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コメントに対する応答 [雑]

「民主化抗争」と題した前回記事【2010-10-21】に寄せられたコメントに対する応答です。 

*福田さま、ご無沙汰いたしております。少し長くなりそうなので、新たな記事を立てさせていただきました。

1.「日本考古学」のグローバル化や国際化と協会図書の国内活用は、まったく矛盾しません。それは「あるべき<もの>は、あるべき<場>へ」という<場>と<もの>に関する倫理則に基づくからです。【2008-10-22、2010-9-23】の記事などをご参照ください。
むしろ福田さんが、協会図書の海外寄贈と「日本考古学」のグローバル化や国際化を直結して理解されているらしいことに、いささかショックを受けました。

2.八幡1969という文章を「理事会対構成員というふうに対立的に図式化するために用い」ているわけではありません。あくまでも「権力を有する執行部側の判断が一般の民意と乖離し、遂には構成員が異議申し立てを行う」に至った今回の騒動に関して、日本考古学協会という組織がたどってきた歴史の中でとらえて、それを「民主化抗争」という言葉で表現したものです。日本考古学協会に対してなされた40年前の問題提起を、ある時期には潜在化し伏流化しつつも脈々と受け継がれてきた一連の歴史的過程として捉える考え方です。言うまでもなく、これは私個人の観点であることを申し添えておきます。

3.「何故、これまでの節目節目で表明されなかったのか」という点につきましては、「armchair」さんに代弁していただいておりますので、省略いたします。

4.当然のことながら「(戦争)責任の一端は当時の国民にもある」でしょう。だからといって戦争を指導した当時の指導者と国民一般の責任の質がまったく同じであるとは、福田さんもお考えにはならないかと思います。同じように今回の件につきましても「反対派の人たちも多かれ少なかれ当事者なので」すから、当然のことながら相応の責任があると考えます。しかしだからといって今回の件について、日本考古学協会執行部と一般会員の負うべき責任の質がまったく同じであるとは思えません。
組織指導者の責任と構成員一般が負うべき責任を同列視することは、指導者の負うべき責任を免罪することにつながりかねないと危惧します。
そして「日本考古学」が負うべき最大の戦後責任の一つが、「文化財返還問題」であると考えています。そのことについては、本年5月の日本考古学協会総会の席上においても述べました【2010-5-23】。

5.そこで述べたことは、日本考古学協会が主体的に「文化財返還問題」に関する調査を行うように呼びかけることであり、どれが略奪文化財であるかを特定するようになどという要求をしているわけではないことを上記記事【2010-5-23】において、ご確認下さい。私は、どの資料を返還するかという仕分け、線引きは、最終的に所蔵者が自らの良心、倫理感に則って行うしかないだろうと考えています。それが、歴史に対する誠実さということではないでしょうか。
戦争責任あるいは戦後責任の取り方は、人それぞれだと思います。すべての考古学者が文化財返還問題に関わらなければならないとは考えません。人それぞれの関わり方があるはずです。「理事および関係者に反対するようにかけあった」というのも、ある一つの戦後責任の在り方なのだろうと思います。
しかし法人格を有する日本考古学協会が、資格問題は取り扱うが、文化財返還問題は関知しないとするならば、それはそれで、そうした価値判断を世界に向けてアピールする、「日本考古学」の進みゆく方向性を指し示すものとして受け取られることになるかと思います。

6.文化財返還問題について「具体的なお考えがあったら、是非ご教示ください」ということですので、以下のイベントをご紹介いたします。一昨日には飯田橋にて2回目の実行委員会がありました。そこで「考古学的観点からの文化財返還問題」と題して簡単な報告をいたしました。福田さんもお時間があればご参加いただき、討議の場にてご意見を表明いただければ嬉しいです。
11・20文化財返還問題 日韓共同シンポジウム -朝鮮王室儀軌・利川五重石塔返還問題を中心に-」
日時:2010年11月20日(土) 14:00~17:30
場所:韓国YMCAアジア青少年センター(東京都千代田区猿楽町2-5-5)
日本側主催:韓国・朝鮮文化財返還問題を考える連絡会議
韓国側主催:朝鮮王室儀軌環収委員会・利川五重石塔環収委員会

7.なお文末で示された一文について、臨時総会の開催は協会執行部にとって「気が進まなかったであろう」となかろうと、そうしたことには関わらず法人として定められた定款に従って執り行われたものであり、そのことをもって日本考古学協会が「民主的になった」という評価を下されるのはお門違いかと思われます。むしろ残念なことに、臨時総会開催を求める第2次署名に先立ってなされた海外寄贈に反対する第1次署名に対して、臨時総会開催を求める要件を満たしていたにも関わらず、協会執行部が会員の意思を問う場を設けることができなかった(設けようとしなかった)点に、「民主化」の在り様が示されてしまったと考えます。

