、”時効”?をまつという、日本政府や官僚たちの伝統的常套手段である。しかし、この問題に関する限り先送りは無意味だと私は判断する。」(上:41.)

文化財返還問題に関する「先送り」という「伝統的常套手段」も最近経験したことであるが、筆者の判断通り、「無意味」であることも明らかにされている。

「日韓の場合は、倭寇の被害、それにつづく壬申倭乱”日韓併合”以来の歴史的感情が重層的に積み重なっていることを、日本人はさらに自覚すべきではなかろうか。それは同時に日本に略奪された文化財に対する韓国の国民感情にも符合、もしくは重なるものでもあろう。
異民族による被害の経験がなく、あたかも”極楽とんぼ”のような安易な講談調的歴史観や認識で、たとえ、それがかつての日本支配層のファッシズム的ナショナリズム形成のための作為的手段を、あたえられるままに日本民衆が鵜呑みにしたものであったとしても、いまなお、豊臣秀吉を”国民的英雄”とまつりあげ、あるいは伊藤博文や福沢諭吉を近代日本の偉大な指導者とあがめる日本民衆の意識こそあらためて今日、問われなければならぬ問題ではあるまいか。」(下:26.)

肖像画が神功皇后と武内宿禰から伊藤博文と福沢諭吉に変わっただけとするならば、そこに一貫して表象されている意図は相変わらずとも言い得る。

「日本側は返さなくてはならないものをなぜこのように詭弁を弄してまで、返そうとしないのか―文化財問題は依然として謎につつまれたままである。しかしはっきりしていることは一刻も早く返さなければならぬものを返さないでいることだ。日本の映画上映を韓国内で自由化せよ、などと見当はづれの文化交流を韓国側に要求することよりも、日本が真に両国の誠意ある文化交流を図りたい意志があるなら、まず懸案の文化財返還問題をかたづけることが先決ではないか。」(下:29.)

「最後に私は、略奪に大きな役割を果した日本の御用学者たち―日本軍官憲や、朝鮮総督府の当局者たちと組んで文化財を大量に日本へ持ち出して私物化した御用学者や研究者たち、彼らが、歴史を歪曲して日本の韓国植民地化を合理化する”御用理論”の捏造に躍起となった代償として、あるいは”研究資料”という口実のもとに持ち帰った文化財の数もはかり知れないほど多いものがある。」(下:29.)

古代以来、常に文明の先進地域の産物は、周辺地域へと流出していった。それは物質文化を生み出す技術・デザインといった「文化力」において、先進地域と周辺地域との間に著しい格差があったためである。
こうした産物の移動は、近代においても顕著であった。しかしそれは純粋な「文化力」の違いに起因するのではなく、むしろ武力・経済力・政治力の違いを背景とした「力の差」によるものであり、文物の移動は、植民地地域から宗主国へ一方向に流れていった。

かつての先進地域と近代の植民地が、かつての周辺地域と植民地本国が重なり合った時に、こうした文物・文化財の流出入は、最も顕著にそしてあからさまになされることになった。かつての先進地域に対する憧れにも似た感情と力による争奪が可能になったという現実がもたらした不幸で痛ましい出来事である。

ギリシャ・エジプトあるいはイラン・アフガニスタンからヨーロッパ・アメリカへ、
そして中国・朝鮮から日本へ。


タグ:文化財返還
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0