*「若輩考古学徒」さま、コメントありがとうございます。
今後の行動については、臨時総会の会場にて配布され、討議の場においても取り上げられた7人の会員の方々の「緊急提案 日本考古学協会の蔵書問題について」および「提案~蔵書を国内で保管・活用するために」で示された5項目が指針になると思います。本ブログ【2010-10-14】における10/18付けコメントで5項目の見出しのみを紹介し、「margin blog」の10/20付け記事において全文が公開されていますので、ご参照下さい。

*「門外漢」さま、度々のコメント、ありがとうございます。
応募のあったイギリスの機関とのつながりを断たず、選択肢から排除しないようにとのご意見、私もかねてから同様の意見を有しています。具体的には、セインズベリーと日本考古学協会との共同出資による第3セクター的な組織の設立について提案いたしました。本ブログ【2010-6-7】記事の7月14日付けコメントをご参照ください。付け加えるならば、本件についても私の個人的意見ですので、その点ご理解お願いいたします。

福田さま・「若輩考古学徒」さま・「門外漢」さまにより、こうしてお互いの意見を交換する機会が与えられたことを感謝いたします。


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コメント 5

福田敏一

1、「民主化」とは共通基盤を持つ一つの構造内におけるある種の「秩序」の構築作業のことです。当時の学生たちと協会との間に共通の基盤などありません。学生たちはむしろ「民主化」の美名の下に隠された様々な矛盾、特に教育における矛盾に対して矛先を向けていたのだと思います。従って、学生たちの当面の敵は「民主化」や「秩序」そのものであり、従って結果的には無責任とならざるを得ませんでした。結局何も構築しなかったのですから。今回の貴兄たちの行動とはまった異質(善し悪しではなく)なものです。
2、理事会=悪、反対派+市民=善=民主化との善悪二言論は米ソ冷戦時代ならともかく、現在の複雑化した社会にはやや時代錯誤かと愚考いたします。利害はそれほど単純だとは思われません。では、お尋ねしますが、今回反対派に署名していただいた市民の方たちは、今後、無条件で協会員になれるのですか?なれないでしょう。それは学者が自分たちの都合によって市民を利用しただけでの話であって、先の例で言えば、学生たちはそういう「民主化」にまつわるご都合主義的な胡散臭ささ(言葉が悪くてすみません)を敏感に感じて、これを粉砕しようとしていたのだと思います。協会は依然として学術的権威団体であり、協会員は、貴兄の主観がどうであろうと、依然として学術的特権階級なのです。協会の真の意味で「民主化」には、入会資格の撤廃が必須の条件です。すみません。完全に余談でした。
3、「民主化」と「自主管理」は密接不離のものです。もし貴兄が今回の反対派の行動を「民主化」として位置(意義)付けたいのなら、協会蔵書は協会で「自主管理」するしかありません(市民の協会員化の問題はペンディング)。「あるべきもの」(蔵書)は「あるべき場所」(協会)にです。是非、蔵書の譲渡決議を差し戻しください。そうすれば、「民主化」として一貫します。協会全体として、従って貴兄たち反対派にも責任の一端はある、従来まで粗略に扱われていた蔵書が、いつのまにやら「文化財」に祭り上げられたことに、私はご都合主義的な胡散臭ささを感じるものですが、それはともかく、海外であろうと国内であろうと、人様の力に頼ってこれを活用するのなら、基本的には理事会側と50歩100歩です。「自主管理」もできない反対派が、理事たちに向かって「放出に賛成した理事の名は、日本考古学と文化・文化財保護行政に取り返しのつかない不利益をもたらした者として、末代まで広く記憶されるであろう」などと声高に恫喝をかけることは許されないでしょう。ちなみに今回、部外者の私が理事会の意見を支持した理由は、一方にキーボードを叩く音を聞き、他方に汗の匂いを感じたという、ただそれだけのことです。
4、よそ様の財産管理に関して、埒もない言葉を重ねてきました。数々の失礼お許しください。貴兄の理念と北條さんの行動力、それにアームチェアーさんの緻密さをもってすれば、何とかなるのではと愚考いたします。がんばってください。この件はこれを最後に、引き取らせて頂きたく思います。
by 福田敏一 (2010-10-27 16:54) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

福田さま、ご教示ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2010-10-27 22:20) 

門外

前回の投稿に福田さんの書かれた一文は心から共感しました。長くなりますが引用しますと、
「反対派の方たちの意見は、正しいのですけれど、どこか他人任せで、迫力に欠けるというか、理事会側を批判するだけで、具体的でないというか、抽象的というか、反対なら反対で、たとえば、反対派の一人一人が1万円づつ出し合ってでも(500万以上にはなるでしょう)、倉庫を借りて一時的に管理するとか(まあ、規約上無理なのでしょうが)、そういう自分の血を流してでも、というような熱意のある対案が何故、出せないのか、私から見ると、不思議というか、他人頼みというか、非常に歯がゆいものを感じます」
という部分、感覚的な反応ではありますが特に共感しました。

こうした意見に対する五十嵐さんの反応は「考古学協会執行部と一般会員の負うべき責任の質がまったく同じであるとは思えません」ですが、これは「私たちには自分たちの背負った小さな責任を免れて批判する権利はあるが、実現可能性のある、具体性を持った対案を出す義務は生じない」と読み替えていいのでしょうか?だとしたら大変に残念なことだと思います。

それはともかく、今回反対された方々は、貴重な文化財だという協会蔵書をこれまで盛んに利用していたのでしょうか。協会が使いにくい状態で放置していた、ということを理由に、他の機関で閲覧していたのでしょうか。協会が持っている図書のうち、どれだけの部分が国会図書館にも各大学図書館にもなく、「日本国内にどうしても置いておきたい貴重な資料」なのか、私にはわかりません。
しかし、反対された方々がほとんど協会蔵書を抜きに研究活動を行ってきた―利用が日本考古学にとって絶対的に欠かすことのできないものではなかった―という事を見ても、「取り返しのつかない不利益」がどこに存在するのか疑問ですし、新たな機関を設立しようというスローガンは認められがたいもののように思います。
by 門外 (2010-10-28 12:26) 

再び門外漢

 もう、お手を煩わすのはよそうと思ったのですが、先のコメントで似た印象の名前の「門外」様のコメントが提示され、全体の文脈上誤解をまねきそうだと思いましたので、先般より2回コメントを残させて頂いた当方(門外漢)とは別人です、と申し添えます。
 
伊皿木様の、「あるべき物はあるべきところへ」理論が、ご自身の政治的課題(あるいは政治的命題)である「文化財返還問題」とつながっているということを、理解いたしました。後者を推進するために、報告書問題を同じ枠組みの中に構築している思考のつながりも理解いたしました。「民主化運動」といった文言をお使いなる以上、今回の諸活動は、「体制を打破し革命をおこす」という振るまいの中に、自らをおかれたものと拝察いたしますが、いかがでしょうか。

今回の問題がどのような背景で起こったのか、当初疑問だったことも、ようやく見えてきました。

4000人の会員ともなると、一つの村ですから、利害はこれからもぶつかり続けると思いますが、どうぞ同じコミュニティーの仲間同士ですから、相手の政治的正しさと自らの政治的正しさを擦り合わせて、新しい政治的正しさを構築されますことを、祈念いたします。
by 再び門外漢 (2010-10-28 22:46) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

多くが繰り返しになりますので、できるだけ簡潔に述べます。

*「門外」さま
「執行部と会員の責任の質が同じとは思えません」という言葉が、どのようにしたら「批判する権利はあるが、対案を出す義務は生じない」というように「読み替え」ることができるのか、理解できませんでした。
微力な私たちが多くの方々の協力により行うことができたのは、海外寄贈という理事会議決を会員の議決権行使によって白紙とするところまででした。そのことについて「歯がゆい」と感じられたとしても、それ以上のことは力及ばずできませんでしたとしか申し上げることができません。協会図書をこれからどのように国内で活用していくのかについては、今後設置されるであろう「特別検討委員会」で議論されるでしょう。そこで様々な「対案」も示されて検討されることになるかと思います。
ある特定の人々にのみ「対案を出す義務」を要求するというのは、決して生産的とは言えず、むしろ「大変に残念なことだと思います。」

存在していなかったから、必要ないということにはならないと思います。むしろ存在していなかったからこそ、必要であるということはないでしょうか。

*「再び門外漢」さま
私は「民主化」という言葉を「体制を打破し革命をおこす」といった大仰な意味では用いていません。文字通り「民が主となる」という意味で用いています。
1月の理事会では、海外寄贈が賛成多数で議決されました。しかし10月の臨時総会では海外寄贈が反対多数で否決されました。ここで1月における理事会の議決が民意すなわち会員の多数意見を適切に反映していなかったことが明らかになりました。すなわち「民が主となっていなかった」のです。
今後は、先にも触れた「検討委員会」において会員の多数意見を適切に反映する議事運営がなされることを望んでいます。これはとりもなおさず、7人5項目提案の第2項「協会員に対する意思確認の徹底」という提言に該当します。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2010-10-29 21:40) 

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